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大阪や江戸での精霊流しは?
江戸時代の精霊流しは長崎では有名ですが、大阪や江戸市中でも行われていたのでしょうか?また長崎以外ではどういった形式で行われていたのでしょうか?
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昭和19年に書かれた柳田國男の「火の昔」の中の『盆の火』の章の中に、 「東京でも近頃まで隅田川の流燈會と謂って、薄い板の上に蝋燭を立てて、風に消えぬように都鳥の形に切った紙の覆いをかけて、川上から無数にこの明かりを流しました。」 「中国四国九州の海岸には、繁昌の港町が多く、そこにはこの盆の精霊流しを、夏の最も賑やかな楽しみの一つにして居りました。東北でも松島の瑞巌寺の流燈會というのが有名で、あの景色のよい島々の間へ、この火を流すのが実に綺麗でした。」 と出て居りました。精霊流しは元々御先祖の霊以外にもいる他の多くの無縁佛を送る神道の行事だったので、大昔からある行事だったはずです。 注:無縁佛の「佛」は「ほとけ」と訓読みにしますから、この概念は仏教が日本に入る前から存在した概念です。本来神道の言葉である「ほとけ」がどういう経路で仏教の「佛(ぶつ)」と混線して行ったかの詳しい考察が、柳田國男の「先祖の話」第46『ホトケの語源』に載って居ります。また、お盆も元は神道の行事でした。
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- nene-k
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私の実家は、大阪城の近くです。 中央大通りが平野川にかかる城東大橋のところで、毎年8月16日に精霊流しをやってました。 実家が引越ししたために、ここ何年かは行ってませんが、少なくとも10年前くらい前まではやってましたよ・・・(予想ではたぶん今もやってると思いますが・・・いや、やってて欲しい・・・) 戦前は、個々に川に流していたみたいですが、戦後は大阪市が大きな船を出して、そこに集まった人たちの品々(故人の好物とかお金とかを小包のように梱包して)を集めて運ぶ・・・という方式でした。 橋の上には、線香台とろうそく台が設けられ、市の職員のかたに荷物を渡したら、拝んで帰る・・・というのが毎年の恒例でした。 時々は、船が見えなくなるまで見送ったりもしましたよ。 小さい頃から当たり前の事だったので、そんなに少ない行事だとは思ってもみませんでした。 貴重な体験だったんですね。
お礼
ありがとうございます、大阪でも戦前からあったんですね。 実体験されたと言う事でとてもリアルに伝わってきました。僕自身は川に流す体験と言うと両親が蒟蒻に針を刺して流す針供養を見た事があるくらいです。都会に残る昔ながらの行事は不思議な風情を感じますね。これからも続いていって欲しいものです。 とても参考になりました、ありがとうございます。
お礼
回答いただきましてありがとうございます。 都鳥の形ですか、張子の様なものですかね。なんとも江戸らしい…。大阪や東京などでも復活させても良いように思うのですがゴミ問題など起こりそうですね。お盆が起源は神道の行事と言うのも初めて知りました。柳田本も探してみます。とても参考になりました。 どうもありがとうございます。 7