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電気の照明がない時代の生活
今のように電気の照明があれば一晩中起きている人も少なくないと思いますし,就寝時刻や起床時刻はバラバラだと思いますが,例えば日本の江戸時代前のように電気の照明がない時代の人たちがどんな生活をしていたのか,そんなことを紹介しているページをご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけるでしょうか。一番関心があるのは就寝時刻と起床時刻が何時くらいだったのかという点です。(今ほどバラツキがなかったのではないかと思うのですが)そんな点についてご存じの方(あるいはそういう国・地方で生活をされていた方など)がおられましたら情報をお知らせいただけるとうれしいです。
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東南アジア、インドシナ半島におきまして、カレン族の村 で少しばかり生活していたことがあります。 電気、ガス、水道、トイレ、電話等一切無し。 この村において「夜のはじまり」とは、日没のことを指しておりました。午後八時頃は「深夜」となります。日没とともに就寝し、夜明け前に起きる、というパターンでした。 従って、季節によって就寝時間や起床時間は異なります。 そもそも村には時計がありませんでした。 客人が来たときには、日本で言うところのキャンプファイヤー のようなことをしておりました。 村の子供達の健康的な笑顔が印象的でした。
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- yuhkoh
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これは東北の貧しい農村から、徴兵されて軍隊に入った人の感想です。 “軍隊に入って生まれて初めて、日が昇ってから起き、日が沈んだら寝ることができた”(岩波新書『日本の軍隊』より) つまりそれまでの生活は、日が昇る前から起きて、日が沈んでも働かなければならなかったのでしょう。昭和初期でもそんな生活でした。 さて、「お江戸日本橋七つ立ち」と歌われるように、七つ(午前4時)には町は動き始めていたと思われるでしょう。歌川広重の『東海道五十三次』のうち「日本橋」の情景も、朝日が昇る前から大名行列や桶をかつぐ魚屋などが描かれていますね。 もっとも、当時は太陰暦ですから夏と冬では日照時間が大幅に変わります。しかし、農耕においては春・夏は昼が長く、秋・冬は短くても不都合ではありませんね。 照明は灯明(灯台やあんどんなど)が中心でした。ろうそく(和ろうそく)はあくまでも仏事・神事などの儀礼や祭礼用であり、日常の照明ではありません。ですから、当時の人にとってろうそくの灯りは、もの凄くまぶしく感じたそうです。ろうそくが日常に用いられるようになったのは、洋ろうそくの技術が導入されて大量生産されるようになった明治以降からです。灯りに慣れた現代人にとって薄暗く思える光でも、当時の人には明るくみえたのでしょうね。
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貴重な情報をありがとうございました。たいへん参考になりました。
江戸時代のことは詳しくは知りませんが、子供の頃「大田舎」で育ち、大人になって東京大手町の会社に勤め、今は「中田舎」で隠居暮らしをしています。その経験から一言。 日没=就寝 日の出=起床 というNO.1、2さんのお説に賛成します。 私も登山の経験がありますが、山の行動の朝と晩は大変早いものです。暗くなる前に目的地に着かなければ危険な目に遭いかねません。ですから、一日のスケジュールは全て前倒しで、早め早めということになります。 江戸時代の人々の生活は、これと同じか、夕暮れの危険度は山登りのようなことはないでしょうから、少し後ろへずれるくらいでしょう。 子供の頃の大田舎の生活ですが、電気はもちろんありましたが、部屋の中には60ワット(その頃は60燭と呼んでいました)の電燈が一つくらいで、今から考えると随分と暗いところで生活をしていたものと思います。 農作業の手伝いをしていましたが、人々の朝は 日の出=起床 でした。夜間は電燈やラジオもありましたので、江戸時代よりは寝るのは遅かったと思いますが、それでも翌朝が早いですから9時頃には寝てしまっていたと思います。 停電がよくありましたので、ランプや蝋燭をよく使っていました。夜間家の外へ出るときは真っ暗ですので、提灯やランプも使いました(懐中電灯もありましたが、我が家のは壊れており、新しいのを買おうとしても高価でした)。 ランプのホヤがススで汚れますので、ホヤ磨きが子供の仕事でしたが、手が小さいうちはホヤの中へ手が入りますので磨きやすかったですが、中供?になってきますと入れた手が抜けなくなったりして困ったことを覚えています。 今でもたまに部屋の蛍光灯を消して、蝋燭や明治時代の骨董品のランプに火を点して楽しんでいますが、目が慣れてきますと灯火の近くでは字が読めます。新聞の見出し程度の文字は老人の私でも楽勝です。 ただ電燈と違いますのは、明るさももちろんですが、燃える灯火は炎の揺らめきがあります。そして蝋燭も油も点けていると減ることです。 今の電気はメーターが家の外ですので、電気を使っていても電力を消費していることが目に見えにくいものですが、蝋燭やランプの石油はじりじりと減っていくのが目に見えます。貧乏性の私にとりましては大変気になるところです。 江戸時代には、蝋燭も菜種油も安いものではなかったと思いますので、無駄遣いをせずに早めに寝てしまったと思います。囲炉裏の火の経験は私にはありませんが、明かりとしての効果はどの程度であったのか知りません。 江戸時代の労働は外の作業が多く、夕暮れになると仕事になりません。 今でも、オフィス街と違って工場は8時始まりのところが多いと思います。これは屋外の作業を伴うことが多いので、日のあるうちに作業を終えてしまう必要からだと思います。 蛇足ですが、テレビの時代劇の夜のシーンは明る過ぎると思います。部屋の中の場面では周りのライトを暗くして、行灯や蝋燭の光を浮き出させたほうが、陰影がくっきりとした横顔や炎の揺らぎが感じられて、もっと迫力が出ると思います。
お礼
貴重な情報をありがとうございました。たいへん参考になりました。
- nature345
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こんにちは >一番関心があるのは就寝時刻と起床時刻が何時 以前同僚約十名と谷川天神小屋に泊まりました。登山がそうであるように太陽が登ると起床しました。太陽が沈むとランプでした。 暗いので皆で山の歌を歌いたぶん8時頃には寝ました。 電気の照明の無い生活は太陽、たき火、ろうそく、ランプ、ガス灯 電灯の順で進歩したようです。時刻は文化の進歩で変わったようです 昔の本を時代ごとに読まれると良く分かります。
補足
貴重な情報をありがとうございます。たいへん参考になりました。「昔の本を時代ごとに読まれると良く分かります。」とのご指摘,確かにその通りだと思います。ガス灯以前の,ろうそくやランプの時代に関して知る上で,何かお勧めのもの(質問の内容を知る上で役立つ書籍)を教えていただけるとうれしいです。
補足
早速の回答をありがとうございます。午後八時頃が「深夜」ということはおおむね6~7時くらいには床に着いてしまうイメージでしょうか。電気がない場所では火が照明代わりというのは予想がつくところですが,お客さんが来た時などは今と同じで,ちょっとだけ寝る時刻が遅くなるわけですね。貴重な情報に感謝いたします。