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人間関係で困っています
- 長年精神科に通院しているわたしは、人間関係を上手く築けない悩みを抱えています。最近は親友との歯車の食い違いが続いており、困惑しています。相手の反応が理解できないことによって、心の中が乳白色の霧で覆われるような感覚に囚われています。また、ある女性の親友からの突飛な嫉妬心にも心を乱されています。自分の人間関係はALL or Nothingであり、処世術や気分の切り替えが苦手です。彼女の言動に失望し、悩みが募っています。
- 人間関係というものは、上手く築けるものではありません。わたしは長い間、精神科に通院していますが、人との関わり方には苦労しています。特に最近は親友との食い違いが続いており、理解不能な反応に困惑しています。かつて尊敬していた親友が突飛な嫉妬心を抱いていることにも心を乱されています。自分の人間関係は全てか、何もかのとうごめないという傾向があり、処世術や気分の切り替えが苦手です。彼女の言動に打ちのめされ、悩みが募るばかりです。
- わたしは人間関係を築くことが苦手で、長年精神科に通院しています。最近、親友との歯車の食い違いに困っています。相手の反応が理解できないことに頭を悩ませ、乳白色の霧が頭を覆うような感覚にとらわれています。また、同年輩の親友から突飛な嫉妬心に悩まされています。自分の人間関係は全部か、何もかの動きをしにくいという傾向があり、処世術や気分の切り替えが苦手です。彼女の言動に失望し、悩みが深まっています。
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>「ああ、もういいよ!!!」と、 心の中で 結んであった紐がふっとほどけて離れていくような感じに囚われます・・・ :このへんが鍵になりそうですね。 どうも、元々結ばなくていい紐を結んでいるのではないか、という印象を受けるのですがどうなのでしょう。 「結ばなくていい」というのは正確ではありませんね。 pokochan2さんにとっては必要だからこそ結んでいる紐のはずですから。 ただ、無理な結び方をしていると結ばれているもの(こころ)は窮屈に感じますし、そのこと自体が抑圧としてまた他の方面へも不自然な影響を及ぼすことになります。 ですから、妥協案として、結ぶ位置をずらす、あるいは結び方を変えることに少し留意されてみてはいかがでしょうか。 嫉妬もそうですが、ヒステリーとはリビドーの顕現形態のひとつと言って良く、愛情を要求したい相手に対して発揮されるものでしょう。 いずれにしても、人間の本能的部分の発露なわけですから、この本能的な部分で満たされていないことの証だと思われます。 それを超自我の立場で判断しようとすると、「>見損なっていた」ということになってしまうわけですが、これは当てる物差しが違っているようです。 「>尊敬している年上の親友」というのは超自我性に対する評価ですね。 しかし、彼女には彼女なりの損得計算も当然あるでしょうし、何より一人の生身の女であるわけでしょう。 本能的部分を垣間見せるだけかわいいもんじゃありませんか。 「>それほどわたしに信用がなかったのか・・・」と落胆するのは筋違いであって、信用があればこそ生身の自分をぶつけてきたと捉えるべきではないでしょうか。 pokochan2さんがどの部分で対応して誤解を解いたのかはわかりませんが、「解く」ことが最優先課題であったわけですから、それでよしとするだけで十分でしょう。 「解こう」という努力自体が誠意であったわけで、それは彼女に十分通じているように感じます。 そして、次に紐を結びなおす際には、少し緩めに結んでおくと良いでしょう。 尊敬すべき超自我的存在としての要素に対する期待度を少し下げて、女としての本能的な部分、現実に対処していくための自我的逞しさ、といったようなことも含めた彼女全体を愛することができるようになれば、多少楽になるのではないかという気はします。 楽になるということはゆとりにつながりますし、そのゆとりがお二人にとって少なくとも悪影響を与えることはないでしょう。
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- shift-2007
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お互い様なんですよ。 みんな未熟で不完全な存在なんだから それを踏まえないと話が先に進まないじゃないでしょうか。 自分の負の部分を受け入れてほしいと思うなら、他人の負を 受け入れる必要があるんだと思います。 別の言い方をすれば、他人の負を受け入れられれば、自分の負も受け入れられるんじゃないでしょうか。 皮肉なようですが、それができれば洞窟の一人暮らしも可能だと思います。
お礼
>他人の負を受け入れられれば、自分の負も受け入れられるんじゃないでしょうか。 ご指摘、よく考えてみたいと思います。 いつもお答えアドバイス、ありがとうございます。 PS、 先の「病名をつけることの是非」の質問ですが、 わたしも良回答20ptの方の意見に全く同感です。 人間関係を築くことができない。 それがアスペルガーなのかボーダーラインなのか、ACなのか? そういうレッテル貼りはどうでもいいのです。 要はこちらは病名(障害名)はどうでもいいから何とかしてくれ!という気持ちで精神科に足を運ぶわけです。 無論今では精神科に何が出来るかという気持ちですが・・・ ただ、病名云々以上に「あなたはこういう人だ」という医師の意見に左右されることは危険だし、医師の意見を鵜呑みにすることの危険はあると思い増すね。「あなたは空気が読めない人だね」と医師に言われて、 「ああ、自分は空気が読めない人間なんだ」と、根拠もなく萎縮することは害以外の何物でもありません。 医者は病気を生み出すのではなく、正確に診断し、快方に導くことが仕事です。
- hipotama
- ベストアンサー率50% (116/231)
「わたしは人間関係を上手く築けないということで長年精神科に通院しています。」 とありますが、診断名は何でしょうか。 私は専門家ではありませんが、「人間関係がうまく築けない」ということである程度病気の種類は推察することができます。 「時間が臭いものに蓋をしてくれますか?」とありますが、それについて少し書きます。 健常なな人は日常の生活において、いろいろなストレスを受けます。 それは、時間が経つことによって癒されるでしょう。 しかし、精神科通院レベルでは「時間によって癒される」というのは、少し無理かなと思います。やはり薬物療法やカウンセリングなどの専門的な治療を受ける必要があります。 人間には自己回復力がありますが、ガンにかかったときに時間が癒すということでそのままにしておくでしょうか。 あなたの回答歴やブログを拝見させて頂きました。この質問文は文体から女性かなと感じました。ブログを見ると男性のような感じを受けました。 この質問板への投稿の動機を分類した人がいます。そのカテゴリーに当てはめると、「会話を楽しむ」タイプになるのでしょうか。
お礼
>この質問板への投稿の動機を分類した人がいます。そのカテゴリーに当てはめると、「会話を楽しむ」タイプになるのでしょうか。 そうですね。他にどのような動機が挙げられているのかわかりませんが、 広い意味では「会話を楽しむ」と言えなくもないでしょう。 ただ過去の幾つかの質問のお礼にも書いたのですが、 わたしは「ダイアローグ」によってより真理に近づけると思うタイプなのです。よく例に引くのがソクラテスの「産婆術」です。 「ああか?」 「いや、こうじゃないか?」 「そうではないのではないか?」 そういう対話の積み重ねを経て、円環的に真理に到達するというスタンスで、解答そのものよりも過程に比重を起きます。 Q「?」 A「!」 ・・・これではなんの面白みもないのです。 >ブログを見ると男性のような感じを受けました。 はい。男性です。 あのような駄文にまでわざわざ目を通していただき恐縮です。 まともに見る人はいないという前提で書いているので、あんな感じです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
こん○○は、hakobuluさん。 (多分こんばんはでいいんだと思いますが) 彼女はわたしにとってかけがえのない人だけに困惑も大きいのです。 ・・・「心という海」を教えてくれたのも、BLUE時代に頻繁にお答えくださっていたhakobuluさんのお答えを読んで彼女が教えてくれたのです。 そしてわたしがhakobuluさんとこのような形であれ知り合えたことを 「よかった」と言ってくれています。 >「解こう」という努力自体が誠意であったわけで、それは彼女に十分通じているように感じます。 これは誠意という以前に損得勘定です。 >「解く」ことが最優先課題であったわけですから、それでよしとするだけで十分でしょう。 そうですね。今更あれこれ穿り返したり、分析したりしても不毛ですね。 こういうのを無意識に望んでいた解答と言うのでしょう。 何故こちらに敢えて質問したかお分かりでしょう? ありがとうございました。