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ハルノートについて教えてください
事実上の対日最後通牒といわれた「ハルノート」について教えてください (1)ハルノートとは、アメリカの今後の対日政策の方針を示した物、と理解してよろしいでしょうか?(であるならばその後の日米交渉で妥協案を見出すことができたのでは?) (2)ハルノートの内容を日本が受け入れれば、原油の禁輸やABCD包囲網などの抗日政策は解除されたのでしょうか? (3)ハルノートではインドシナと中国からの完全撤退が要求されていましたが、なぜ日本はこれを受け入れず、負けると分かっている戦をしかけたのでしょうか?(満州、朝鮮半島、台湾などがあれば十分であったのでは?そもそも中国進出は関東軍の暴走により始められたものであって日本政府の意思ではなっかたのだし・・)
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- neko358
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質問者不在のようですが。。。 別の視点からの回答です 当時、中国戦線では目ぼしい戦果を挙げられぬまま戦死者だけが増えていくという泥沼化状態にありました。又、満州・朝鮮半島の支配は出費がかさむだけであり、一方の国内では世界的恐慌による不況の嵐が吹いていました。このままでは、大本営内で中国撤退論が噴出、あるいは国民の不満が爆発し、大本営あるいは陸軍の責任追及になりかねません。 陸軍を中心とした大本営としては、国民の結束、大本営内の意見の統一の為、また批判の矛先を変えるため新たな戦争をしかける必要があったのです。 戦争相手にアメリカを選んだ理由は、国内不況が米の経済封鎖のせいであると転嫁し、また強大な米国と戦うことで国内の一致団結を図ろうとした為ではないかと思います。 つまり、対米開戦の意思は大本営内ですでにほぼ固まっており、ハルノートの内容はどうでもよかったのです。 実際、野村駐米大使がハルノートを受け取とった日(大本営が中身を見る前)に、ヒトカップ湾から南雲艦隊がハワイに向けて出撃しています。翌々日の大本営会議でハルノートの中身が吟味されましたが、大本営としては内容に対する絶望と怒りよりも、対米開戦の国内的な口実が出来てしめしめ・・・といった感じだったのではないでしょうか。そうして連合艦隊に向けて「ニイタカヤマノボレ」を発信し太平洋戦争へ突入していくのです。 従って質問に対する回答は。。。 (1)内容を問わず日本は日米交渉を続けるつもりはなかった (2)解除されたとしても一時的なもの (3)仮に受け入れていたならば大本営分裂、軍事クーデターとなっていたでしょう
- popesyu
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ハルノートの草案段階においては 例えば ・中国(満洲を除く)からの撤退、とか ↑最終稿ではこの()内が取り除かれます ・仏印から兵力の撤退・減少させるなら連合国側もそれに応じて削減する。またそれにあわせて経済的、政治的制裁を緩和してもよい。 というような日本が受け入れる可能性を高める条文・語句もありましたが、イギリス・中国からの積極的な反対もあり完成稿においては削られており、より強圧的な内容になりました。その為関係者の証言・日記などによれば11月の末、12月の上旬には戦争の心構え(「日本が先に手を出してくるであろう」や「もう少しの辛抱だ」「日本の開戦の決意をアメリカ政府が促進した」とか)になっています。 草案段階においては妥協する意図があったようです(これはハル自身の覚書にもそう書いてあります)。しかし東南アジア、インドの権益を侵されることを嫌がったイギリスや実際に数年間に渡って戦っている中国、あるいはアメリカ政府内の戦争推進派の意見が取り入られた結果、あれは最後通牒であったと関係者自ら認めています。 日本側の反応についても同様で。 実際に受け取った大使は 「吾々の絶望は甚大なものであった」 東京の政府は 「『ハル・ノート』」の承諾を主張したものは政府内にも、一人もいなかった」 あの海軍においても 「この通告は、それまで戦争に反対していた多くの海軍関係者の抱いていた平和への最後の望みにほとんど止めを指した」 回答としては 1)方針を示したものではありません。 2)解除される約束はされてません。 3)受け入れても将来的にはジリ貧。つまりは負けだからです。
- kawakawa
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(1)当時の国際常識から考えると,受け入れて国が3等国家に落ちてしまうか,撥ね付けて戦争を起こすかの選択しかないものであったことがわかると思います。 日本が撤退した後の中国の利権をアメリカのものにすること(当時アメリカのアジアでの拠点はフィリピンだけでしたから),そして,対ドイツ参戦するために策略をめぐらしたということは明白ですネ。 もし,日本がハルノートを世界に公表していたら,アメリカは孤立したでしょうネ(日本政府は国連でハルノートを公表するという手段に出るべきだったかもしれません)。 当時の大統領周辺の記録が多数残されており,また,多くの手記もアメリカ公文書館に残されています。閲覧できるものも増えてきていますので是非ご覧になってくださいネ。 (2)解除されたようには思えません。 理由としては,当時のアメリカが望んでいたのはアジアにおける目障りな存在である日本を駆除すること,そして,ドイツと正式に戦うための参戦理由を求めることでしたから。 ハルノートを受け入れたとしても,絶対に受け入れることのできないような条件をつけた別の手法で日本の参戦を促すようにしむけたでしょうネ。 とにかく,アメリカとしては日本に先に手を出してもらわなければならなかったのですから。 (3)当時の国際常識では一端我が物とした領土を手放すことは困難だったでしょうネ。 勿論,日本国内に別の「政府」を持っていたと言ってもよい陸軍が認めるはずはなく,おそらくは,認める決議がなされ様とした場合には2.26事件のようなことになったでしょうネ。 陸軍にも山下将軍のような理性派もいたのですが,辻参謀をはじめとする極端な勢力が力をもっていましたからネ。 以上kawakawaでした