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【宗教の歴史・日本史】なぜ宗教は国の繁栄を願うもの

【宗教の歴史・日本史】なぜ宗教は国の繁栄を願うものだったのにいつの間にか個人の繁栄を願うものに推移していったのでしょうか。 今や個人のご利益、家族のご利益止まりの信仰に落ちぶれてしまったのでしょう。 神社、寺にお参りに行って国の繁栄を願う人など皆無で、個人の願い事を言う場が宗教ではなかったはずです。 密教の空海が元凶でしょうか。 キリスト教やイスラム教は国の繁栄を願う宗教ですか?

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  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>なぜ宗教は国の繁栄を願うものだったのにいつの間にか個人の繁栄を願うものに推移していったのでしょうか。 その人の立場に応じて、願う内容、願うレベル、願いの範囲に差が出るのは当たり前のことです。 国家のトップであれば、国家の繁栄などを願うでしょうけど、単なる市民、一般人であれば、個人のご利益とか恋愛成就、家族のご利益どまりになるのは普通では? そして、神社やお寺にいる神様やその使いとなる存在は、そうした個人レベルの祈り、願いであっても、受け付けてくれますからね。 >>密教の空海が元凶でしょうか。 空海は、仏陀に迫るレベルの悟りを得ていました。 ですから、個人レベルの祈り、願いじゃあなく、国家レベルの繁栄、祈り担当だったと思います。 >>キリスト教やイスラム教は国の繁栄を願う宗教ですか? イエスはその十字架での死刑をみても分りますが、「国家の繁栄」を願うタイプじゃあないですよ。 めくらの女性を直す、病人をなおす奇跡の行為からして、祈り・信仰を重視するタイプだと思います。 ただ、金持ちよりも貧乏人を愛した感じもするから、経済繁栄とは無縁といえるでしょう。 でも、現在の資本主義は、キリスト教プロテスタント派から生まれているので、後世、キリスト教に経済繁栄が追加されたといえますね。 イスラム教は、教祖指導の下、戦いに勝利し国家の建国ができました。ですから、国家繁栄は入っているでしょうね。 中世、イスラム教は、科学を重視した時期もあって、キリスト教文明よりも進歩しました。 でも、キリスト教は、ルネサンスを経て、古代ギリシャの知識を得たことで、再び大発展し、古い教え、戒律に縛られた原理主義の強いイスラム教は発展が遅れて、貧乏国の宗教になりました。

japanway
質問者

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みなさん回答ありがとうございます

その他の回答 (3)

  • raiden787
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回答No.4

仏教にしても神道にしてもこれらはもともと個人の幸せを願うものですよ。 今より迷信深かった時代、これらの大衆への影響力の大きさを政治家が利用して国の繁栄を願うものとしても使われるようになったのです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

かつて、宗教は国家統治の道具として 利用されました。 日本の仏教などはその典型です。 だから、国の繁栄を願うモノだったのです。 しかし、近年では、法体系が確立され 宗教に頼らなくても 国家統治が出来るようになりました。 それで個人の魂救済に重点が行われる ようになったものと思われます。

回答No.2

宗教の起源は人が死という避けることのできない宿命を意識するようになったときに、それが何を意味するのかを理解することによって、心の救いを求めたことから起こったものですね。 人はどう生きるべきかとか、死後の世界はどのようなものかなど、先人たちが教えを説いて、人々の心の平安と秩序をもたらしたものですが、その影響力を時の権力者が支配力の拡大のために使ったことが、数々の紛争をもたらした原因にもなっています。 従って、宗教は個人のためにあるべきであって、国家権力の行使のために使うべきではないですね。

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