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太平洋戦争で日本が得たもの

太平洋戦争は日本が開戦すべく開戦し、敗戦すべく敗戦したと言えると思います。 確かに、ハルノートは日本が到底受け入れることができなかったというのは分かりますが、 どうせ勝ち目の無い戦争に望まないでハルノートを呑むのも選択肢の一つにはあったと思います。 結局、日本は満州だけでなく、台湾と樺太も失ってしまい、おまけに原爆まで落とされてしまいました。 そこで質問です。日本がアメリカと開戦したのはネガティブな理由であれ、ハルノートを蹴って戦争に踏みきったことには結果的にはどんな意味があったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

(tandeさまの) >「到底受けれる事が出来ないが、受諾すると言う選択肢もあった。」は矛盾している感想です。 というANo.6の回答は間違っています 質問者yingtao7 さまの疑問意識は、私は良く理解できます。 それは歴史は何のために研究するか?ということに関係があります。 歴史を研究するのは、過去の過ちを二度と繰り返さないためです。 ですから歴史は、複眼で見なければなりません。 その時点の状況では不可能だったとしても、「今から考えると、どうしたらよかったのか?」という二つの時点(価値観)で考えるべきです。 ハルノートは、当時の状況を考えると、受諾できない、と考えられるとしても、「受諾する」という選択肢を今の時点で検討することに意味があります。 未来に同じようなことが起った時に、同じ過ちを犯さないためです。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (11)

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.12

初めて負けるまで理解出来ないこともあるものです。

回答No.11

日本がハルノートをけって戦争に踏み切った結果負けました。 しかし意味がなかったかと言ったらうそになります。 日本は1603年に鎖国をしました、1867年くらいまでこの鎖国を続けたのです。265年間ですね。 なぜ鎖国をしたかと言ったら、白人が怖かったのです。 白人は鎖国のあいだずーと有色人種を搾取し続け、虐げ、抹殺まで行っていました。 開国してまず最初にやったのが近代化です。近代化に成功して白人の仲間入りをしましたが、彼らが本当の仲間とは到底思えないので、近くに仲間を増やすことにしました。それが、台湾、朝鮮、満州です。しかしこれはアメリカにとってものすごい脅威でした。 アジアに日本のような国をたくさん作られたらたまったものではない、そこで喧嘩を吹っ掛けつぶしました。つぶされたものの、アジアは日本が長年統治した国々をベースに経済発展を遂げ、白人からの指図は受けない国に育っているのです。 嘘だと思うなら、なぜカリブ海に浮かぶ最貧国のハイチがその状態をいまだ抜け出せないのか考えてみてください。隣は世界で最も豊かで最も強いアメリカですけど。 参考まで。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 ハイチの場合はソ連の同盟国になってアメリカに楯突いたことが一番大きな原因では?

回答No.9

ハルノートを蹴ってまで開戦に踏み切った経緯は諸説あり、これがそうだと言える決定的解答がありません。 タイトルの質問に関して回答すれば、日本は結果、太平洋戦争で敗北を喫した。そこで得たものは ・初めて国際的戦争での敗北を喫した事で、日本は「戦争と平和」での「平和の尊さ」を知った。 事であると思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

1,あの戦争を避けるのは不可能だったでしょう。 米国はなんとしても戦争をしたかったのですから。 イラク戦争を見れば解るかと思います。 当時の米国は、大不況で株価は1/10、GDPは 半分に、失業者1200万で、暴動が起きていました。 ニューデールなどの政策はさっぱり効果を上げません。 戦争をやる他無かったのです。 ◎米国の公文書を調べた結果、ルーズベルト大統領が、 巧妙な策略によって日本を対米戦争へと追い込んだ。 (チャールズ コロンビア大学教授) ◎ルーズベルトを、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った 狂気の男と発言(フーバー31代大統領) あの戦争をやったお陰で、米国経済は見事立ち直り ました。 日本がハルノートを呑んでも、米国は何かをしかけて やはり戦争になったと思います。 ★これをみてください。 米国がその気になったら、戦争を回避するのは まず不可能です。 ○テキサス独立戦争 アラモの戦い 1836年2月23日 - 3月6日の13日間 守備隊が全滅し、世論を激高させた。 ○米墨戦争 1846年ー1848年 米国が挑発したのが原因で戦争になった。 ○米西戦争 1898年 2/15 ハバナ湾で、 米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没。 米兵266名が死亡。 スペインの仕業だ、ということになり世論が激高。 ○米比戦争 1899-1913 1899 2/4 フイリピン兵が射殺された事件が発生。 米は、これをフイリピンによるマニラ攻撃と発表。 戦争の発端となりフイリピン人60万を虐殺。 ○第一次大戦 ルシタニア号事件が発生。 ドイツ潜水艦が沈没させ、128名のアメリカ人が死亡。 ドイツに対する世論が急速に悪化、これが2年後の アメリカ参戦のひとつの伏線となった。 ○第二次大戦 真珠湾攻撃 ○ベトナム戦争 トンキン湾事件 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入。 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを 暴露。 ○湾岸戦争 1990年 アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーは 「介入するつもりはない」と発言。 これを信じたフセインがクエートを侵略したが 米国軍により撃退される。 ○アフガン戦争、イラク戦争と911事件。 これらの中で、まず間違いないとされているのが、 ベトナム戦争と、湾岸戦争。 他は疑惑だけで、真偽は不明。 2,で、日本が得たものですが。 負けると悪者にされる、ということですか。

回答No.7

太平洋戦争の敗戦で得たものは、アメリカとの友好関係ではないでしょうか? それが経済成長と、この60年間の平和をもたらしたと思います。 もう一つ、「戦争は絶対にしてはいけない」という教訓を得たのですが、それは60年経った今は、もう忘れられてしまっているように思えます。 ハルノートですが、あれは受け容れるべきでした。 受け入れるということは、中国から撤退することでしたが、それは現在の日本にその時になれたということですから、良いことでした。 戦争の被害無しに今の日本になれたとすれば、こんな良いことはない、ということです。 しかしそんなことをしたら、「内乱が起きた」という指摘は正しいと思います。 「内乱が起きたに違いない」と私が考えるのは、国民世論が軍国主義一色になってしまっていたから、国民が許さなかったに違いない、と考えるからです。 軍国主義になったのは国民世論の責任であって、大日本憲法の欠陥のせいではありません。 戦争の原因について「国のプライドの問題」という答えがありましたが、これも正しいと思います。 国の威信ということに国民が熱狂したために、ハルノートは到底受け入れられないものになりました。 今の日本にはプライドが無い、と書いてありますが、とんでもない誤解です。 中国を敵視する世論が盛り上がっているのは、国の威信という感情、つまり民族主義が再び盛り上がっているからです。 日本人の民族意識は、戦前と同じ程度に高揚しています。

  • tande
  • ベストアンサー率12% (22/179)
回答No.6

質問の意味が少し判りかねますが、結果的には敗北の意味しかないとしか答えようがありません。 ただ、日本側にとってハルノートは受け入れがたいとyingtao7がおっしゃっていますが、到底受けいれる事ができないと言う事は、呑むという選択肢は無いのです。 「到底受けれる事が出来ないが、受諾すると言う選択肢もあった」は矛盾している感想です。 到底受け入れる事が出来ないのに、何故受諾するという選択肢が存在するのでしょうか。 私には理解しかねます。

回答No.5

ズバリ自由でしょう。 まるお君風です。 言論一つで死刑とか、村八分で袋たたきとか そんな時代にいなくて良かったです。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.4

>太平洋戦争で日本が得たもの 民主主義、 平和の尊さ 男女同権 豊かな社会 小さくともキラリと光る国 >太平洋戦争は日本が開戦すべく開戦し、敗戦すべく敗戦したと言えると思います。 そうですね。日本は止まれなかった。行きつくとこまで行ったということでしょう。 >確かに、ハルノートは日本が到底受け入れることができなかったというのは分かりますが、どうせ勝ち目の無い戦争に望まないでハルノートを呑むのも選択肢の一つにはあったと思います。 もちろんありました。でも当時の軍部の勢いではそれができなかった。政治<軍部でしたから >日本がアメリカと開戦したのはネガティブな理由であれ、ハルノートを蹴って戦争に踏みきったことには結果的にはどんな意味があったのでしょうか? 結果的にはご存じの通りですが、当時の目標は太平洋戦争で勝利して有利な講和条約締結というところだったでしょう。現に日露戦争がそうでした。ロシア本国にはまだ強力な陸軍が手つかずで残っており完全勝利には程遠かった。局地戦で勝利して有利な講和が目標だったと思います。少なくとも山本五十六はそう考えておりました。

noname#151196
noname#151196
回答No.3

ハルノートは日本を戦争に追い込む意図でアメリカが突きつけた要求です。 日本にとって到底呑めるような内容ではありません。 もし、呑んでいたら日本に内乱が起きていたでしょう。 1923年、日英同盟が消滅した時にアメリカとの戦争のレールが敷かれたように思います。 少なくともW.W.Iまで遡らないとアメリカとの戦争は回避出来なかったんじゃないかなぁ・・・。 太平洋戦争により、産業が徹底的に破壊されたので産業構造をそれまでの軽工業中心から重工業中心に変えることが出来た。 軍事力を放棄したので、軍事コストをインフラ整備に使うことが出来た。 戦後の高度経済成長は敗戦によって生まれました。 太平洋戦争が無かったら経済では2流国のままだったかもしれませんね。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本が敗戦しながらも奇跡的な復興を果たしのは、ルーズベルトの急死も要因にあるでしょう。 下手すると、日本という国が消滅していた。何しろ、ルーズベルトはスターリンと組んで徹底的に日本をぶっ潰すつもりでいましたから。

回答No.2

質問者様はハルノートを読んでいませんね? ハルノートには、日本国の領土は「明治維新の時の領土とする」と言う条文がありました。 戦争をせずにハルノートを受け入れても、満州・台湾・樺太は放棄するのです。 人間には「プライド」があります。国家にもプライドがあります。 そのプライドを傷つけられたら、負ける喧嘩でもしなくてはならない時があるのですよ。 国と国の喧嘩、それが戦争です。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 >人間には「プライド」があります。国家にもプライドがあります。  結局、プライドに行き着きましたか。でも、今の日本にはプライドのプの字もないですね。

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