- ベストアンサー
中国・韓国・日本の表記の語源
みなさん、こんにちは。 アジアの国々の英語の語源を調べています。 以下の3つが疑問で、自分なりに仮説は立ててみたのですが根拠もなく、 本当のところはどうなのか皆さんのお知恵をお借りしたいと思います。 わかる範囲で結構ですので、ご助言・ご回答いただければと思います。 1.東シナ海など、中国を「支那(シナ)」という場合がありますが、これは蔑称なのでしょうか?また、語源は英語の「CHAINA」からきているのでしょうか?それとも、「支那」という言葉は、古来から中国のことを指す言葉で、「CHAINA」が表記的にあてられたのでしょうか? 2.韓国を「KOREA」と英語表記するのは、「高麗(コリョ)」が語源でしょうか? 3.日本を「JAPAN」と表記するのは、マルコ・ポーロの東方見聞録中の「ジパング」が語源でしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1 うちにある字引にはペルシャ語のchiniから英語に取り入れられたと書いてあります ちなみに中国最初の皇帝、秦(chin)の始皇帝もペルシャ系民族の出と言われています 蔑称ではないと思いますが、国名に『中華』とつけるような異民族蔑視の立場からすると、当たり前の呼ばれ方でも異民族(特に長年『東夷』として蔑んできたのに、生意気にも偉大なる中華民族に対し戦争を仕掛けた日本人)に呼ばれるのは我慢がならない、ということはあるかもしれません 2 字引に語源が載っていないので分かりません 多分仰る通りかとも思いますが、伽耶も捨てがたいような気もします 3 うちの字引では、中国語のjih-pun→マラヤ語のjipang→英語のJapanという風に書かれています マラヤ経由ということは、マルコ・ポーロよりは東インド会社かもしれません ちなみにjih-punは勿論『日本』の当時の中国語読みでしょうね(現代の日本語でも『ジッポン』と読めますから大差無いですね)
その他の回答 (2)
- Horus
- ベストアンサー率14% (78/528)
1.china これと支那が同一で春秋以前からの秦であることは間違いないのですが、キリスト紀元頃のサンスクリットにすでに見出され、またアジア各地の民族が類似の発音でこれを採用していることから、おそらく始皇帝の権威が及んだ証拠でしょう。したがって、始皇帝存命中の流入かと。しかし、日本語の支那は中国仏教がインドから逆輸入したものと言います。ひょっとして弥生時代にもこう呼んでいたのかもしれません。 また、Singollo さんの言うペルシャからの移民であったとするなら、春秋時代以前にさかのぼることになります。普通には始祖は帝センギョクとなっていますが、いずれにせよ異説の入る余地が多分にあります。 2.korean <Kao-Li 高麗 で間違いないでしょう。 3.japan マレー語のjapang, japung を介したともいいますが、やはり、マルコポーロが jih-pun から採ったとするのが自然かと。しかし、日本でなく南洋諸島を漠然と意味していたかと。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「JAPAN」の由来がマレー語から、という説も納得なのですが、 自分としてはマルコ・ポーロがヨーロッパに紹介したという説が好きなんです (好き嫌いと、歴史的事実は別ですが)。 黄金の国ってあたりも、奥州藤原氏(大陸とも交易があった様ですし)の 金色堂あたりが伝わったのかな?とも思います。
- hinebot
- ベストアンサー率37% (1123/2963)
伝聞ですので、それなりの信用度ということで。 1について 「支那」の語源が「CHINA」ではなく、逆で「CHINA」の語源が「支那」であると聞いたことがあります。 2について その通りだと思います。 3について マルコ・ポーロの「ジパング」そのものというより、当時の中国(元)における「日本」(という漢字)の発音が、それ(JAPAN)に近いものであったということを聞いたことがあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 国名の語源の由来っていろいろあると思うのですが、 「日本」を「じつほん」と読み、そこから転化していったとすると、 当時(鎌倉時代くらい?)には諸外国の人たちは、 日本を「日本国」として認識していたということでしょうか? う~ん、想像すると深いですね。
お礼
詳しく、ご回答いただき、ありがとうございます。 「CHAINA」がペルシャ語の「CHINI」からきているのは、 初めて知りました。ということは、「CHAINA」も「支那」も そこからきているかもしれないわけですか・・・ 中国も、中国人という単一の人種ではなく、多民族国家だという事ですね。