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江戸時代に移動した象のエサ

江戸時代、アジア象が長崎から江戸まで移動したそうですが、移動中、エサはどうしていたのでしょうか?

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  • Kittynote
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回答No.4

「通航一覧 巻百七十五・巻百七十六」には餌のほか関連情報が 掲載されていますので、(移動中以外の情報も含みますが) 取り敢えず餌・水などの情報をピックアップしてみました。 あとは、御時間の許すときにでも、 下記原本画像にて詳細を御覧いただければと思います。 〇『通航一覧.第4/林韑編/国書刊行会/大正2.4』 ○「通航一覧 巻百七十五・巻百七十六」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/266 <266-276/308>(521頁下段-540頁上段) ●「通航一覧 卷百七十五」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/267 <267/308>(523頁下段3-6行目) 一 食物一日に草三荷つゝ、大豆七八升つゝ、水七升つゝ、 但、好物、芭蕉之葉にても根にても、あんなし饅頭、 禁物、鼠蟻大にきらひ申候、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/268 <268/308> (524頁上段最終行-下段2行目)※長崎2頭時※ 唯今二疋にて草六百斤程給候、 但すもふ取草、つたの葉、芭蕉、小さゝ、 (525頁上段1-2行目) 飼葉類、さゝの葉、かや、いたどり、葛、すもふ取草、芭蕉莖、饅頭、菓子類、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/269 <269/308> (526頁上段最終行目-下段2行目)※移動中以外※ 一 冬に至り青草無之時は、籾を穂莖ともに飼、あるひは、竹の葉、この外 青菜の類、大根等も喰せ申候、または大豆を煮さまして折節飼候儀も御座候、 ●「通航一覧 卷百七十六」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/271 <271/308> (530頁上段7行目-下段4行目) 享保十四己酉年二月、稲生下野守[按するに、御勘定奉行なり、]道中宿々へ 觸書之趣、…(中略)… 一 飼料者、竹葉、青草、藁飼候よし、道筋青草を間もなく喰候由に候間、 青草無之處者、竹之葉を用意いたし可申候、但し青草一日に三百斤程充飼候由 に候間、其積を以、少々充支度いたし置可申様事、 一 象呑水之儀、清水を飼候間、清水無之所者、 濁不申水を支度いたし置可申事、 (531頁上段13・14行目) 一 象通候道筋、一町に一ヶ所充、清水手桶に入指置可申事、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/272 <272/308>(532頁上段2-5行目) 大坂にて飼料一日に新藁二百斤、笹百五十斤、米六升、いたどかづら五十斤、 姫草九十斤、九年甫(※くねんぼ)五十、だいゝゝ百、清水一石五斗、 あんなしまんじう六十、酒九升、但三升充三度用ひ候由、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/273 <273/308> (534頁上段16行目-535頁上段15行目) 享保十四年五月、象飼料之儀に付品々聞合書…(中略)… 一 笹一日に百斤、但一斤百六十目之積之由、…(中略)… 一 眞菰一日に百斤、…(中略)… 一 まんぢう一日に百、是は一分饅頭にして、あんなし之積り、   江戸御買上之筈、但し小むぎまんぢう也、…(中略)… 一 ばせう一日に二三本宛、是は土際より刈葉付にして、…(中略)… 一 くねんぼ一日に二百、…(中略)… 一 藁、員數不知、是は申來次第納候筈之由、…(中略)… 一 眞かや百斤、…(中略)… 一 眞菰百斤、…(中略)… 一 笹百斤、…(後略)… (535頁下段6-17行目) 一 いたぶかづら 是は蔦かづら之事之由、 一 ひめ草 是は春生し候麥之様成物にて、只今無之由、 一 まこも 是は何方にも有之、 一 まかや 是は常のすゝき之事也、 一 竹の葉笹 是は常の唐竹類之葉に而は無之由、別に手本笹參り候、   外に道中に而飼料いたし候竹の子掛御目申候由、 右之通に御座候、外に、一 あんなしまんぢう 一 赤大唐米…(後略)… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949602/274 <274/308> (537頁下段4-15行目)※寸法、値段などは省略※ 象給物直段附 一眞萱…、一眞菰…、一葉笹、…一あんなし饅頭…一赤大唐米…一九年母… 一ばせを…一青蘆、…一眞笋、…一竹の子…一だいゝゝ…一すぐり藁、 …(後略)… 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

tahhzan
質問者

お礼

いやはや、すごい情報収集力ですね。感服致しました。それにしても、1日饅頭100というのは面白いですね。最後には将軍も飽きたようですが、こんな凄まじい食欲では、さにありなん、ですね。疑問は十分すぎるくらい晴れました。誠にありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • kagakusuki
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回答No.3

 長崎から江戸までは途中の関門海峡だけは船を使いましたが、後は街道を歩かせて移動しました。  餌に関しては藁、笹の葉、バナナの葉、米、草、九年母(クネンボ)というインドシナ半島原産で現在の蜜柑の祖先にあたる柑橘類(江戸時代には日本でも盛んに栽培されていた)、餡の無しの麦饅頭などで、バナナの葉は海外の物なので多分、ベトナムから長崎までの船旅の際に食べていた物ではないかと思いますが、その他のものは象が通る街道沿いの村や町の住人が用意させられていたようです。 【参考URL】  東京都中野区 東部区民活動センター > ぞうさん > 紙芝居「江戸に象が来た」   http://www.nakano-tobu.gr.jp/body082.html  The Herb of Ryukyu > 柑橘類   http://puremcolumn.ti-da.net/c188867.html

tahhzan
質問者

お礼

詳細な情報は、大変、参考になりました。当地の人々はさぞかし大変だったでしょうね。また、江戸に象が来た、の紙芝居は面白かったです。このような歴史の脇道のような話は、ある意味、ワクワクとしますね。ありがとうございました。参考になりました。

  • iki-sima
  • ベストアンサー率38% (7/18)
回答No.2

江戸到着後のことは未確認ですが、 『江戸時代 像が飯塚を通った』や 『江戸時代 像が山口を通った』でネット検索してみますと、次のようなタイトルで掲載されています。 参考になれば幸いです。 江戸時代 像が飯塚を通った 検索 [ 飯塚宿を通つた象はどこの国から来たのでしょう?: 私のお国自慢 筑豊 ] http://tikuhoiina.seesaa.net/article/290383328.html [グラフふくおか2・3月号 ] http://www.pref.fukuoka.lg.jp/somu/graph-f/200702/history/history.html 江戸時代象が山口を通った 検索 長崎から江戸まで、象が歩いた:日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080723/166086/?rt=nocnt

tahhzan
質問者

お礼

いやはや、面白いですね。特に、日経ビジネスの江戸に12年間滞在したという情報は、当然、初耳で、驚きました。象でこれだけ驚くんだったら、ゴリラやオランウータンなどを見たら腰を抜かしたでしょうね。面白かったです。ありがとうございました。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.1

こんにちは。 日本の江戸時代には移動するための交通手段として馬が使われてたようですから、馬の餌にする「干し草」など植物性の餌をアジア象にも食べさせたと思われます。 恐らく、長崎から江戸まで大きく重いアジア象を長距離移動させのに用いられた交通手段は大きな船舶だったと考えられますから、象の餌にするための干し草なども船舶なら大量に積めたことでしょう。

tahhzan
質問者

お礼

なるほど。船ですか。船なら大量に積めますね。そうですか。ありがとうございました。