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日本人に無宗教が多い歴史的要因とは・・??
題名どおりになってしまいますが、日本人には何故無宗教な人が多いのでしょうか??なにか歴史的要因はあるのでしょうか? ちなみに私も無宗教です。
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- kigurumi
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統計でいくと、宗教をしている日本人は、総人口の倍いるそうです。 人口の倍いるって不思議な現象です。 どういう統計をしたのか、宗教団体はどこまでを正規会員として申請して、税法上優遇を受けているのか。 まさか架空の人物を勝手に会員として政府に報告しているなんてことは無いとは思いますが。 何故人口の倍宗教信者がいるのかそのからくりはわかりませんが、日本人は意外と宗教大好きで、八百万の神々どれでも信仰していれば、どっかの神様が助けてくれるだろう、という考えがあるのかもしれません。 この考えは、キリスト教も公認したコンスタンティヌス1世も同じだったようです。 彼はどの宗教も認めましたが、どの宗教も認めておけば、どれかの宗教の神様が助けてくれるだろうというのが、その公認の理由だったのだとか。 人の欲望は人種や時代に関係なく同じなんですね。 宗教と政治については人と話をするのは関係を悪化させるのでよくない。 ということで、普通「私は○○の信者です」と自ら名乗る人は少ないと思いますし、先祖代々どこかの檀家で、自動的に家ごと信者として登録されており、本人も信者として登録されていたことを知らない なんてこともあるかもしれません。 昔はみな貧乏で「救済」という言葉に人々は弱く、物質的豊かさは実現できなくても、心の豊かさ、来世における豊かさを求めることは、可能で取り掛かりやすかったので、物質的に貧しいものが、仏にすがる という方向になり、また、同じグループに入れば、互助的役割がそのグループに発生し、生き易かった というのもあったのかもしれません。 ですが、高度成長により、物質的豊かさが満足につながり、それが信仰になり、富むことが信仰になりだし、働きその成果を金銭という現物で得られることになり、それが確かな救いだと思いだしたのではないかと。 ある意味物質的豊かさを目指す信仰。 それが精神的信仰にとって変わった新しい信仰。 高度成長期は、働けば確かに結果が出たらしいです。 がんばって働けばそれに見合った対価を得られたのだそうです。 仕事をやめても翌日もっといい仕事が見つかったのだとか。 働き先には困らないし、販売すれば売れる。 おもしろかったでしょうね。 やればすぐ成果が現れたのだから。 がむしゃらに働くとは、かつての苦行をする信者にとって代わられた。 つまり苦行を山にこもってやることから、町で働くことにステージが変わった。 それで、人々は宗教を離れていったのではないかと思います。 ところが成長のカープも緩やかになり、変化に差が見られなくなったばかりか、働いても働いても物質的豊かさを実感できなくなった。 経済成長が緩やかになるにつけ、いくら修行(労働)しても、得られるものが少なくなり、修行の成果が見えてこないと思えるようになった。 人は勝手なもので、こっちの神が駄目なら、じゃあ こっちの神 とまた従来の宗教にすがりだす人たちも出てきた。 ある政党の戦略は、貧しい人に接触をする。 その人に生活補助という制度があると教えてあげるんですね。 貧困であえいでいた人は、教えてくれた人は先生で神様のように思える。 生活保護になった人は、時間が余っているので、その政党が持っている宗教団体に入信しそこで無償で労働をする。 助けてくれた恩人ですから。 信者になっていない近所の人に対して宣伝活動をする。 集会があれば無料で労働を提供する。 生き生きと働くわけです。 (働く能力が十分にあるのですから、そこで賃金を得て生活保護から外れるのが妥当なのですが、政党はケチなのか、あくまで税金を使って信者の生活をまかなうが、自分達の中から給料を支払うということはしない。) 信者は自分の宗教団体をすばらしいとするため、その宗教団体の出す本をベストセラーにランクインさせようとする。 生活保護費を使い多量に買い込み近所にばらまく。 その宗教団体の維持費や利益は生活保護会費 つまり国民の血税からも出ているわけです。 こうやって宗教によっては政治にも介入し、自分たちの宗教が天下を取るため、貧しい人から取り込むということをし、信者の獲得活動費は、その宗教ではなく、その宗教を信仰していない人も納めた税金で、行っているという事態に宗教に対し失望するわけです。 本来心の救済であるべき宗教が営利目的 権力主義に傾いている。 信者にとってみれば、信仰しているから税金により働かなくても生活ができるようになった しかも人のために労働をしていえる と宗教を錯覚することになる。 ある人が、ある宗教団体から小冊子などが定期的に届くというので、おかしいと思って聞いたところ、自分は正規会員ではないが、サポーター会員として登録されているので、送っていたということが判明した。 どうやら友人が信者獲得のノルマがあって、勝手に名前を許可なく登録したらしいんです。 ただちに取り消しを求めたが、まだ冊子が送られてきていることから、一度登録になってしまうと、抹消できないらしいんですね。 国の宗教法人に対する税金の優遇の関係で人が減ると困るからなのかもしれませんが。 このように金銭に縛られていて、宗教が言う無欲とか救済などとはかけ離れたものが宗教団体に多いのを現実真のあたりにしているので、人々は困ったとしても、宗教に向かうことをしないのではないかと。 つまり、現存する宗教団体のあり方のマズさが原因で、日本人を宗教から引き離しているのではないかと。
- phj
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宗教をどのように捉えるかで回答は違ってきます。 宗教を目に見える形(教義・経典・教会)で求めると、日本人は無宗教にしか見えないでしょう。 しかし宗教を社会の規範・道徳律として考えると、日本人にはある宗教観があることが見えてきます。それが下の方々の回答の内容ですが、エピソードをひとつ。 ある地域の一角で、ごみの不法投棄が相次いでいました。しかしそこにつながる一本道に、鳥居を立てたところ、不法投棄がなくなったそうです。 法律は守らなくても罰当たりにはなりたくなかったのですね。昔ビートたけしが「赤信号みんなで渡れば怖くない」といいましたが、コレも見事に日本人の宗教観(つまり道徳感)を表しています。 要するに、日本人は鳥居とかみんながやっているからという、場の空気が大切なのです。この空気感を読まないと、日本人はまったく無宗教に見えます。 ちなみに、米国はキリスト教の国であると共に、道徳としてのキリスト教が浸透している国です。ヨーロッパは、異民族(異教徒・異文化)との接点が多いですから、もう少しアバウトです。 歴史的に見ると、2000年ぐらい前は、ユダヤ人を除けばほとんどの地域・民族が多神教でした。それが、今では世界の半分以上がキリスト教とイスラム教です。ですので、宗教というと、この二つのようなものを考えてしまうのですが、地域によっては土着信仰も残っていますし、日本を含むアジア圏は、仏教・儒教・土着信仰が重なり合って、一神教の考え方とはずいぶん違う宗教観が出来上がっているのです。
- outerlimit
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質問者は 無宗教 と思っているだけです 初詣に行く、神社の祭礼に参加する(三社祭とかの、単なる見物でも)、葬式で手を合わせる、墓参りに行く 以上のいずれか一つでも行ったことのある人は、無宗教ではありません また無信仰でもありません キリスト教やイスラム教の様に強固な一神教ではないため、自覚がないだけのことです また、日本でも教団の武装解除が行われる信長以前には、今のイスラム教徒や十字軍の様に、宗教団体同士の武力衝突は頻発していました 一向一揆を調べればわかります 江戸時代以降、宗教団体は武力的に無力化されたため、また檀家制度で強制的に檀家として組込まれたことも、自覚のない遠因になっていると思います
- wsws
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神仏習合で天皇系の神様が殆どになりました。 自分が住んでいる地域の由来の神様が忘れられます。 氏や地縁など自分が何故ここで生まれたかも無頓着になります。 戦争がない事によって大都市化が進みます。 安心して便利な集合住宅に住みます。 山奥深くに有った歴史ある集落が消えていきます。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
キリスト教みたいな、つい2000年ほど前に発祥した近代宗教なんか要らんわ!!!という人が多いから。 人類発祥の宗教観で十分だからですよ。 それが、己の魂(心・身体・技)を昇華する事。 まぁ今の基準が、近代宗教であるかどうか?なので、近代宗教ではなく、古代の宗教観をモットーにしている日本人は「無宗教」に選別されてるだけなのですよ。 分かりやすく言えば、職人の世界にイスラムとかキリストなんか要らないでしょ? 魂の昇華は己自身で極めるものなので、他人の考えは邪魔。
- onbase koubou(@onbase)
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戦前、天皇の権威を高めるために神道が利用されたことを繰り返さないため戦後になって「政教分離」などをしたことが大きな原因かと思います。 戦前までは「多神教」や「神仏習合」など宗教に寛容ではあっても「無宗教」ではなかったと思います。 無宗教というのも正確ではないと思います。 実際には、初詣、お七夜、初節句など神道、埋葬の仏教など宗教に関わっています。厄除け、厄年、地鎮祭、御神輿、お祭り.....宗教色の薄い宗教行事はかなりあります。宗教に縛られていない、ということでないかと思います。
- eversnow
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歴史的要因として考えると神道の考え方が強いからだと思われます。 神道は民俗信仰・自然信仰を基礎とし育った物です。神道には一人や数人の神ではなく天照大神を中心としあらゆる神が存在しそれら全てを認め崇拝しています。 あらゆる物に神がいるとされることにより他宗教より人々の考え方が多岐にわたり団結力が欠けてしまうため巨大宗教団体へと育たなかったのではないでしょうか。団体として機能しない以上、信仰を維持するのは大変なことです。さらには政治的弾圧(豊臣によるキリスト排除)や明治から現在において宗教に関する教育があまり為されなかった事による信仰心が衰えた結果だと自分は思います。
「八百万の神」の存在があるから、いろいろな神様を受け入れてきたのだと思います。 回答になってないかもしれませんが、以下も参照願えますか? ◆http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111912491◆ ◆http://okwave.jp/qa2931426.html◆ 後者は私が質問したものです。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
一神教がメインにならなかったので、一神教である欧米の宗教観からすると「無宗教」に見えるだけです。 この意味で、歴史的要因は「(本格的な)一神教の未達」となります。
- amefurikozou
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無宗教というよりも自然を崇拝する考えがあるために、あえて1つの神様や考え方に頼るということをしていないだけかもしれません。 日本には「八百万(やおよろず)の神」が居る、と考えると分かりやすいかもしれません。 ちなみに自分も無宗教です。
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