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理由、原因をなぜ知りたがる?
私たちはなぜ理由や原因を知りたがるのでしょうか。 科学者・・・この現象が起こるメカニズムが知りたい。 納税者・・・納得いく説明を求める。 サラリーマン・・・ミスをした原因、売り上げが上がらない原因を分析する。 被害者・・・なぜ私がこんな目に もちろん日常的に行われていることなので、心情的にはよく分かることです。理由がわかると納得して気持ちが楽になるのはよく分かるのですが、ではなぜ理由がわかると納得してしまうのでしょうか。私たちの探究心の九割九分は理由、原因を調べることに当てられているのではないでしょうか。どうしてそこまでと思う次第です。 我思うゆえに我ありの”我”はなぜこれほどまでに理由にこだわると思いますか。
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- rulua
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「事実を知りたい」ってことでは? 考えるだけでは事実にたどり着くまでに時間がかかる。 なぜ「事実を知りたい」か? 時間があればあっただけ考えてしまうのが人というものでしょうか。
- taunamlz
- ベストアンサー率20% (175/843)
それが人間が人間に進化した理由だからだと思います。 好奇心旺盛な人間の祖先が ○どうしたら狩りで多くの獲物を取れるのか。 ○何処に行けば武器の原料が取れるのか。 ○どうすれば楽をして食料を得る事が出来るのか。 ○どうすれば寒さをしのぐ事が出来るのか。 こんなことを考える人間が生き延びてきたので、今いる人間は知る事に対して喜びを得る遺伝子?を持っているんだと思います。 だから原因を知ってそれを解決したい心理(本能)があるんだと思います。 他の動物は群れる事や、狩りの効率や、逃げる能力で生き延びてきたんじゃないかと思います。 だから人間の様にどうでもいいことにこだわらないのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 全ては遺伝子のなせる業ということでしょうか。 しかし、なぜその塩基配列が原因を知りたがるという行動につながるのでしょうか。そして、なぜその塩基配列を持つ人間のみが生き延びたのでしょうか。 と考えると遺伝子が全てとは思えない気もします。
- nisekant
- ベストアンサー率11% (13/112)
No.2の続き ケーラーは、類人猿が物理学を理解しているかをテストするために、バナナの下に幾つかの石を置いて、そこに箱を重ねると不安定になるようにした。動物に箱の「安定した」置き方という考えがあるなら、箱を置く前に石を取り除くだろう。しかし、これが無理なのだ──類人猿達は実に下手くそで、石の上に箱を積み上げていった。ポヴィネリはこの観察をこう解釈している。つまり、類人猿は取りたいバナナを掴む助けになる箱を視覚化する能力は備えているが、箱の「振る舞い」を支配する物理的な原理は全く理解していないのである。 結論として言えることは、猿および類人猿はレベル(d)、すなわち物理的な出来事の原因を理解することが非常に困難であるということである。これから見るように、猿や類人猿は、社会的な関係についての因果関係を理解するのにより長けているかもしれない。ポヴィネリは、類人猿の物理的な因果関係についての理解の実験を次のようにまとめている。 そうするとこれが我々の最も重要な理論的帰結ということになる。すなわち、チンパンジーの猿間物理学の原理は直接に知覚できるものに基本を置いているということだ。直接知覚できるものとは、想像から生み出されたり、視覚的イメージとして記憶に保持されている行為の連鎖を含めてのことだが。 そしてトマセロは、猿や類人猿が因果関係のメカニズムや他者の意図性をなぜ理解できないかを次のように説明している。 それは単に、彼等が、人間思考においてきわめて重要な、中間的でしばしば隠れた「諸力」、つまり背後にある原因と意図的/心的状態という観点から世界を見ていないということである。 対照的に、人間の場合は非常に小さな子供でも、隠れた諸力や他の原因となる変項の助けを借りて世界を解釈する強い兆候を示す。子供がどのように因果関係のメカニズムを推論するかを示す興味深い例は心理学者トマス?シュルツによる実験である。二つの送風機がロウソクに向けられていたが、ロウソクは透明の箱に三辺を保護されていた。送風機の一つはつけっぱなしにされていたが、透明の箱が間にあるためにロウソクは消えなかった。それからもう一つの送風機にスイッチを入れ、それと同時に実験者が箱の向きを変え、開いた方が最初の送風機に向くようにした。当然送風機の風でロウソクは消える。注目すべきは、もし時間的な隣接性で推論するなら、二番目の送風機をつけることとロウソクが消えたこととを結び付けるだろうということである。しかし2~4歳の子供でさえ、最初の送風機を原因と考える。つまり彼等は出来事の背後にある諸力を幾らか理解しているのである。心理学者アリソン?ゴプニックは次のように主張している。 他の動物はまず第一に、世界における自らの行為の結果として因果関係を理解する。対照的に、人間はその理解を一つの見方と組み合わせる。すなわち、自らの行為が引き起こす力と物体がそれとは無関係に引き起こす力とを同等のものと見る見方である。 人間と他の類人猿のこの決定的な違いについての私の解釈は、人間が物理的な世界を解釈するのに用いる内面的なシミュレータの方が、将来の予測をするのに隠れた変項をうまく使えるのだというものである。原因は我々の感覚の一部ではないが、知覚を生み出すシミュレータがそれを埋め合わせるのである。そのようにして、我々は原因を知覚するのである。この因果関係の補完は人間の内面世界に、他の類人猿にあるのよりずっとしっかりした将来に関する推論の道具箱を生み出すのである。 原因は頭の中だけにあり、原因が物理的な世界の一部だと信じてた多くの哲学者を混乱させそうな考え方である。 隠れたメカニズムを探し求める傾向は人間においては非常に強いので、「因果関係の衝動」といってもいいほどだ。この衝動は我々の計画能力にとって有益であるが、時には極端に走る場合もある。因果関係の結びつきがないところでも、それを求めてしまうこともあるのである。例えば、宝くじに当たるというような純粋に無作為の出来事さえも「運」があることの結果と解釈されたりする。まさに原因を見い出したいという我々の止むことのない衝動の現れなのである。
お礼
ご回答ありがとうございます。 道具として原因を知ることは利益になるということですね。 原因は頭の中だけにありというのは共感します。
- tomy41
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根本は命がかかってるからだと思います。 逆にこれをやめた場合どうなるか考えて見ましょう。 お腹が減る→どうしてだろう→昨日から何も食べてないからだ→何か食べよう お腹が減る→まいいか→何も食べない→飢え死にする
お礼
ご回答ありがとうございます。 理由を問わなくても餓死はしないのではないでしょうか。 お腹が減った理由がわからなくても食事はすると思います。生まれたばかりの赤ん坊が母乳を求めるのと同じじゃないでしょうか。 また、植物は光合成をするのに理由を必要とはしないのではないでしょうか。
- nisekant
- ベストアンサー率11% (13/112)
原因の推論──見えない糸を見つける 人は原因を見つけることに熱心な性質をもっている。カントはこの性向を我々の基本的なカテゴリー──つまり我々には捨てさることのできない思考パターン──の一つと呼んでいる。我々が原因を探さずにはいられない進化上の理由は十分にある。原因は、世界がどのように動いているかを理解する手助けになるからである。しかし、我々の原因についての思考は、幾つかの下位構成要素からなっているということを論じてみよう。原因と結果の理解については、四つの異なった思考のプロセスを区別することにする。 (a)自分の行動の物理的な結果を予測することができる (b)他者の行動の結果を予測することができる (c)他者の行動の原因を理解する (d)物理的な出来事の原因を理解する この順序は私の信じるところでは進化の過程で現れる順序である。多くの動物種は、少なくとも多種類の行動に対して、(a)のレベルは達成できる。この能力がなければ、勿論、内面世界があっても意味がない。自分の行動のありうる結果を予測できなければ、何の計画も立てられないからである。(b)のレベルは他者と協力するにも他者を欺くにも同様に必要である。(c)のレベルをこなす一つの方法は、他者の行動を駆り立てる意図を特定することである。レベル(d)は原因の推論の典型的なケースのようで、人間以外の動物には驚くほど困難なようである。しかしながら、他の動物が様々な種類の因果関係にどう対処するかについて手に入るデータは乏しく、この分野のより多くの調査研究が必要である。 対照的に人は原因と結果の四つ全てのレベルを容易にこなすことができる。霊長類学者で児童心理学者ディヴィット?プレマックによると、非常に小さな子供でも、「自然の」物理的な力が原因である結果と、「恣意的な」力が原因である結果とを区別する能力を備えているという。後者は動物や人間が原因となっている行動や出来事からなるものである。プレマックはこの二つのタイプの因果関係を認識する際に脳の異なった神経系が関わっていると示唆している。彼の発見は(c)と(d)のレベルを区別する論拠にもなっている。 チンパンジーはいろいろな道具を使う。が、物理のメカニズムを理解してることにはならない。彼等は自分達の行為のあるものについては結果を表象できる、というだけだ{つまりレベル(a)}。物理原理を理解するということは異なった結果の原因について推論できるということだ。 霊長類学者エリザベッタ?ヴィザルベルギとダニエル?ポヴィネリらは、猿と霊長類は単純な物理的原因すら理解できないということを、殆ど例外なく示す一連の実験を行なってきた。ある実験では、真ん中にトラップのある透明のチューブの中にピーナッツが置かれた。ヴィザルベルギのオマキザルの被験者には、チューブの中にあるピーナッツを押し出すのに使えるような棒が与えられていた。その猿達はすでに通常の透明チューブからはピーナッツを出すことができていた。しかし、トラップのあるチューブでは、棒はチューブのピーナッツから一番遠い側の口から入れねばならなかった。そうしないとピーナッツはトラップに入ってしまい、取れなくなってしまう。140回の試行のうち、ある一頭の猿が問題の解決策を見いだした。それ以外のものはどちらかというとデタラメに試みるばかりだった。その猿達は、ピーナッツを押しやると何か(重力)がそれをトラップに落としてしまうことが理解できないようである。 ジェイムズ?ローとダニエル?ポヴィネリは同じチューブの問題を四頭のチンパンジーに課した。そのうちの一頭、ミーガンは問題を解くことができるようになったが、残りの三頭はやはりデタラメに試みていた。ミーガンが起こっていることを本当に理解しているのか、それともただピーナッツから一番離れたところから棒を入れることを習得したいだけなのかをテストするために、少し変形させた実験を行なった。トラップを上に向けてピーナッツが落ちる恐れがないようにしたのである。しかし、ミーガンは依然として一番離れたところから棒を入れていた。褒美を得るための法則は機械的に習得していたが、その根底にある物理メカニズムは全く理解していなかったのである。 また別の例はサバンナモンキーのものである。その猿達は錦蛇や豹を見つけると警戒の叫び声を発する。彼等が近くに捕食者がいるというサインを解釈しているか(つまり、捕食者のなした結果から原因を推論できるか)をテストするために、ドロシー?チェイニーとロバート?サイファースは、一群のサバンナモンキーに対して、砂の中に偽の錦蛇の通った跡を作った。しかし、錦蛇がその猿達にとって危険な存在であるにも関わらずこれには反応しなかった。あるグループのサバンナモンキーは、本物の錦蛇の通った跡に反応せずに通り過ぎ、錦蛇に出くわしパニックになったことがある。また実験者がレイヨンの死骸を木に吊しておいても反応はなかった。これは近くに豹がいるサインなのにである。簡潔に言えば、これらの実験と観察が示しているのは、猿や類人猿は結果から物理的な原因を推論することはできないということである。 心理学者ヴォルフガング?ケーラーは、既に1910年代にチンパンジーの計画能力についての一連の実験を行なっている。彼は大きな檻の天井からバナナを吊し、檻に幾つか木箱を置いた。数頭のチンパンジーはうまく箱を積み重ねて、その上に登り、バナナを取ることができた。これらの古典的な実験は、類人猿も計画能力があり問題解決への「洞察」をもつことができるという仮説するものとして取り上げられてきた。ポヴィネリが指摘するところでは、ケーラーのチンパンジーは実はそれほどうまくやれているわけではない。例え一頭の類人猿が箱を積み重ねるという問題を解釈することができたとしても、この偉業を繰り返せないことがしばしばなのである。彼等は、箱の上に別の箱を載せるということ自体うまくできないし、自分達の乗っている箱を引き外してしまい、チンパンジーもろとも崩れ落ちるといった奇妙な過ちを犯してしまうのだ。
- basso
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同じミスを繰り返さない為。 または、もっといい思いをしたい為 極論かな? 過去の原因を未来につなげる為ではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まとめると利益の為となるのでしょうか。たしかにそういう側面はあるようですね。 例えば、宇宙はどのように生まれたのかや、神は存在するのかといった問いには利益には結びつきにくい様にも考えられますので割り切れないところもありますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なぜ「時間があればあっただけ考えてしまう」のか? とめどないですね。