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国際連盟は全会一致の原則なのに,反対者がいたリットン調査報告は採択されたのですか。
標題のとおり。国際連盟は議決法式に全会一致を採用していたと習います。また,日本は日本が反対したのにもかかわらず,1933年の臨時総会で国際連盟はリットン報告書を採択したので,日本は国際連盟を脱退したと習います。これって,矛盾しませんか。日本が脱退したから採択が成立したのでしょうか。それとも議決法式には例外があったのでしょうか。
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回答にあたって参考にしたのは… 東京朝日新聞(昭和8年2/25号外)の中の「事実上ここに決裂/劇的総会の幕閉づ」なので、市販で手軽に入手できるものとなると、ちょっと思いつきません、すいません。 ただ連盟脱退演説時の号外にはこれ以上、細かいのはないだろうというくらい、脱退時の模様がかかれてます。 イーマンス議長は午後1時20分に木槌を打って、この「みなし満場一致」規定を議場で読み上げてから表決に入ったそうです。この間およそ5分。イーマンスはフランス語のアルファベット順に各国の意向を尋ね、日本だけ「否」の答え、これが1時27分。 あと面白いのは欠席が12国あったというところでしょうか。イラクも欠席してます。あとは南米の国が多いです。
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↓当時国は当事国、変換ミスです。 正解は議決方式に例外があった、という事です。
お礼
ありがとうございます。ずっと気になっていたんです。ありがとうございます。ところで,この辺の事情がよくわかる参考書があれば教えてもらうとうんとうれしいです。
マニアックな話で恐縮ですが… 国際連盟規約第15条第10項 です。 紛争当時国は除外してもよい、という規定です。 紛争当時国以外で反対票が出なければ「みなし満場一致」として満場一致と同じ効力が出たのです。 つまりは日本は紛争当時国なので反対票を投じても、大勢には影響を与えず。 イーマンス議長は「可決」すなわち採択を宣言しました。
- tanuki4u
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つらつら 検索したら。 採決はしたが、採択はしなかったようですね。 採決したことに対して、「やってられん」と松岡退場。 ということのようです
補足
ということは、たとえば,中学教科書『新しい社会 歴史』(東書)「国際連盟は満州事変の調査を行い、1933年、総会で,満州国承認の取り消しと日本軍の撤兵を決議しました。」(p169)の記述は誤りということになりますか?また、『史料による日本史 再訂版』山川出版「日本国全権松岡洋右は激しく反対したが、結局42票対1票(日本)で、この報告書が採択された。」p148も誤りということになるでしょうか。
お礼
本当にありがとうございました。マニアックといわれようが何といおうが、こういう事実で納得できたときこそ本当に質問してよかったなと思えます。永年の疑問が解けてうれしいです。ありがとうございました。