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言葉の力

言葉の発信者が、受信者に伝えたいことを完璧に伝えることは不可能であると思います。 たとえば、私の伝えたい「レモン」と相手に伝わる「レモン」は違います。 人によってその言葉の経験が異なるからです。 また、一度もレモンを食べたことのない方に 私が「言葉だけで」その味を伝えることは不可能でしょう。 このように考えてみると、言葉によるコミュニケーションには どうしても限界が存在していると思います。 皆様は言葉の力とはどのようなものだと考えますか。 また、日本人は以心伝心を行うと聞きましたが 言葉の力を越えたコミュニケーションということでしょうか。

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  • cyototu
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回答No.1

興味ある質問ですね。貴方の考えている方向とずれてしまうかも知れませんが、質問の面白さに免じて許して下さい。 人間が「言葉の力」を認識するのには、成長と関連した時期があるようです。時々電車等で、3歳から5歳ぐらいの子供が、連れの大人に向かってやたらに不浄な言葉を連発して困らせている状況を見たことがあります。多分、あれは子供達がはじめて「言葉の力」に気が付いた、すなわち汚い言葉を使うと大人が戸惑うことに気付いたので、それを面白がっているのでしょう。言葉を使うと、人を動かすことが出来ると言うことに気が付いたのだと思います。 言葉に関する次の成長は思春期の頃にやって来るようです。思春期になるとどういうわけか、誰でも理屈を言うようになります。すなわち「理屈=言葉」に力があることにそのころはじめて気が付いたのでしょう。そして、それが面白くて、世界を見るにも、皆と話すのにもやたらに理屈を述べるのだと思います。 もっと成長して大人になると、また新しい側面が見えて来ます。どうも我々は言葉ばかりでコミュニケーションをしているのではないと言うことに気が付くようになるようです。いわゆる貴方の言う以心伝心です。 私は長年アメリカに住んでおりますが、私の観測によるとアメリカ人は日本人と比べて遥かに言葉に頼ってコミュニケーションをする文化を持っています。そのアメリカ人でさえ、コミュニケーションの80%以上を、目つき、顔つき、身振り等のボディー・ラングウィッジを使って意思を伝え合っていると言う研究結果が出ています。これは多分そんなに不思議なことではなく、人類は言葉を使うようになる前の数百万年ないし数千万年のあいだ、圧倒的にボディー・ラングウィッジだけで意思を伝え合っていたからでしょう。今でも、犬やネコはボディー・ラングウィッジだけで意思を伝え合っていますよね。

noname#53624
質問者

お礼

返事ありがとうございます。 なるほど、子供がああいう行動をとるのは発見したわけですか。 ジェスチャーや声の表情というのも、コミュニケーションでは大事ですよね。 勉強になりました、もっと考えてみます。

その他の回答 (4)

  • masking
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回答No.5

言葉の力に恋する人間です。 仰る通り、言葉には限界があると思います。 だけど、その レモンを知らない人がレモンをついに食べたとき、あなたのことを思い出したら、あなたのレモン は伝わっていたことになるんじゃないかと思う。 それでも、同じ日本語を話しているつもりで、実は全く通じていなかったなんてことはよくある話で、文字から離れれば辞書に載っている意味ですら絶対でなくなることを感じた日には、泣きそうになりました。 言葉にすることで真実を歪めてしまうのではないかと、不安に思うこともあります。 でも言葉って、言葉の意味を伝える以外の使われ方もありますよね。 例えば、昨日の出来事の話をしながら、なんだか自分が本当の事とはほど遠いことを言っているような(言葉が上滑りしているような)気がして「私ってテキトーだなぁ‥」と思っていたら、「昨日の話」ではなく「テキトーな私」を伝えていることに気付いて、「じゃあ、ある意味この言葉の不確かさは今、正しいかもしれない。」って思ったりするんです。 この時に、言葉を言葉のままでしか理解できない人は、昨日の話が重要でないことには気付かないかもしれないですね。 そして「日本人と以心伝心」の話になるんですが、「たいていの人は言葉の含みを理解することができる」ということでもあると思います。先の「言葉を言葉のままでしか理解できない人」というのはおそらく日本人には珍しいタイプで、私は今までに3人出会いましたが、彼らはストレート(もしくは具体的)な表現を用い(ときに人を傷つけ)、婉曲な言い回しの真意を掴めなくて(ときに傷つき)、周囲との摩擦を引き起こしたりしています。 それから、察することが好しとされ、言うまでもなく伝わること が当たり前のような感じ、もあいまっているかと。 言葉の力とは何かを決めたりする力だと思います。 考えること というのは言葉を使って何かを整理することで、それ以前からあったもの(感じていたこと)でも言葉になって初めて認識されるようなところもあるのではないかと思います。だけど、言葉にできることには限界があって、じゃあ言葉になってないものは存在していないかと言ったら、きっとそうじゃないですよね。 しかし最近の私たちは何でもかんでも言葉にしないと落ち着かない傾向にあるのではないかと、危懼する気持ちもあります。 (あと、お互いに想像力と経験が豊であれば、そんなに沢山の言葉を使う必要なんてないのでは、と最近考えています。) うまくまとまってませんが、私なりに思うことがあったので書かせていただいた次第です、長々とごめんなさい。

noname#53624
質問者

お礼

返事ありがとうございます。 私がよくあるのは考えていることがうまく言葉に出来ずに、もどかしい思いをすることですね。 回答者様の仰るとおり、言葉は伝達だけに使われているわけじゃないんですね。 より深く「考えること」「感じること」そのものにも関わっていると思いました。 レモンの話は新鮮です。確かに、私の言葉の意味がその瞬間に伝わるわけですね。 なるほど、色々考えることができました。

noname#57571
noname#57571
回答No.4

誤字の訂正です。 正しく想像力のなせる「技」でしょう。 ↓↓ 正しく想像力のなせる「業」でしょう。 慣れない言葉を使うと、こういう恥をかきます ( ^^; ついでにもう一言。 昔職場で同僚から伝え聞いた話ですが、ある時支店長が次長に向かってこう言ったそうです。 支店長: 「そう言えば次長、例のあれは大丈夫かな?」 次 長: 「ああ、あれですね、大丈夫だと思いますよ」 この遣り取りに感心した同僚が、後で次長に尋ねました。 「すごいですね、次長、“あれ” だけで解っちゃうんですか?」 すると次長さん答えて曰く。 「ん? 解らないよ。適当に話を合わせただけ」 案外これが以心伝心の正体だったり‥ (笑)

noname#53624
質問者

お礼

あれ?? 私はこの会話はてっきり相手に通じているものだと・・・ 脳に「あれ」のデータベースがあって検索しているんだと思ってました。 ・・・この指摘ありえますね。

noname#57571
noname#57571
回答No.3

言葉の力とは表現力のことをおっしゃっているのだと思いますが、それは結局のところ、想像力だろうと思います。豊かな想像力は豊かな表現を生み、言葉にリアリティや説得力を与えます。 「凍れる音楽」 E.F.フェノロサが薬師寺東塔を評して語ったというこのフレーズなどは、正しく想像力のなせる技でしょう。一見誰でも思い付きそうな言葉ですが、実際中々出てくるものではありません。 想像力の豊かさは、言い換えれば感性の豊かさです。語彙の豊富さや修辞技法は学習によって獲得することはできますが、豊かな感性というものは、生来の資質に負う部分が多いのではないでしょうか。 ちなみに、言葉の力がパフォーマンスを発揮するためには、それを発する側の力だけでは不十分で、受けとめる側にも相応の感性が必要になるでしょう。 以心伝心・・・ (ー"ー; う~ん、そんな魔法のようなことを本当に出来る日本人が果たして実在するのかどうか‥ 私は疑問に感じています。多くを語らずに心を伝えるということならばあり得るでしょうけれど、それは決して日本人の専売特許ではありません。 『我が道を往く』という映画(原題: GOING MY WAY)の中で、ビング・クロスビィが演じるオマリー神父が次のように語っています。 Sometimes, spoken word can be pretty dull. (言葉は時に退屈だ) これは、聖書の教えを人々に理解させるためには、言葉で語るだけでは不十分だということを言っています(彼はそれを音楽でやろうとしました)。もしも「以心伝心」の意味するものがそういうことならば、これはもうグローバルスタンダードであると言って差支えないでしょう ( ^^

noname#53624
質問者

お礼

返事ありがとうございます。 感性・・・なるほど。 発信者はもちろんですが、受信者のほうにも感性は必要ですね。 本当だ、気づきませんでした。 オマリー神父の言葉も初めて聴きました。 以心伝心の成立も、回答者様はやっておられないと。おそらくほとんどの日本人もできていない。 できるとしても、ごく親しい関係に限られているかも知れませんね。 もう少し考えてみます。勉強になりました。

  • nishikasai
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回答No.2

わたしは職業が通訳ですので言葉を相手に伝えて理解させてそれで生計を立てています。 やはり言葉には限界があるというものの、一番わかりやすい手段だと思います。確かにレモンを食べたことのない人に言葉で説明するのは難しいです。そんなことよりレモンを見せて触らせて食べさせることが一番わかるでしょう。 日本人というのは単一民族であり、島国で同じ文化を共有しますし、人の気持ちを理解しようと努める国民性がありますから阿吽の呼吸というものがあるようです。

noname#53624
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 やはり、言葉だけで意味を伝えることは不可能ですよね。 実際に味わってもらって、「これがレモンです」と言わないとレモンの味は伝わらないと思います。 以心伝心が可能なのは、日本が高コンテキスト文化を持っているといのも関係があるかもしれませんね。 もっと深く考えてみます。

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