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歴史的研究方法の学者について
- 「歴史的研究方法の学者」とは、歴史を研究し、一般的な原理を引き出すことを目的とした学者のことを指します。
- 「歴史家」とは異なり、歴史的な真実を追究することに特化しています。
- 歴史的研究方法の学者は、歴史を客観的に記述するだけでなく、どの出来事が「重要」であるかを判断する基準について議論しています。
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歴史学の本質的な問題を突いた文章ですね。 ザッと簡単に解説を試みたいと思います。 ●歴史学の大きな流れについて。 歴史の父と言われるのは、古代ギリシアのヘロドトスです。 西洋では、一応彼が初めて「歴史的記述」を行ったと考えられています。 しかし、この「歴史的記述」というのは、彼が聞いて回った事柄や伝承などをただ「記述」しただけです。(しかし、それについて彼は多大な努力を払っています) ルネッサンスに入って、失われた古代ギリシア・ローマ時代が意識されはじめます。(これが失われた時代が「中世」という位置づけ、目覚めはじめたのが「近代」、そして「中世と近代の間」が「近世」です。) このルネッサンス期に行われた歴史著述の目的は二つです。 「1、歴史的教訓を引き出す」と「2、国の継承権を主張するための道具とする」です。 これら二つの記述は、目的が目的なので、記述者の意図によって必ずしも正確な歴史記述とはなりません。(それが、「意図的改変」なのか「史料が少ないための思いこみ」によるのかを明らかにするのは難しいので、最近言われるように「歴史の捏造=悪」と評価するのは間違っています) そして、近代に入ると自然科学(の哲学)が発達したのと同様、歴史にたいしても「科学的な」意識が生まれてきます。 その事を明確に主張したのが、「近代歴史学の父」といわれるランケです。 彼は、「歴史記述は客観的でなければならず、そのために徹底的に史料批判をして、耐えられたモノだけが真実を語っていると考えるべきである」との「歴史哲学」を生み出しました。 「客観的」なのだから、ルネッサンス期に行われた「記述の目的の為に、歴史をねじ曲げる行為」を「捏造=悪」とした訳です。 そして、これによって「歴史」から「歴史科学」となり「歴史家」から「歴史学者」となったとの概念が生まれます。 しかし、これに異を唱える人が現れます。 いくら史料批判を試みたところで、所詮歴史記述とは「主観」が入り込む余地が大きく、「(自然科学のような)科学」にはなり得ないではないかとする批判です。 これをクローチェが「所詮、歴史記述とは現在の反映である」というような内容(ちょっと正確な言葉は忘れました・汗)を述べています。 つまり、史料(特に文字史料)自体も人が書いたモノなのだから、その時点で(書き残した人の)「主観」が入る。 そして、その史料を読む人(歴史家)も、今まで生きてきた経験や思想・価値観からくる「主観」が(無意識的に)入り込む。 故に、同じ「史料」を読んでも、その解釈は千差万別で定まることはない(また定める事は出来ない)。 だから、「歴史」とは所詮「現代」に利用される性質のモノである、というわけです。 そこで、疑問が生まれてきます。 疑問1我々は何故「歴史を記述」しようとするのか? 疑問2何故、ランケが言うように「歴史」は「客観的」でなくてはならないのか? 疑問3クローチェが言うように、歴史記述が「主観的」でしかないなら、「歴史を客観的に見ようとする行為」は無駄なのか? これらの疑問に一定の回答を与えたのが、フランスで台頭した「アナール学派」です。 彼らは、歴史を今までの「国家・民族の歴史」から「人口・経済・統計学」などの「社会学的見方」で歴史を捕らえようとしました。 つまり、「数字は嘘をつかないのだから、客観的データが採れる」という事と、「その数字から浮かび上がってきた内容から、一般法則を引き出し、未来予測に役に立てる」とう事をしようとしたわけです。 しかし、当時の統計が正確である事はまず無く(現代のような統計学的なモノの見方自体存在していなかった)「数字」自体を明らかにする事も難しいと言えます。 また、統計資料があったとしてもどの「史料」を選択するかでも、人間の「主観」が入り込んでしまいます。 「国家・民族的歴史記述」からの脱却にはある程度寄与したものの、歴史の「客観・主観」問題には何ら回答を与えていないと言えます。 ※「国家・民族的歴史記述」とは、「国家主義者や民族主義者」が「歴史」を「意図的」に語ることで、政治的道具にしようとする行為。 日本の「慰安婦問題」や「沖縄の集団自決問題」なんかは良い例。 結果、アナール学派の回答は疑問1に対して「社会、歴史の一般法則を導き出し、未来の役に立てる」を、疑問2に対して「国家主義や民族主義のプロパガンダに利用されないためにも「客観的」である必要がある」という回答を与えました。 しかし、一番の疑問としてもよい疑問3には答えていません。 そして、未だにこの論争は続いていると言えます。 質問者様が提示なさった文章は、この大きな歴史学の流れを汲んだものと言えると思います。 >つまり彼ら独自の文化の立場から「理解できる」説明に対する要求を,もはや満たさなくなったからにほかならない.どのでき事を記述して,どのように解釈するべきかという選択は,歴史家の精神を形成した文化によって決定された要求にしたがってのみ可能になる. この部分は、正に「歴史とはしょせん主観的である」と述べているように思えませんか? これに対する反論をする事も可能であるかもしれません。 (長く語り伝えられてきた出来事なのだから、精神・文化に関係なく重要だと見なせるではないか、、、とか) まぁ、一時期、上記のような論争が下火になっていたのが、最近再び燃え上がろうとしているというところでしょうか。 >(2) 素人にもわかりやすく、この” scholars of historical method” 訳語をつけると何がよろしいのでしょうか? 私なら、「歴史哲学」としたいところですが、「素人にもわかりやすく」との事なので、「歴史研究の方法を研究する人」でしょうか? では、参考になれば幸いです。 長文、失礼しました。
お礼
ご丁寧な回答ありがとうございました。 よくわかりました。