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Voltaire 寛容論

Les Japonais etaient les plus tolerants de tous les hommes: douze religions paisibles etaient établies dans leur empire; les jesuites vinrent faire la treizieme, mais bientot, n'en voulant pas souffrir d'autre, on sait ce qui en resulta: une guerre civile, non moins affreuse que celle de la Ligue, desola ce pays. La religion chretienne fut noyee enfin dans des flots de sang; les Japonais fermerent leur empire au reste du monde, et ne nous regarderent que comme des betes farouches, semblables à celles dont les Anglais ont purge leur ile. 信仰の自由において、日本人は人類史上最も進んだ国民である。その帝国では、十二の宗教が平和裡に共存している。イエズス会は、その十三番目になるはずだった。しかしまもなくそれは他の宗教を排斥しようとし、その結果何が起こったかについては、ご存知だろう。カトリック同盟がその国を荒廃させたのにも劣らない、恐ろしい内戦である。キリスト教が、流血の惨事をひきおこしたのだ。日本人は国を閉ざし、私達西洋人を禽獣の如く見なすようになった・・・。 Voltaire の「寛容論」の中の一節です。「les jesuites vinrent faire la treizieme,」と「La religion chretienne fut noyee enfin dans des flots de sang」の訳が特に自信がありません。 ご教示頂けましたら、幸いです。文字化けするため、アクサンタギュの類は省きました。

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  • Big-Baby
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回答No.1

Voltaireなかなか面白いですね。 >イエズス会は、その十三番目になるはずだった。  ここの訳はこれでいいと思います。直訳すれば「イエズス会は、13番目をもたらすためにやってきた」  ce paysのところは「この国」あるいはわかりやすく「フランス」でいいのでは?  La religion chretienne fut noyee enfin dans des flots de sang.  noyerとは「溺死させる」という意味ですから、直訳すると「キリスト教はとうとう血の海の中で溺死させられた」、まあ、「キリスト教はとうとう流血の惨事を経て絶滅させられた」ということでしょう。

kahe
質問者

お礼

ありがとうございました。

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回答No.3

ヴォルテールがなぜそこで12という数字を使ったのかすごく気になります。成句でないとすれば、実際上の意味で使ったのでしょう。12という数字を適当に使ったか、何かを読んだか。 12という数字はキリスト教において重要な意味を持つ数字ですが、ここでそのような意味で使っているのかどうか。つまり、12という数字は(1)12 使徒、さらにこれは(2)ヤコブの12人の子供たち、そこからさらに(3)イスラエルの12部族、という象徴的な数字です。 12の宗教が平和裡に暮らしていた、ということは、日本の宗教がいさかいなくまとまっていたというメタファーです。

kahe
質問者

お礼

ご指摘に感謝致します。 有難うございました。

回答No.2

kahe さん はじめまして 小国の誰かさんに読み聞かせたくなる 興味津津たるものを内包する高説です さて、本題です >faire la treizieme 通読すると12とか13とかに、ふと躊躇いをお感じになったのではないか 実際に、Voltaireが、読んだといわれるEngelbert Kempferの作品の中で 日本宗教は古来からの神道と伝来の仏教の二つが赤きものを見た時期も あったものの調和されていると書いてあり、12種類とはないようです 従いまして、12は13導入のまくらではないか このように推論しますと 約数が多く古来使用頻度の高い12に比べ、素数の13は、割り切れないなにか 敢えて言えば、“お邪魔虫”で このようなニュアンスの訳出しで淳良でしょう ご存知と思いますが、13関連の語句で boutique a treize, treize a table 13 a la douzaine, lettre M est la 13e de l'alphabet,consideree comme Malefique ここらからイメージをお掴みになると、いい訳が浮かぶかもしれません >dans des flots de sang 日本でのキリスト教禁止には、日本人同士の悲しい歴史を引き起こしたり キリスト教は(内包する“intolerantisme”から)高い代償を支払いながらも 自滅していったとサラリサラリ(血液はコレが一番?)と訳すことも可能ではないか 本論を書く契機と言われている-L'affaire Calas-を思い起こしてみてください ご不明の点は、何なりと。。。

kahe
質問者

お礼

浅学にして、あまり偉そうなことは言えませんが、例えば数字の11には、「嵐の前の静けさ」、あるいは一年が12ヶ月であることから「物事が成就する間際」という意味があるそうです。ご指摘の通り、ヴォルテールはここでケンペルの著作を見よと注を入れていますが、それはAudrey_Carvilleさんからご回答頂いたように、事実に基づく数字としてではなく、象徴としての数字であったのかもしれません。日本人にとってその13番目のキリスト教が、ある種「ユダ」的な意味合いをもつものとして受け入れられたという意かもしれません。転じて、これがキリスト教を禁教した鎖国「日本」の擁護論になっているという見方は、言い過ぎでしょうか。 私がこの文章を興味深く感じましたのは、「カラス事件」に対するヴォルーテールの憤りもそうですが、ナポレオン戦争の相次ぐ戦乱の中で疲弊した当時の西洋社会に、これは本当に正義の戦争なのかという、従来の一方的なキリスト教史観への内省が拡がりつつあったのではないかと感じられるからです(恐ろしいほど、現代的なテーマを含んだ文章であるように思います)。 皆様のご協力に、厚く御礼申し上げます。

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