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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死の恐怖、不安を和らげる体内メカニズムについて。不測の事故、医療の介入)
死の恐怖、不安を和らげる体内メカニズムとは?
このQ&Aのポイント
- 不測の事故や医療の介入により、本来の自然な死の経過が見え難くなっています。しかし、長い歴史の中で安楽に死をやり過ごす知恵の蓄積があります。
- 人間の体には安楽に死をやり過ごすメカニズムが備わっているのではないかとも考えられます。
- 同じような経験者のお話や科学的な理由付けを聞くことで、死を迎えることも怖くなくなるかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
おもしろいテーマですね。 ―「苦痛100%の死」に恐れ戦いているのが我々の現状だと思います。 これは良く分かりません。苦痛というのは生きていてこそ感じるもので、死とは別のものと思います。 これは質問者さんの死のイメージですか。 でしたら痛みに対しての恐怖で、直接的な死の恐怖とは違いませんか。 ―「安楽に死をやり過ごすメカニズム」 これは意識のない状態を指すのではないでしょうか。 眠っている状態、または意思も意識もなく、ため息のような自然呼吸が止まるまでの状態。 質問者さんは望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」というマンガをご存知ですか。 あのマンガには脳の恐怖を感じる部分を取り除いた人間が登場します。 また死への恐怖は、生きることへの執着とは違うのでしょうか。 マンガの主人公が言ってましたが、人は恐怖を感じなくなったら生きようとはしないそうです。 それから私の祖父の話しですが、生前「死ぬのは怖くない。もう良く生きた。だがまだ迎えがこない」とよく言ってました。 毎朝、お経をあげるのが日課でしたが、その日はなかなか朝食に来ないので見に行ったら、日の良く射す明るい仏間で、仏壇の前に座ったまま、まるでうたた寝でもしているように亡くなっていました。 なんて穏やかで緩やかな死なんだろうと思いました。 思い付いたままを書いてしまい、すみません。 多少でも何か参考になれば幸いです。
お礼
早速のご返事、特におじい様の最後に関するお話をお聞き出来て感謝しております。「ドラゴンヘッド」はいつか読んでみようと思っています。
補足
"喧伝される「苦痛100%の死」”で言いたかったこと。医療者、マスコミ関連の話を聞いていると、全員が苦痛に喘いで死に至ることを前提に話されているように感じます。それを前提とした家族の協力もあって、高齢者は“延命、蘇生、苦痛軽減が可能な病院施設”に長期収容させられているのでは、また現状をお年寄りたちは望んでいないのではないかという疑問を今回の経験から抱きました。「ポックリ寺」に通うまでもなく、ヒトには他の動物と同じように七転八倒することなく、心も含めて最期を受容する本能的なものが備わっているのではないか?脳内エンドルフィンのようなものが一役買っているのではないか?“ぼけ”も防御機構のひとつと考えられないか? そうだとすると苦しむこと少なく最期を迎える人はほとんどで、その朗報は多くの人の不安を軽減すると思います。そして、栄養剤、薬(“ボケ改善薬”など)、注射による現在の施設収容型高齢者医療の考え方に疑問を持って、高齢者もヒトの繋がりの中でより自立的な日々と最期を迎えることができるのではないか。そういうことを支えてくれるポジティブな情報を持っている人は多いはずだと期待して質問させていただきました。