阿蘭陀カピタンの江戸参府は、自由旅行じゃありませんからね。幕府の厳重な監視下の元で実施された、重要な外交行事です。
なぜ新幹線(大阪-東京)経路と同じルートかと言えば、東海道新幹線が、旧・東海道(京都~江戸)とだいたい重なるルートを走っているからですよ。
東海道は、江戸時代の交通の大動脈です。一番メジャーなルートだったんです。もちろん、京都からは中山道で江戸に出るルートもありますが、険しい峠などの難所が多く、安全最優先の江戸参府には向かないルートと判断されたのでしょう。
江戸参府は、最初の頃は長崎~下関間で海路でしたが、危険だと言うことで陸路に変更になりました。日本海や太平洋などの外洋は、天候が良くても波が高く、荒天になれば命がけです。内海で穏やかな瀬戸内海航路とはまったく条件が異なります。
安全第一でこのルートに定まった、と考えれば良いのではないでしょうか。
また、ルートが固定化しているのは、天候や街道の状態による安全面の他に、警備や宿泊などの問題があると思います。東海道のように整備されていて、参勤交代に使われる大きな街道には、大きな宿場町と、カピタン一行の宿泊に適した宿(本陣など)があります。
瀑布は江戸参府一行と一般人の接触を固く禁じていましたから、警備体制も厳しいものだったでしょう。ルートが固定化すれば、その準備も滞りなくできます。
毎回ルートを変更するのだと、宿泊地とその手配、警備計画を、位置から考え直さなければなりません。数年に一度であっても、前例があれば対応はスムーズにできますが、初めてとなると、大変です。
現代でも、皇室やVIPがよく訪れる京都市の警察は、公安警備は非常に慣れていますが、滅多に来ない市町村では、他から援軍を募るなどして準備が大変になります。