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日本に対して妥協した内容のリットン報告書について教えてください。

リットン報告書の内容は満州における日本の利権を認めるなど日本にとって有利な内容でしたが、どうしてこのような内容になったのでしょうか。特にイギリスの思惑とはどのようなものだったのですか。教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • djiburil
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.3

 満州事変をめぐる各国の動向はいろいろ複雑なのですが、イギリスの動きだけかいつまんでみます。  当初、イギリスは日本に対して好意的でした。国際連盟英国代表ロバート・セシルは日本軍の撤退について楽観的な態度を取っており、錦州陥落に衝撃を受けた米政府が、国務長官スチムソンの名前で九カ国条約擁護の声明を出したときも英政府は消極的支持にとどめています。  日本軍の進撃がエスカレートし、セシルも制裁の可能性を検討し始めたときでさえ、レディング外相は「英国の財政状態の悪化と直接関係が無い満州問題に英国民の関心は薄い」として反対しました。  満州事変発生当時、イギリスは未曾有の経済的混乱のさなかにあり、金本位制の停止など国内政策が最優先で推進されていたため、英国内においては満州問題はほとんど話題になりませんでした。  また、英国海軍は東洋において日本海軍に対して劣勢であることを承知していましたが、前述の財政危機の中で国防支出は抑制されていたため、武力衝突の可能性のある強行政策は回避される傾向がありました。  さらに英国は革命運動・民族運動に対抗するという意味で日本に似た立場にあり、そのあたりも日本への同情論につながっていたようです。ただ、一方でイギリスは国際連盟の面子も立てなければいけない立場でもあり、それが英国の態度を矛盾に満ちたものにします。  英国政府の主導のもと、国際連盟は日本非難を強めながらも、リットン調査団の報告書が提出されるまで事実上何もしないという状況を維持し、日本との妥協案を探ろうとしていました。(日本の満州国承認や、日満議定書の締結など、満州独立の既成事実化が進んでいたにも関わらずです。)  しかし、日本軍が山海関及び熱河省に進攻すると、さすがに英政府も態度を硬化せざるを得ず、しかも日本側においても、内田外相主導の対国際連盟強硬路線が外務省の主流になると、日本側との交渉のチャンスは失われ、リットン報告書の採決→日本、国際連盟を脱退ということになっていくのです。  満州事変をめぐる各国の動向については、日本国際政治学会編「太平洋戦争への道 開戦外交史 第2巻 満州事変」に収められている「第四篇 米・英・国際連盟の動向(1931~1933)」によくまとまっていますので、ご興味があればご一読をお勧めします。大きな図書館に行けばあると思います。

sapiens-13
質問者

お礼

ありがとうございました。大変参考になりました。

その他の回答 (3)

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.4

まず、このサイトでは「課題の丸投げ」と「そのような質問への直接回答」は共に禁止されていますので気をつけてください。 最近、リットン報告書の全訳(専門家の詳細な解説つき)が出版されました。 全文リットン報告書 http://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E6%96%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8-%E6%B8%A1%E9%83%A8-%E6%98%87%E4%B8%80/dp/4828413170/ リットン報告書というのは、上記の本の紹介を見れば分るように非常に長く、難しい英文で書いてありますので、英語力がよほど高い人でないと読むことすら出来ません。英文の原文を入手するのも困難でした。 よって、今までは「リットン報告書を読まずにリットン報告書を論じる」などという行為が横行していました。 ご紹介した本でリットン報告書を実際に読み、解説を熟読してご自分で検討してください。

  • yatoaa
  • ベストアンサー率30% (110/362)
回答No.2

イギリスの思惑 ・日本が満州へ侵攻したようにイギリスも香港、上海地域へ  侵攻(租借など)をしていたので日本だけを攻め立てることが  できなかった ・アメリカも遅まきながらも中国へ侵攻を計画していて  イギリスはアメリカのその意図を知っていた ・中国が弱くなれば侵攻、侵略がやりやすい ・中国北部方面に日本軍が居ればソ連への防御となる ・中国の指導者(孫文、蒋介石、毛沢東・・)に対して  イギリスは親しみを持ってはいなかった ・過去に日英同盟があり、日本への感情は良かった というところでしょうか しかし日本がイギリス、アメリカからの「中国分捕り3分割計画」 を拒否して、中国全土を日本のものにしようしたころから イギリス、アメリカの態度が急変したのです 三国志風に言えば ・辺境、蛮族の地(万里の長城より北)は「日本」 ・魏の国(北京その他)は「アメリカ」 ・呉の国(河南省)は「イギリス」 ・蜀の国 山奥なのでほっとけば という分割案に対して日本は全部を手に入れようと して失敗したというところでしょうかね ・

sapiens-13
質問者

お礼

ありがとうございます。とてもわかりやすかったです。 参考にさせていただきます。

  • k0shir0
  • ベストアンサー率14% (2/14)
回答No.1

ちょっとニュアンスの違いがあるようです。 日本が占領を完成しつつあったので、満州における日本の権利を尊重したわけですが、満州国の成立までは認めなかった、ので、これに不満を抱いた日本側が国連脱退へとつながっていく訳です。イギリスの策略的なものではないんじゃないでしょうか。

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