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出生前診断について

高校生です。 学校の課題で出生前診断は法律を犯す可能性があるのに、なぜ行われるのか?というものが出されました。 自分は障害児を養っていくのは医療費がかなりかかるからくらいしか思い浮かびませんでした。 ほかにどんなことが考えられるでしょうか?

みんなの回答

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.4

単純に考えて、医療技術として確立していて、生まれる前に障害の有無があるのかわかるのに、それを見ないふりをすることがはたしていいのか悪いのかということが倫理的な問題です。 どのような家庭でも子供が健康体で生まれてほしいと願うのは当然ですよね。単に医療費がどうだとか、自分が大変だというのだけではありません。自分の子供が将来幸せになってほしいなら、障害の度合いにもよりますが、一生それと向き合って生きなければならない子自体がかわいそうだとも思いますよね。それなら、生まれる前に、まだ意志のない生命の時点で中絶することの方が良いのかもしれない、、そう思うことだって決して自己中心的だからという次元の問題ではないでしょう。ただ、障害をもって必死に生きている人は「そういうことをみとめることは、自分たちが生きていることを否定している」と主張するでしょう。 でも、考えてみれば矛盾していますよね。仮に、健康体で生まれなかった場合(この表現に誤解があればすみませんが)であっても、どうにかしてそれを直そうとします。それについて、否定する人はいません。ただ、生まれる前にそう願うことは否定されるのです。障害があるとわかったら中絶するから問題だ、という意見もあるでしょうが、それなら中絶しなければ出生前診断はありでしょうか?さらに、障害があるとわかっていながら子供を生まなくてはいけないということにはたして人は耐えられるのか、難しいところです。 もっとも、親の遺伝性疾患などで子供が障害を持つリスクが高い場合はいいのか?という議論もあります。病気を持っている親が自分の遺伝子が優勢だったら発病するので、とてもじゃないけどそんなリスクを負ってまでは、子供がかわいそうで産むことができない、という人もいます。この場合、普通の人と違うのは「子供が障害を負うリスクがかなり高いという事実が事前にある」ということです。そういうときに限っては、その病気の有無を出生前診断として調べて産むかどうかを選んでもいいのではないかという議論もあるでしょう。 高校生でこの問題を考えるのは大変でしょうが有意義だと思います。課題は法律を犯すのに、、、との主張のようですが、あまり法律だからダメよいといった基準で物事を決めるような思考にはなってほしくないです。法律はあくまで人間が作るものであり、万能でもなければ、時代により変化する可能性もあり、それ自体が倫理的に正しいかはわかりません。実際、仮に特別な場合に限ってそれが認められるというコンセンサスがとれたとしても、「法律」により「出生前診断による中絶が可能」となること自体を、障害者の方は気にします。なぜなら、国として障害のある者が生きることを否定しているようにもとれるからです。先端医療の難しい問題がここにあります。本質的な意味で、この問題をあなたはどう考えるのでしょうか?

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

例えば母子感染ってありますよね。 母親がキャリアだと胎児が感染する危険がある。 母親がHIVウイルスに感染していたら、胎児がHIVウイルスをもらってしまう可能性が高くなるわけです。 拳銃よりHIVウイルスの入った注射針を向けられる方が恐怖。 何故なら銃で撃たれても助かる確率がありますが、HIVウイルスだとほぼ全員がそれによって免疫力をそぎおとされ死亡する。 HIVは発病するまでの期間が長いので、キャリアだという自覚が無い人が多いんですね。 妊娠したから事前検査やって、ついでにまさかと思うけどHIV検査も一応と思ってやったら自分はキャリアだった。。。。って人いると思うんです。 そうなったとき、どうするか。 母子感染で生まれた子供がHIVで瀕死になっている映像を見たことがあるでしょう。 HIV以外にもいろいろなウイルスによる病気があります。 B型肝炎とかC型肝炎ウイルスは怖いですが、キャリアだと出産前にわかり、母子感染したとわかれば、子供を育てる上で注意が必要になります。 もちろん子供を育てる以外でも、出血しない、むやみやたらに性交しない という注意が必要ですが。 また、ウイルスに種類によってはワクチンがあり、発病前にウイルスを殺せれば発病をまぬがれることができる場合もある。 母子感染した場合、いつワクチンを投与するのかはわかりませんが。 母体にいる地点で今手を打てば助かるとなれば、胎児の時治療するでしょう。 中には胎児を検査して脳に腫瘍があり、摘出しなければ死ぬ危険があるとわかるケースもある。 そのままだと無事生まれても数日しかもたないと判明するケースもある。 でも、それが事前検査でわかれば、その方面の治療が得意な病院で医療チームに出産と同時に手術してもらえば、数日で死亡 あるいは一生残るはずの障害を回避できるわけです。 内臓が癒着していると体内にいる地点で判明する場合もあります。 胎児の時に処置できるのなら、胎児の時にやるし、母体の危険を避けるために、出産後ただちに処置する場合もある。 このように事前に検査することで、今まで助からなかった子供が助かり、今まで生まれても歩くこともできないとされた子供や もって10年だろうとされた子供が、障害を持つことなく何十年と生きられる可能性が増すわけです。 ダウン症は出生前審査でわかりますが、でもだからといって中絶をすることは法律で禁止されています。 事前検査したためわかってしまったわけです。 このことを母親に伝えるか聞かれなかったら黙っているかは医者次第だと思います。 事前検査でわかって、治療可能 あるいは処置によりリスクを減らせるものならら、医者は解決策として提示するでしょう。 出産前の検査は、母子の幸せを願って行われるものだと思います。 治療可能なものであれば、できる限り早めに方針を決定し対処に備えたほうが、危険のリスクが減る。 そういったなるだけ対処できるものは事前に検査して対処して、母子ともに、なるだけ不利益を将来得ないようにという配慮からじゃないかと思います。 国は国民がなるだけ苦労をしないように考えながら政策を作っています。 医療費がかさむからという理由だけじゃなく、国民の幸福を願ってだと思います。

  • mei4792
  • ベストアンサー率33% (59/175)
回答No.2

こんにちは。 自閉症という障害を持った子の母です。 息子は自閉症のほかに、先天性心疾患も持っています。 さて、私の気持ちを正直に書かせていただきます。 障害……本音で言うと、「他人事」でしかなかったです。 「私だったら障害のある子供は育てられないな」と思っていました。「障害」というのは、ただ大変なだけで、いいことなんて全くない、不幸なことだ…と思っていました。 授かった子は、自閉症という障害を持っていました。きっと、周囲から見たら「大変な子育て」だろうと思います。「壮絶」と表現された方もいましたね(苦笑)。 ですが、今になって思うのは、「不幸」ではないということです。もちろん、大変な部分もそれなりにありますけどね(笑)。障害を持った子でも、とてもいとおしいです。 ですが、こちらの板でもたまにお見かけいたしますが、 「障害のある子は欲しくないので、出生前診断を受けたい」 という内容のことですね。 社会が「障害者」を受け入れている状態ではないから、障害を持っているとそれだけで「お先真っ暗」に思えてしまうのではないでしょうか。 (実際、わが国の福祉関係については本当にトホホ状態です…興味があったら『障害者自立支援法』を勉強してみてください) 自分が障害児・者とかかわったことがない人にとっては、「障害は怖い」としか思えないのでしょう。 親として健康な子を願うのは、当然の気持ちです。 だから、出生前診断を受ける。 ただ、色々な事情をお持ちの方もいます。 たとえば、遺伝的な要素が強い先天的な疾患を持つ方などは、調べることがあるようですね。 たとえ出生前に、なんらかの病気や障害が発見されたとしても、「産む」という選択をされる方も大勢おられます。出産前から心の準備をするためです。 実際、出生前診断でわかる病気や障害は、ごくわずかです。 私の息子のような「自閉症」は出生前診断ではわかりません。 心疾患も生まれてから、初めてわかったたくらいです。 生まれて数年しないと判明しない障害もありますよ。 少しでも参考になりましたら幸いです

回答No.1

はじめ淡々と答えても良いかと思いましたが、 何とか応えてやりたいと思い直し、書き込んでいます。 私も学生の頃は、障害の自体を減らせば 世の中がもっと平和になって良いと思っていました。 それだけ障害を怖れていたのかも知れません。 不自由を抱えることの選択をする意味さえ分かりませんでした。 なぜ障害をあらかじめ除くようにできることが法律で規制され、 不自由を強制されて生きなければならない子を育てなければならないか、 曖昧を許す大人たちの勝手に疑心を持ったことさえあります。 ところが、10年ほど経てば変わるもので、 今では心から愛おしく、障害を持つ子でも育てるのは構わないとさえ、 思ってくるようになりました。 それは、私が以前子ども達と関わるボランティアを していたり自閉症の子どもと接する機会があって 大人になる間際に変わることができた価値観でした。 それから以前テレビのドキュメンタリーで得た話では、 両親の生き生きとした姿に深く感銘を受けました。 不思議に親というものは子が持ちえないものを何とかして 傍においてやりたいと思うのでしょうか。 また他の子と違うということは、ひとつ喜びでもあるのでしょう。 誰よりもこの子の理解者であることの誇り。 手の掛かる子ほど愛おしいと思えるもので、 障害を持つことの不自由などより ずっと生き甲斐や遣り甲斐を感じる立場です。 医療費は補助金が下りるのでそこまで問題ではないでしょう。 地域の協力があり、障害を乗り越えて社会に参画されておられる方もいます。 あなたももっと色々な経験を積めば、 法律が何の為にあり、人生とは何であるか。 自ずと分かるようになってくるでしょう。 今は、もう一度、色々あなたなりに考えられる答えを 発表されると良いでしょう。

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