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日本人の宗教観は変ですか?
外国人の友人に「日本人は無宗教の人が多い」というと、「本当に?どうして?」と、とてもビックリされました。 日本以外の国にも無宗教の人はいるそうですが、そういう人でも「宗教観(宗教的な思想・哲学)」は持っているようで、宗教の話を毛嫌いする人は少ないそうです。 なぜ、日本人は、他の国の人よりも宗教を毛嫌いする人が多いのでしょうか?
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恥ずかしいくらい宗教に無知だからです。 海外では、宗教を持たない人間は信用されません。 それなのに、日本人は真面目に信仰している人を見下す人ばかりです。 宗教に頼る人間は弱いと思っているからです。 それは逆ですよ。 相当強い意志が無いと、一つの信仰を一生続けることはできません。
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- tzd78886
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キリスト教やイスラム教みたいに宗教こそが心の支えになっている国では、「無宗教」などという概念があり得ないからです。「何を信じて生きているんだ?」という話になってしまいます。日本人は昔から多神教があった国で、ほとんどの日本人はこれを宗教とは認識していないのです。イザナギ、イザナミの天地創造を本気で信じていたり、天照大神の奇跡を信じる人はいないでしょうが、天地創造や失楽園を本気で信じているキリスト教徒はごく普通にいます。進化論を完全否定する人もたくさんいるくらいなのです。
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>外国人の友人に「日本人は無宗教の人が多い」というと、 「本当に?どうして?」と、とてもビックリされました。 日本人は無宗教ではないと思います。 たくさんの種類の神様を大事にしています。 山の神様、水の神様、森の神様、宇宙の神様、そのた色々あります。 例えば、わたしは、キリストとか、日蓮宗、とか浄土宗とか、いろいろ勉強して、それらの中の自分が信じられるものを信じて居ます。 特定の枠に嵌められた宗教は信じません。自分の哲学が受け入れませんからです。 80数歳のおとこ
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鍋釜にも神が宿る国ですから。 多分唯一絶対の神という「一神教」が日本人に合わないだろうと思います。 全ての物にすら神が宿るなら一神教の神すら取り込めるんですよ。 これがクリスマスを楽しみ年が開ければ初詣って日本人の宗教観なのだと思います。 多分多くの人は宗教という物が意識せず日常化してるんだろうと思います。 そういう意味では宗教観に置いて多様性を持ってるのかも知れませんね。 これが他の国との違いだと思います。
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- aiwa75
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「正式に信仰している宗教は曹洞宗だけど、日本古代からの神々も心の中 で信じている」 です。
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仏教は「日天・月天・梵天・帝釈天」など多くの神を明かし、仏と神の関係を、仏が「主」、神が「従」として、神を拝む対象にしていないのですが、回答者様は、神も仏と同等に信じてみえるということでしょうか?(お気に障ったらごめんなさい)
- aiwa75
- ベストアンサー率25% (3/12)
2つの宗教というより神 全てを信じています。 色んな神様がいて色んな役割があって良い。 担当分野があるから専門分野の神に頼む進行する感じです。 坊主が金儲け主義で嘘言って金巻き上げて 自分らは贅沢してるの大人達は知っているので それもあって宗教を毛嫌いするのかなと思います。 悪い事したらバチ当たるのはみんな同じなので。 全ての神が成敗してくれますよ。
- aiwa75
- ベストアンサー率25% (3/12)
頑張って貯めたお金が坊主と医者に取られるから。 金儲け主義の坊主に痛い目に合ってるから。 私は日本の宗教大好きですよ。 八百万の神々を信仰してるし 宗教は曹洞宗です。
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この質問に信仰を持ってみえる方から初めて回答をいただきました。 「金儲け主義の坊主に痛い目に合ってるから」というのは、「日本人に宗教を毛嫌いする人が多い理由」に対する回答と受け取ってよろしいでしょうか? また、回答者様は「八百万の神々を信仰し、宗教は曹洞宗」とのことですが、2つの宗教を信仰されているということでしょうか? それとも、「正式に信仰している宗教は曹洞宗だけど、日本古代からの神々も心の中で信じている」というような意味でしょうか?
- koncha108
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無宗教の状態になれてしまっているので私にも理解できないのですが、日本人の道徳とか行動規範とか社会的な正義とか、より所はなんなのか不思議に思うことはあります。子供の頃親や学校の先生に教えられたことがほとんど基礎となっていると思いますが、突き詰めると根拠というか原典が無い。極めて不安定で、善悪の判断も、いきなり法律を持ち出したりする。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には聖書やコーランがあって、解釈はいろいろあっても、参照できる原典はあり、それを共通項として社会の道徳や善悪の判断が成り立っているのだと思います。 日本は明治維新後に、神仏分離が行われると、すでに特権階級化していた寺院に対して廃仏毀釈運動が起こり仏教は尊敬されなくなり廃れていったそうです。が、特に田舎では無宗教になった当時の日本人が勤勉で人に優しく正直で貧しいのに泥棒もしない様子に西洋人は驚いたようです。それでも合理的で物質的な西洋の技術、制度や経済がキリスト教という精神面の文化を伴わず入ってきたので、日本が経済成長すると共に精神面で腐敗するんじゃないかと心配した西洋人もいたようです。都会では確かに、モラルも薄れたかもしれないけど、それはどこの国でも見られる現象で、結局無宗教のまま、特に精神面で他国に劣ることもなく現在に至っているという事でしょう。 でも、特定の宗教の信者じゃなくても共通の宗教観がある国の人からすれば、それって不思議なことかもしれないと思います。また日本人の善悪の判断の原点って何なんだろうと思ったりもします。 ちょうど今、やまゆり園の事件の裁判が行われていて、ネットでは犯人の考えに理解を示すような発言も結構あがっているようですが、例えばキリスト教とか仏教の教えに当てはめたら、議論の余地なく犯人の行為は悪で日本でのような議論にならないような気がします。自分の考えを素直に出すというのも大事だけど、歯止めが聞かないのも宗教観と言うか絶対的な社会規範のなさのせいかとも思います。宗教は宗教で科学技術や社会の進化と折り合いをつけるのに苦労しているので、無宗教の我々からすると、今更感はぬぐえないですが。
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- tzd78886
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日本の仏教は浄土真宗を除けば歴史的に僧侶は男女とも仏門に入ってからは結婚しないことになっていましたが、実際には一休宗純のような好色坊主もいましたし、有形無実化されていたことはよく知られています。今でも東南アジアからの来日者は日本の坊主が結婚していることに驚くそうです。それどころかごく普通に肉食もしますしね。 これと正反対なのがイスラム教です。もちろん人により解釈は様々なのですが、豚肉を食べないことは全てのイスラム教徒に一貫しているようです。結婚相手もイスラム教徒でなければだめで、エジプト考古学者の吉村作治氏は20代の時にイスラム教に改宗の上エジプト人の女性と結婚しましたが、帰国中にチャーシュー麺を食べているところを妻に見られ、離婚されています。
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ご回答ありがとうございます。 僧侶の結婚や肉食が、日本人の「嫌宗教」の原因だとは思えないのですが。 僧侶が結婚や肉食をしなくなれば、日本人の「嫌宗教」はなくなると思いますか?
- eroero4649
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いわゆる「アニミズム」というものだといっていいと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%A0 本来、宗教には3つのツールが必要です。「教祖」「経典」「儀式」です。ところが日本古来の宗教である神道はこのうちの「教祖」と「経典」がありません。宗教というのは必ず「教え」があるはずです。汝姦淫するなかれ、とかそういうやつです。でもそういうのは一切ありません。 仏教が日本に入ってきたときに、日本で最初の(そしてもしかしたら最後かもしれない)宗教戦争が起きましたが、神仏習合という融和政策で乗り切りました。 だから日本人は根っからの多神教民族というか、「なんでもあり教」の信者なのではないかなと思うのです。 これを男女で例えると、日本人はどこかの神様(宗派)と結婚するんじゃなくて、どこの神様とも寝る乱交スタイルなのだと思います・笑。 ポリネシアとかあっちのほうでも宗教戦争とかは聞かないですから、島国で概ね同系統民族で収まる地域だと宗教観がシビアになるっていうことは起きないのではないでしょうかね。 面白いなと思うのは、日本人は父権主義的なイスラム教は好まない(私もコーランを少し齧ったことがありますが、どうも好きになれませんでした)のに、豚肉を食べたらいかん的なことを除けば一番コーランの教えに忠実なのは日本人らしいです・笑。10年かそれ以上前に中東で日本ブームというのが起きたそうですが、日常の日本人の生活に密着したらそれはコーランの教えに忠実だったってのも中東人にツボったみたいです。
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ご回答ありがとうございます。
- Postizos
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日本人は宗教観、宗教的自然観を持っている人が多いですよ。 例えば大自然の美しさに対して与えられた恵みであるから大切にしようとか私物化するべきではない、超越した存在であるとかいうのは「日本人らしい」感覚として捉えられてないですか? 克服や征服利用すべき対象とだけ考えることをよしとしていない人が多いでしょう。 生に関しても「生かされている」的な感覚を言わないまでも持っている人、否定しきれない人が多いのでは? 食べ物を無駄にしてはいけない理由を命を無駄にしないとか、人間がこの世界の中で占めている位置とか考える人が多いのでは?(キリスト教では「神がそういう風に作った」) 死に対しても人間の力ではどうにもならない時の流れのようなものを感じて無常感や厳粛な気持ちを感じる人がほとんどではないですか? 誕生に対しても。 日本人が懲りているのは宗教が社会支配に組み込まれて特定の宗教に属さなければ生活も苦労するような事態なのです。 だから知人が何か宗教組織に入っていてもそれが自分に影響してこない限りは見えない物として振る舞うのがお作法みたいになってます。 個人的なことである限り教義がなんだと話題にするのをあえて避けているそれは知恵であって毛嫌いではないと考えます。 日本では西洋のような無神論は無いのですが、それは宗教的な思想や習慣に従わない理由を説明しなければならない場面が無いからです。(“哲学イコール宗教哲学”ではないから対抗するのが無神論ではない) 誰もが宗教コミュニティに属している社会ではそれに従わない理由を異教徒であるからとか無神論者であるからと説明しなければなりません。だから日本人が外国で暮らすとめんどくさいからある時は仏教徒だとか無神論者であるとか方便として言わなければ訝しがられるのです。 ただし日本人で他民族の宗教に排外的な感情を持つ人は残念ながらいるでしょうね。そういう人は自分が社会の枠組みとしての宗教感に利用されていることに無自覚であると思います。つまり人種や民族的や社会階層的な排外主義的感情が宗教の違いとして対立の軸になること、こういう構造は諸外国ではよくみかけますが日本ではぜひ避けたいですね。毛嫌いすべきと言っていいでしょう。 日本人が異国の圧倒的に宗教コミュニティが強い所で暮らす場合、方便として土地の宗教に属することは割り切れば構わないように私は思いますが、そこから離れた時の逆カルチャーショックも予想されるので、無神論者として埒外の人だと思われていた方が後々楽だとも思います。 私はそのビックリしていると言う人には何か偏見か魂胆があるように感じました。
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