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ハル・ノートについて

いわゆるハル・ノートについて、 『交渉スタート時にアメリカから示された「4原則」に加えて、シナ及びフランス領インドシナからの一切の日本の陸・海・空の兵力及び警察力の撤収、汪兆銘政権の切り捨てなどを求めるもので、到底日本が受け入れられるものではなかった。』 とあるテレビ番組で言っていたのですが、 (1)交渉スタート時の「4原則」とはなんでしょうか? (2)そして、「シナ及びフランス領インドシナからの一切の日本の陸・海・空の兵力及び警察力の撤収、汪兆銘政権の切り捨て」を当時の日本が受け入れられなかった理由はなんでしょうか? もしソースがあるようでしたら、それもご提示いただけると助かります。 自分でも一応調べたのですが、うまくいきませんでした。ですので、こちらに質問させていただきました。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.10

(2)そして、「シナ及びフランス領インドシナからの一切の日本の陸・海・空の兵力及び警察力の撤収、汪兆銘政権の切り捨て」を当時の日本が受け入れられなかった理由はなんでしょうか? 日露戦争は日本とロシアの講和で集結しましたが、結局日本が最終的に得た利益は満州権益のみです。莫大な戦費をかけたにもかかわらず満州権益をみすみす手放すことは国内世論上も難しかったわけです。 もちろんアメリカがこのような要求をしたのは中国の独立や民族自決を狙ったわけではなく、単に中国権益や中国との通商が目的だっただけ。つまり、ライバルに法外な要求をしただけ、ということです。 ここらあたりのことは図書館でも借りられるような本にも詳しくのってますよ。

  • ayakid
  • ベストアンサー率16% (49/301)
回答No.9

極東地域(アジア)で大日本帝国のみが列強入りし、満州など中国の一部の植民地化など事実化していきました。 しかしながらアメリカも極東地域に植民地をおきたいとのことで、一番国土の広い中国の一部を欲しいと思ったのです。 交渉スタート時の4原則とは ・当時の列強諸国(ソ・米・中など)の不可侵を約束。(どうせアメリカが破っていたと思うような条項) ・日本はアメリカが認める政府と同じ国しか認めてはならないという。(ある意味内政干渉) ・すべての国の優劣なしの政策作りに協力(無理) ・日独伊三国軍事同盟を解散せよ。 だったかと思います。 というよりこれを日本に提案したアメリカ自身が守ったかどうかすら勘だ疑問ですね。 日本の位置からしてシナやインドシナからの撤兵は国防上不利になると考えたからでしょう。そもそも、戦争などで苦労して手に入れた領土をそれに見合う条件もなしに手放せといわれて誰も手放さないでしょう。 しかも日本は搾取植民地ではなく、統治して経済を育てていたのですから、投資したものが全て無になるということは誰しも受け入れがたいものです。 拾った子どもを大人まで育てたのに、いきなり実の親が現れてただで引き取って帰るようなもんです。 ウィキペディアの内容の部分にもっと詳しいのがありますので。ごらんになってはいかがでしょうか。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88#.E5.86.85.E5.AE.B9
  • yot15
  • ベストアンサー率24% (55/226)
回答No.8

補足説明をします。およそ交渉の結末は、妥協の上に成立します。ハルノートが最後通牒と言われていますが、現代の体制から見ればそれ程の要求ではない訳です。そして交渉事なので、当然妥協点があったのものと思います。それが外交と言うもので、日本が外交下手と言われているのは、情報収集努力の不足によるものと考えています。戦後の対米交渉は、随分と粘り強い交渉を続けてきたと私は、評価しています。  当時の日本人は、対米英戦に勝てるなどと考える人は極少数派で、大多数の人々は負けて当然と考える位の知識を持っていました。それでも対米英戦に突入した訳をハルノートの所為にして、少数派の強引な理由付けで開戦に至ります。日本の敗戦後、多数派が開戦に同調した行動の分析がなされていないように思います。  臭いものには蓋をするは、日本人の悪い癖ですが、ここらで「到底受け入れられなかった」のような言葉を徹底的に検証する必要があります。巷間言われ続けた文言がとんでもない裏面を持っていることが多々あります。

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.7

補足説明です。 中西さんの本では、いわゆるべノア文書が表にでてきたということです。 マッカーシー旋風によるアメリカ国内の共産主義者のパージ、 あれは今になってFBIなどの資料が公開され、ほとんど本当の話 だったという文書が公開されているのです。ソ連のスパイが原爆の 情報を渡していらというのが、べノア文書。アメリカ国内のソ連の スパイもだんだんわかってきています。ハルもそうです。 素人なんかでは分からないですよ。確定情報がだんだん情報公開法で 出てきています。

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.6

この本をお読みください。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E8%A5%BF-%E8%BC%9D%E6%94%BF/dp/4569648444 後藤新平に関する、この本も http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%BE%85%E9%87%9D%E7%9B%A4%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7-%E5%B1%B1%E5%B2%A1-%E6%B7%B3%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4794215681 こんな掲示板で、「自信あり」と自称する人々の知識では、だめでしょう。ご自身で研究してください。 すくなくとも、テレビで放送するような根拠は根拠でもなんでもないと 思います。上記2書でもそうではないかもしれませんが、まだマシです。

  • password
  • ベストアンサー率17% (195/1092)
回答No.5

元々、(植民地競争に出遅れた)アメリカが中国を植民地にしたい為 日本の中国での国益を(一部)アメリカに譲るように圧力をかけたのが 始まりです。 アメリカが中国での内戦干渉(援蒋ルート)を止めるかわりに 中国本土(満州を除く)の撤退を日本に求めて 交渉がスタートしましたが、 ヨーロッパでの戦争に参加したい為 日本を挑発して世界大戦になる様に画策していたアメリカ政府に載せられたのが実体ですね。 PS ウィキぺディア貼っておきます。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.4

(2)に関しては、あまりにも一方的なアメリカの条件、いや命令のようなもので、日本にとっては理不尽きわまりないので、のむことはできませんでした。 日本の希望する条件は一つも入ってなく、なぜこのハルノートのようなものを突きつけられたのか、日本の乙案とかアメリカの暫定協定案はどうなったのか?などは私は詳しくはわからないので、きっと後で詳しい人が答えてくれます。

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  • ベストアンサー率17% (195/1092)
回答No.3

ハルノート4原則は 1.あらゆる国家の領土保全と主権尊重 2.他国の内政問題に対する不干渉原則 3.通商上の機会均等を含む平等原則 4.平和的手段により変更される場合を除き、太平洋における現状の不攪乱 です。 日本は 米国による援蒋ルートの遮断を目的として(フランスと交渉し)南部仏印に平和進駐を開始した。 それに対し、 ・中国やインドシナよりの完全撤退 ・重慶政府(アメリカの傀儡政権)以外の中国政権を承認しない などの強行案(戦争を前提としたもの)を提示したので、交渉が決裂しました。

  • hisakaki
  • ベストアンサー率26% (27/103)
回答No.2

イワクロ.COMによると(1)については 「すべての国の領土と主権の尊重、内政不干渉、すべての国の平等の原則の尊重、太平洋の現状維持」 の4つが4原則だそうです。

  • wakonn
  • ベストアンサー率8% (2/24)
回答No.1

(2)について   日露戦争で莫大な戦費と人命を投じて得た、シナやインドシナの権益を手放せるはずがないということです。 そもそも日本にとってはロシアに対する防衛の生命線でした。 もし受け入れて撤退していたら、日本国民は暴動を起こしたでしょう。 ソースについては、ウィキぺディアで検索すれば一発です。

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