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米国がハルノートを日本に突きつけたのは。

1941年11月26日、歴史に決定的な役割を果たすことになる「ハルノート」を日本に突きつけました。 これで日米戦争になるだろうと予測しての行動だと思いますが、米国の観点で、日本の何が許せなかったのですか。 外交交渉では埒が明かぬと判断したのは、日本のどのような行動(特に軍事行動)を問題視したのですか。 よろしくお願いします。

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  • eroero4649
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回答No.1

そこははっきりと「こうだ」という明確な理由があったというより、様々な理由の複合的なものからです。今の北朝鮮問題も、単に核兵器の問題というだけではなく、拉致問題なども絡んでいますでしょ? ひとつは、大日本帝国海軍という存在がアメリカ海軍にとって看過できない存在になっていたということです。大日本帝国海軍側も、日露戦争でバルチック艦隊を破って以降に明確な仮想敵がなくなってしまいました。その対象がイギリスやアメリカといった大海軍国になってしまったので、日本海軍も少し過剰なまでの軍拡競争に巻き込まれてしまったのです。 アメリカ海軍にとっては日本海軍は「いつかどこかでやらなアカン脅威」となってしまった面は否めません。 もうひとつは、日本がナチスドイツと同盟関係にあったことです。むしろルーズベルト大統領としてはこっちが目的だったかもしれません。イギリスを助けるためにはなんとかドイツと戦争にしたかった。けれど国民がそれに賛同せず、参戦の口実も得られませんでした。 そこで日本がアメリカに開戦することで世界大戦になり、対ドイツ戦に参戦できるようになるだろうという見込みというか、期待はあったと思います。ひとつ見込み違いがあったとしたら、日本はアメリカ人が思っているよりかは苦戦する相手だったということです。フィリピンを失落して危うくオーストラリアまで迫られるとは思っていなかったでしょうね。 分かりやすくいえば、日本がちょっと生意気になりすぎてドイツの同盟国だったからけしかけたということだったとは思います。 また当時日本は、くず鉄の100%と石油の90%をアメリカからの輸入に依存していました。くず鉄がないと鋼鉄は生産できず、石油の重要性においては説明は不要でしょう。アメリカと戦争になったら国家経済は遠からず破綻するであろうという読みはあったのではないかなと思います。 日米開戦の見込みを聞かれた山本五十六が「半年や一年は大いに暴れるが、そこから先はどうなるか分からない」と答えたという有名な話があります。おそらくアメリカ側の読みもそれに似たようなもので、半年か一年あればカタがつき、じっくり対ドイツ戦に参加できるだろうと考えていたとしても不思議はなかったと思います。 41年11月頃だとドイツ軍もモスクワに迫っていましたから、ソ連が脱落したらマズいという焦りみたいなのもあったかもしれませんね。特にルーズベルト大統領はあの人は皮をむいたら中は真っ赤っかだったような気もしますのでね(あくまで個人的な感想です)。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 北朝鮮の現状と比較しながら質問しましたが、「いつかどこかでやらなアカン脅威」がピタリだと思います。 また、「分かりやすくいえば、日本がちょっと生意気になりすぎてドイツの同盟国だったからけしかけたということだったとは思います。」とのご意見も、米国の本音はそんなところだったのでしょう。 納得しました。

その他の回答 (3)

回答No.4

アジア全土を植民地に と狙うアメリカにとって 日本の軍備増強は脅威でしかなかった だから難癖をつけて日本を戦争に引きずり出そうとしたわけです アメリカとしては今までアジアの国はちょっと脅せばすぐに植民地にできたのに 日本は中々脅しに屈しない それが許せなかったんだと思います 「黄色人種のくせに白人に逆らうとは生意気だ…」と(ハルノートにもそれっぽい事がかかれてますね)

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 経済制裁という脅しに屈しなかった日本に、大国米国のプライドが許せなかったという構図ですか。 なるほど、よく分かりました。

  • bardfish
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回答No.3

>日本の何が許せなかったのですか。 「許せなかった」ではなく、アメリカが「こうしたい」から日本を利用したというのが一般的な解釈のはずです。 なので、第一次大戦からの世界情勢とアメリカの国内情勢を詳しく調べてみましょう。 見えてくるものがかならずあるはずですよ。 「日本が悪い」みたいな思い込があると視野狭窄になって目の前にある答えを見失ってしまいますから、そのような思い込みは排除して歴史を調べてみましょう。 戦争に正義なんてないんです。 あるのは各国の思惑と政治的な取り引きだけ。 それぞれの国は自国の利益を得ようと敵国を利用したり味方国を欺いたりしているだけに過ぎません。 そこには悪意すら存在していることもあるでしょぅ。 純粋な正義を主張している国を悪者にして袋叩きにすることもあるでしょう。 そういう可能性を排除せず、客観的観点で歴史を見てもらいたいです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「許せなかった」ではなく、アメリカが「こうしたい」から日本を利用したというのが一般的な解釈のはずです。 すると、日本はまんまと米国の策略に引っ掛かって、うまくあしらわれてしまったということですか。 当時の日本は、もっと主体的に行動を起こしたと思っていました。 大本営はハルノートを読んで、“これぞ天佑”と大本営日誌に書き込んでいますから。 それはそれとして、教えて頂きたい疑問は「こうしたい」と判断した理由です。 例えば、仏印進駐とか、タイ国進駐計画とかで、どちらが米国にとって許しがたいとなるのだろうか、という疑問です。

  • hekiyu2
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回答No.2

米国の観点で、日本の何が許せなかったのですか。    ↑ 許せない、とかいう問題ではなく、米国の 国内事情です。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が 失業し、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は はっきりしません。 これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに なりつつありました。 うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。 また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を 貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く 可能性がありました。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ルーズベルトが、日本相手に戦争したくてしたくて、たまらなかったのだ、という事情はよく理解しているつもりです。 「それでどうしても戦争をやる必要があったのです。」と仰ることも分かります。 ビーアド著『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始ったか』(藤原書店2011年12月初版・日本語版)は読みました。原著は1948年公刊ですから70年前のことですが、これが絶筆になってしまいました。 この書の最初に 「1941年になると、日本が何年も戦闘を続けてきたアジア大陸で膨張主義的な目的を追求したことから、極東にも暗雲が立ち込めました。ルーズベルト大統領は、これに懸念を覚え、日本を抑え込むために圧力をかけ始めました。」 とあります。 米国は、日本と外交交渉を続けていましたが、米国から見て見過ごせないと判断したのは何(日本がとった具体的な行動)だったのだろうか、という疑問です。 >彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。 フーバーは、そう断言した根拠を示していますか。 今の歴史学から見て、その根拠はゆるがぬものですか。 数多の情報の中には、真珠湾が奇襲される恐れも無きにしもあらず、という程度の話があったことは事実です。