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人が生きるのに必要なもの
ところ変われば生活様式も変わりますが 人が生きるのに必要なものとは 何でしょうか?
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>人が生きるのに必要な根源的なものというより >人の在り方の方でしょうかね。 必要なものという質問でしたから。 そのとおり、無です。 無くなるという事がなければ あなたの質問に終わりが来ないでしょう。 争いも食糧危機も欲望も問題も何もかもなくなりませんよ。
「富」でどうでしょう。 では富とは何か。 それはその人の自由に。 その人にとって何が価値を持つかは変わりますから。 物理的富 精神的富 その他富 とはいえ、私としては 老子的な、富なんて物があるから 人は争うというような皮肉的世界観のほうが好きですが。 つまり、無ですかね。
お礼
富 それを言うなら 豊かさ の方がそれが連想させるものは 人が生きるのに必要なものは というのにあっているような気がします。 わざとはずして言わそうとしてますか? それはともかく 回答ありがとうございます。
補足
>つまり、無ですかね。 人が生きるのに必要な根源的なものというより 人の在り方の方でしょうかね。
- tokyojack
- ベストアンサー率0% (0/1)
NO9のアンサーバックです。 当初、私も唯物論者でした。従ってそのような現象面に捉われていましたが、唯神実相論を学ぶことによってそれを解決する事ができました。つまり「観」の転換です。現象世界は『心』の投影です。法華経の奥義の十如是の観法に依れば、別の言葉で言いますと『超時空・平等観:時空制限・差別観』この二観を総合した中道観です。 試みにこの法に依って大宇宙を見るというと、空漠たる無際限は『相』です。この空漠のものが森羅万象を現象する『性』で、これが宇宙の体であります。その体の見える力に依って『作』すところの動作が『因』となり、因をたすける『縁』が生じ、その結果、森羅万象が現象され『報』としての万象が活動します。(中略)実相と現象の双方を統合して総合する力『本末究竟じて等し』と言う平等観を加えて成立つと言うのです。 此処が難解難信であり、唯佛興物乃能究盡という事になるので有りましょう。宗教と(宗)は本・元であり、(教)は教えとなります。科学と違い五官に触れる形で顕れるものではなく、現象の完全否定のなかに実在するものです。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 車の両輪だと思っています。 バリバリの唯物論者でもなければ唯心論者でもありません。 太極図で象徴されるところの陰陽道 大きな船丸ごと救おうとする大乗仏教の観点からしても 矛盾するものではないと思っております。
補足
ゲシュタルトの祈りというのがあります。 わたしはわたし あなたはあなた わたしはわたしのことをやり あなたはあなたのことをやる わたしはあなたの期待に応えるためにこの世にいきているわけではない あなたはわたしの期待に応えるためにこの世にいきているわけではない あなたはあなた わたしはわたし もし 二人が出会えれば それはすばらしいこと 出会わなければ それはそれでしかたがないこと 仰るような世界 宗教とはそういう質のものであると思っています。 宗教に携わる方にはまたそういう世界があるのかもしれないですが 今のところそういう世界に浸ろうとも思っておりません。
>太陽や地球 >地面 >海 >といった自然は人が生きていくうえで >必要ではありませんか。 >真っ先に出ると思ったのですが。 そんなことを聞きたかったの? 要するに、質問の回答を得たい質問ではなく、自分の賢さを示したいだけの場を持ちたかった。 そういうことで良いかな?
お礼
僕は賢いのですか? 貴方はそう感じたということですね。 世間を見渡せば賢い人は大勢いるでしょう? 生きることや考えることにおいて 実践において そういう人がここに参加していないということだけなのではないでしょうか。 名立たる知識人がここに集ってきているとは思えないですけど。 世界はもっと広いんではないでしょうか ね
- taco8ch
- ベストアンサー率7% (11/146)
>人が生きるのに必要なもの 人です。
お礼
そうですね。 個の生活も様々な人々の営みによって成り立っているわけですから 少子高齢化は社会問題でもあります。 少子化は何故は何故起こると思いますか? と門戸を広げてしまったら収拾つかなくなりますね。 回答ありがとうございます。
補足
高齢者も財産として活用されていくべきだし されていかなければ今の社会は成り立たなくなるのではないかと思うのですがどうでしょう? 年金のことも含めて。 人が生きるのに必要な根本的な基盤の安定化とあわせて。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
>必要不必要の線引きは必要なのでしょうか。 >生きるのに必要なものとは何か >それをはっきりと認識し >その基盤を見失わないということが >人の安定した生活を目指すにはまず大切なことなのではないかと思うのです。 呆れました。 なぜなら「何が必要でしょうか?」という問いの時点で、必要と不必要の線引きを暗黙のうちに肯定しているのです。 実際、各回答者に対するお礼欄でも、amaguaeruさんがご自身の判断で恣意的に必要と不必要を線引きしているように思います。 自分が線引きしておきながら、他人が同様に線引きすると途端に疑問に思うのは、少なくとも公正ではありませんかね。 私は、この問いの前提として「必要と不必要の線引き」が必要なものとされていると思っていました。 しかし、そうでないというのなら、それでも結構。 もし、「必要と不必要の線引き」が不要なら、amaguaeruさんが求める「基盤」も不要ですし、安定した生活など目指すまでもないし、何かを大切にする必要すらありません。 その条件で言えば、答はがらりと変わります。 人が生きるのに必要なものとは何か。 生きているという条件さえ満たせば、「生きるためのもの」などは不要ということになります。 つまり、条件を満たすために必要なものは「生命(生きているという状態)」。 トートロジーで不満かもしれませんが、しかし生命なくして生きることはありません。 あえて「生きるのに必要なものとは何か」を認識したり、「その基盤を見失わない」ようにしなくとも、生きている人は生きているのですから、すなわちそうした疑問を抱くこと自体(それが安定した生活のために大切だと思うこと自体)不必要なことです。 疑問に思わずとも生きることはできますから。 この質問自体、生きるためには本当に必要なものであるとは言えない、ということでもあります。
お礼
ここからここまでは必要ここからは不必要という明確な線引きは 今のところできないだろうと思っていますししようとも思いません。 歴史を遡ればある程度見えてくるものはあると思いますが。 ただある定常状態に落ち着くだろうことは想像できます。 ここでは人が生きるのに根本的に必要なものとは何でしょうかということにしてみました。 太陽であったり 地球であったり 空気であったり 海であったり 水であったり 飽食で大量の廃棄物としない食物であったり 寒さを防ぐ衣類であったり 住まいであったり という答えを期待したのは事実です。 そしてそれは基本的な生活のための 誰もが分かり切った事の様に考えられがちですが、 今はそれが見えにくくなってきているのではないかと感じたからです。 それがあれば本来人は生きる事ができ、また安定もします。 ではそれを超えてどこまで人は豊かさを求めるか。 その辺が線引きといえば線引きとなっていくものと思いますが。 それを今ここでは 人は生きるのに根本的に何が必要なのかという事を 明確にしておこうと思ったのです。
補足
線引きは個の価値観によってされうるものでもないと思いますし こんなところでこのぐらいのことはいいのではなどと言い合っていても 意味のないことですし。 そうは思いませんか?
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
「生きる」というのがどこまでを指すかにもよります。 生物として生きるなら、食料、水、空気、適切な温度などの「環境」ということになるでしょう。あとは命をつなぐための適度な食欲なども必要です(食料が目の前にあっても食べなかったらなんにもなりませんからね)。 死ぬまいとして生きるなら、さらに必要なのは外敵から身を守るための「知恵」も追加されましょうか。 社会人として生きるなら、言語、道徳などでしょうね。 貨幣経済の中で生きるなら金なしでは仕方ないし、情報化社会にあっては携帯やパソコンがなくてはならなかったりもします。 もちろん、そんな中で生きていかなくともいい、ということも考えられますし、どこらへんかで線引きをすることになるでしょう。
お礼
必要不必要の線引きは必要なのでしょうか。 生きるのに必要なものとは何か それをはっきりと認識し その基盤を見失わないということが 人の安定した生活を目指すにはまず大切なことなのではないかと思うのです。
- tokyojack
- ベストアンサー率0% (0/1)
『諸法の実相』:諸々の存在の奥にある実在を知ることです。実在とは森羅万象あらゆる現象界のものの本源であり、これのみが、常に未来永劫に生存して、無くなったり亡ぶることのない、常に光明輝く幸福そのもの、生命そのものであります。この本源だけが、宇宙に充ち満ち、横溢唯一実在の生命の実相であって、その餘のものはこの世界に絶無なのであります。実在のみが本当にアルのであって、その他のものは、本当に存在ではない。現象の万物・ありとあらゆるものというものは、その実在界からの投影として、私達の五官の世界に認識されるものであります。従って実在の相のままに、五官の面に投影されるならば、私達の五官面における生活も至上の幸福だけの生活となります。私達が認識可能な範囲での森羅万象総てということになります<心眼を開くことです> 以上
お礼
回答をありがとうございます。 人が生きるのに根本的に必要なものは 宗教以前の問題なのではないでしょうか。 世界を見渡せば それが不足するとき、道徳や宗教の枠を超えて 戦争や犯罪が発生しやすくなるのではないでしょうか。 心眼で眺めるだけでは飢えは無くならないし、寒さを凌ぐことはできないでしょう。 あえて盗泉の水は飲まずといって餓死した傑物のことが史記列伝だったかにのっていたりしますが。
補足
確かに人の欲望というものも深くかかわってくるものとも思いますが。 一度贅沢を覚えた者は元に戻らないというのもよく耳にする言葉ではあります。
No.6です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 人はパンのみに生きるにあらず というのはどういう人に向かっていった言葉だと思いますか。 愛を唱える精神性だけでは人は生きられないですよね。 人が生きるのに根源的に何が必要だと思いますか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ このような補足内容をもらったのですが わたしの書いた回答は そんなことは まったく 言っていないのですが どうしたものでしょう。 そのつながりについて あらためて おしえていただけますでしょうか。
- ANASTASIAK
- ベストアンサー率19% (658/3306)
おカネです。 カネじゃないという人もカネです。偉そうな人生訓を口に してもおカネなしでどうして生きて行けますか。 カネがあれば何でもできます。
お礼
おカネは流通過程における道具ですよね。 根源的なものではないように思いますがいかがでしょうか。 道具では人は本来生きられないのではないでしょうか。 人が生きるのに必要なもの その根源的なものを見つけ それが満たされるとき 戦争や犯罪は起こりにくくなるのではないかと思うのですが いかがでしょうか。 ニュースなどの映像を見ているとイスラムの大多数の人たちは どうやって生きていっているのだろうと思ってしまいます。
補足
人が生きるのに必要な根源的なものが それが安定的に満たされる社会であるとき 人は犯罪に陥りにくいのではないかと思います。 道具は生活を豊かにさせるけれども 生きるのに必要な根源的なものではない のではないでしょうか。
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お礼
そうですね 締め時でしょうか。 そうそう 豊かさは 満ち足りた安定した社会において 自ずと発生していくものだと思います。 皆様 様々な回答をいただきありがとうございました。