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秀吉はほんとうに農民だったのか?
豊臣秀吉はよく貧民出身だといわれていますが 数々の建築物を建てています。 もちろん、自分自身がトンカチを握って 現場監督をしたわけではありませんが それでも、秀吉の意志が感じられる建築物が たくさん残しています。 こんな秀逸なものを残すことができた人物が あの当時の農民だなんて なにか疑念がかんじます。 本当のところ秀吉は、なんかの技能集団ではないだろうか? よろしくお願いします。
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秀吉の父親は織田家の領地に属する半武士半農民の身分だあったと思われます。 戦場に動員されてその時の負傷で体が不自由になり動員対象からははずされて農民となったとおもわれます。 従って農民と考えてよいでしょう。 しかし当時の農民は兵士でもあって厳密な意味では区別はありませんでした。 このような境遇から商売の道に進んだようで早く言えば行商を行っていたとおもわれます。 この職業は各地に流浪し情報が自然に集まる所から各地の地理、人情、政情に通ずる事になった可能性があります。 秀吉個人としては職人としての経験はありませんが人脈、風習に関する情報を収集しこれを最大限に利用したのが人間を組織化する特徴を培った結果だと思います。 有名な墨俣築城は蜂須賀小六配下の人数を動員して僅かの日数で組み立て式の築城に成功したわけですし、炭薪奉行としての成功は立木の計算を正確に行う方法を考案したせいでした。
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ありがとうございます。 当時地位の低い?農民を自ら名乗るとは よほどメリットがあったのでしょうね。
- makisimu
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よく分りませんが豊臣秀吉は農民なのに当時苗字を持つ人が少なかった時代に木下という苗字がありましたからねぇ・・・
お礼
ありがとうございます。 当時きちんとした 名前があるだけでもそれなりの地位といえますね。
当時の農民だったら土木・建築などは農作業・生活の一部だったのではないでしょうか
お礼
ありがとうございます。 当時の農民にそれだけのインテリジェンスが あったとは???????
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お礼
元は農民だから間違いではないが 正確に言えば、商人が秀吉の本質ですね。 ありがとうございました。