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なぜ日本では無宗教>宗教なの?

科学や法律が歴史上の偉人や神様のお言葉より上だというのが日本の義務教育ですけど、 日本の偉い人はなぜ自分が預言者やブッダより偉いと考えてるんでしょう? どうして日本国憲法と刑法民法が世界5大宗教の規律や戒律より上位に位置すると信じるんでしょう? 不遜だと思う人は日本の政府の中枢にいなかったんでしょうか?

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noname#225485
noname#225485
回答No.1

日本は政教分離を基本としてるので意図的に切り離されているのです。 ただし憲法は信仰の自由も保証してます。 つまり政府が特定の宗教に口を出さないからこそ宗教の自由が保証される訳です。 また思想の自由なので無宗教であることも自由です。

noname#225584
質問者

お礼

人間が神様を信じる権利を人間が与えるというのが不敬な考え方では?

その他の回答 (4)

  • moritaroh
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回答No.5

私個人の感覚としては無宗教ってわけではないように思います。 宗教、というのを意識しなくてもいいほど、生活様式に宗教観が根付いているからではないでしょうか? さまざまなお祭りや年中行事も、元をたどれば宗教的な信仰に起因します。 特定の宗教(仏教、キリスト教など)のみを拠り所にしている人は多くはないと思いますが、しかし、無宗教であると自負する人でさえ、結局は、信仰を起源とする生活様式にまったく疑いを持たず、それらをあたかも無宗教であると思って受け入れていると思います。 憲法、そして刑法民法などは、それら信仰に起因した生活様式を細かく明文化したものにすぎません。 しかし、生活の多くが信仰に起因している、といった自覚がない人は、うっかり、刑法民法などの方が宗教的信仰よりも上位にある、という錯覚に陥ってしまうのでしょうね。 刑法民法などは、生活を行うための規則です。しかし信仰は生活の規則ではなく美学や哲学などであり、その美学や哲学を守るための規則として刑法民法がある、ということではないでしょうか。

  • zebura23
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回答No.4

宗教を定義するとすれば、 それは自分よりも偉くて尊いお方がいるはずだ、という推測が元となっています。 ですが実際にはそんなものはどこにも存在しません。 あらゆる存在が本来、偉大で尊い存在です。 すべてはエネルギーであり、それを神と言うならば この宇宙すべてが本質において神そのものです。 何かを崇(あが)めて、何かを崇めないというのは、 それこそが無知であり、分裂する思考です。 ゆえに何らかの宗教を信じることで、自分の内に分裂を生み出すことになります。 その最たるものが、「神は偉大、でも自分は卑小」という奴隷的意識です。 それが、自分より偉大なものを求めずにいられない意識なのです。 人間だけでなくあらゆる存在が本質において、「八百万(やおよろず)の神なのです。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.3

人間は進化論の中で、サルから人に進化したに過ぎない。 勿論、宗教を否定するつもりはさらさらないが、宗教もまた人間社会の発展の中で発生し進化したものに過ぎない。 さらに、宗教の時代を超え、人間が神の存在を否定し、人間自らの知性の中から思想を導き出し、自由主義や民主主義、共産主義といったものを発展させる中で、それが国家思想の中心に据えられるのほどにまで効力を発揮したのも、人類の進化の過程でしかない。 そして、それぞれの国家観の中から、それぞれの主義思想に応じた法律をや戒律を創り出したのも、人間社会の進化の過程でしかない。 私は神仏を尊び、大切に思いますが、貴方の言説は、かなり偏ってますよ。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

いつ落雷や洪水で絶命するかわからない「天罰」や「仏罰」を期待するよりも,人間が決めた「刑事罰」で監獄に入れるほうが確実だからでしょう 笑。

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