- ベストアンサー
江戸時代の人々が可愛く思える。
こんにちは。 いつからか分かりませんが、江戸時代の人たちが可愛く思えます。 理由は、小さなことで驚いたり、喜んだり・・・。 あの時代の人は、今と違ってゆっくり四季折々の生活を 送っていたのかな~と思うと心が温かくなります。 浮世絵なども関係すると思います。 小さく書いてある人って、凄く可愛い顔してるじゃないですか? 私は史学とはまったく関係ないことを勉強している大学生です。 ただ、詳しくはありませんが江戸から明治にかけての時代が好きです。 史学を勉強している人、または歴史が好きな人はこんな感情になったりしますか? また、実際の江戸時代の生活は如何なものだったんでしょうか?
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
江戸時代の庶民(農民)というと、No.1さんが書かれているようなお代官様に搾取されて農民たちは鞭打たれて・・・というイメージがありますが、あれは明治政府の陰謀なんだそうです。明治政府は、江戸幕府を否定するために学校で「江戸時代の農民たちは虐げられて酷い目にあってきた」と教えたのです。 本当は、時々ぜいたく禁止令などが出ましたが結構支配は緩やかで、例えば農民が訴状を出すと切り殺されたみたいな話がありますが、実際は農民の代表(地元の豪農が多かったようです)が「今年は不作なので年貢を負けてくれ」と交渉したら藩も「しょうがないなあ」となることもしばしばだったそうですし、幕末には各藩の支配力も落ちてきて、各地で一揆が起きてなかには農民側の全面勝利に終るようなこともあったようです。藩は幕府にこのことが知られて取り潰されることを恐れたのでほとんど不問にされたようです。 普通私たちが江戸時代と聞いてイメージする世界はほとんど幕末に近い時代です。文化文政の頃以降ですかね。文化文政以降は当時の生活の記録を筆まめな商人が残していたりして、結構資料が残っているんです。 ところで、聞くところによると、現代社会は江戸時代より庶民に過酷な時代なんだそうです。確かに、江戸時代には年間3万人も自殺者はいませんでしたし、ましてや過労死する人なんていませんでしたし(幕末に江川太郎左衛門という人が過労死していますが)そうそう、江戸時代の武士の一日の勤務時間は約4時間、しかも一勤一休だったそうです。 さらに、現代のような厳しいノルマの成果主義でリストラ、なんてのもなかったですしね。 殺人事件などの凶悪犯罪はあまりにも珍しいので一度起きると瓦版などで大騒ぎになって何年もの間話題になるくらいでした。
その他の回答 (10)
- magdara
- ベストアンサー率20% (6/30)
No,9です。 浮世絵を海外から仕入れて、百貨店等で展示して売ったりしています。 「蒲原」が好きとは、浮世絵の良さが分かってらっしゃる方ですね^^ 蒲原の構成に、三人の人が入ることによって、足音まで聞こえてきそうで、タイムスリップしたような気分になりますね。 浮世絵は一枚一枚刷っているので、同じものはありません。絵師と彫師と刷師によって作られた工芸品でもあるのです。 このような職人達の美意識は相当なものだったと思います。 毎日を一生懸命ひたすらに生きていた江戸時代だから出来たのだと思いますよ^^
お礼
ありがとうございます。 へーそんな仕事があるんですね!ちょっと羨ましいです。 「蒲原」はあの雪の中の静けさが伝わってくるようで好きなんです。 蒲原にとどまらず、旅の浮世絵はどれも誇れる日本文化だと思います!
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
江戸時代の日本は、「歴史上稀なほどに善政が敷かれ、腐敗が少なかった『非民主主義社会』」と言えるでしょう。 例えば現在の中国を見れば、共産党の一党独裁の下で汚職が蔓延し「邦貨で数十兆円が汚職で消えている」と言われます。江戸時代の日本で権力を持っていた武士階級は、現在の中国の役人たちより遥かに清廉で職務に精励する人たちでした。江戸時代の一般日本人は、同時代の世界で最も幸せな庶民であったと思われます。 ところで、江戸時代の日本では石鹸というものが普通には入手できず、洗濯は水洗いするだけでした。これは前近代社会ならどこでも同じです。洗濯の頻度も今よりかなり少ないものでした。入浴や洗髪の頻度も今よりかなり低いですから、現代の日本人が江戸時代の日本に行けば、当時の常識では問題とされない異臭に耐えられないと思われます。 さらに、江戸時代の家は隙間だらけで、断熱材などは全くありません。今で言うと木造の物置のような造りです。さらに家の中を暖める暖房は基本的にありません。囲炉裏や火鉢で手を温める程度です。現代人にとっては耐えられないほど寒いでしょう。 逆に、夏は江戸(東京)でも今よりかなり涼しかったはずです。冷房による排熱がまったくなく、人口の熱源が今とは比較にならないほど少ないですから。江戸の夏(戦前の東京の夏)は、今の仙台の夏のようなものだったと推定できます。昭和30年くらいの生活を前提にしているTVのサザエさんで、イソノ一家が冷房なしで生活できているのはこれによります。
お礼
ありがとうございます。 >同時代の世界で最も幸せな庶民 このように聞くと本当に嬉しいですね。 他の国々が革命や内紛などで血を見ている時に、 幸せに暮らしていたということは、素晴らしいことだと思います。 江戸のようなゆったりした生活は憧れですが、やはり住めそうではありませんね(笑)
- magdara
- ベストアンサー率20% (6/30)
浮世絵を扱う仕事をしております。 私も日々浮世絵を見つつ、当時の人々の生活や喜怒哀楽に思いがけず微笑んだり、感動したりしています。 特に、広重の「東海道五拾三次」は風景と、とても味のある人物を入れて叙情的な作品となっています。 この中に描かれる人物は、おしゃられるようにとても可愛い顔や変な顔、面白い動きをしていたりと、 実に様々なストーリーを持っていて、当時の暮らしぶりを想像でき、とても面白いですね^^「御油」や「川崎」などがそうですね。 商人達や職人達は朝の4時くらいから活動するらしく、棒手振りや屋台のオヤジさんなど宵越しの金は持たず、 毎日楽しく、つつましく生きていってたんだろうと思います。また今と違って、余計な遊びや喧騒がなかったのですから、皆集中して仕事もできたんだろうと思います。 豪商は別でしょうけど、今のように老後に貯金などしないで、一日一日生きてるという実感とともに、 一生懸命過ごしていけるっていうのは、現代から考えると羨ましいことかもしれませんね。 私もこの仕事をするようになってから、江戸時代がとても好きで身近になりましたよ。 なんだかとても抽象的な話ですみません。私も温かい気持ちになるということを分かっていただければ嬉しいです^^
お礼
ありがとうございます。 浮世絵を扱う仕事?!少し詳しくお聞かせいただけたら嬉しいです。 私も「東海道~」の絵は大好きで、そこに出てくる旅してる人々の顔 を見ると、実に表情豊かでこっちまで嬉しくなります。 特に好きなのは「蒲原」です。(表情は見えませんが、構成が) いえいえ、私も同じ気持ちなので参考意見をいただき嬉しく思っています。
- fathar-m
- ベストアンサー率12% (4/33)
身分が固定されている時代です。現代のような受験戦争や、過酷なノルマもありません(ごく一部、例えば幕末の佐賀藩等を除いては)。 また有害な食品添加物物などの化学物質などはありません。まさにスローライフ、スローフードです。 そのかわり、自然災害には無力でした。何しろ経済の基盤が『米』でしたから飢饉があれは直ちに経済破綻です。だからこそ身直な自然に畏敬の念をもっていたのでしょう。 江戸時代の260年間はあまり大きな変化もなく、時はゆっくりと流れていたのでしょう。 庶民が苦労したのは、むしろ明治維新など大きな変化のあった時代だと思います。
お礼
ありがとうございます。 時はゆっくりと・・・まさに現代社会に必要な生活ですね。 時代は戻せませんが、そんなゆっくりした生活をしてみたいものです。
>小さく書いてある人って、凄く可愛い顔してるじゃないですか? そう、どうして昔の絵ってマンガちっくな顔なんでしょうね?(笑) ヨーロッパもどうも昔の絵ほどマンガ的な気がします・・・ http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336038910 江戸時代の中のどのへんの時代かわからないのですが、江戸はリサイクルが盛んだったとか。 いろいろなものを再利用したり、修理したり、肥料に使ったり。 リサイクル社会という点では現代よりずっと無駄なく行っていたようです。 こんなサイトがありました。http://www.simofuri.com/recycle/recycle.htm 買っただけでまだよく読んでいないのですが、故・杉浦日向子先生の本がなかなか面白そうです。 江戸の女の子たちは強かったらしい、、男にモーションかけたりして、今と変わらない? 大阪と江戸では違ったようですが。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480816496/sr=1-7/qid=1165373710/ref=sr_1_7/503-3223143-0088722?ie=UTF8&s=books 杉浦さんはきっと江戸時代の人々を大好きだったろうと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 確かに漫画チックですね! 目や鼻がただの点々なのに、人情があふれ出ている顔してます。 紹介された本一度見てみますね。
今の人が江戸時代にタイムスリップしたら、暮らしていけるかどうか? 今のエアコンや自動車の楽な生活を知ってしまった人には無理でしょうな。 さる小藩の下級武士の妻の一日(朝のうちの最初のほう)・・・ 一番先に起きて用便(水洗ではないから臭い、汲み取りは百姓が肥料に使うので取りに来る、お礼を言うのは百姓) 井戸から釣る瓶で水を汲み、井戸端で洗顔(井戸の水は意外と温かいが水は水、吹きさらしだから寒い)。 火打ち石で竈の薪に火をつけお湯を沸かす(火をつけるのは慣れていても簡単ではない、煙が出るから煙い)。 井戸端で米を研ぐ、竈で飯を炊く(水加減火加減が難しい)。 裏の畑へ味噌汁の実にする野菜を取りに行き、井戸端で洗う。 漬物樽の中へ腕まくりして手を突っ込み、漬物を取り出し井戸端へ。 これじゃ今の若い女性は逃げ出すでしょうが、当時はみんなこれでやってたんです。ですから平気も平気、こんなことですめば楽しいくらいでしょう。 自分が幸福か恵まれていないかは、相対的に判断し、感じるものです。 当時の為政者が「上見て暮らすな、下見て暮らせ。」といいました。 ですから武士の中でも特落ち、庶民の中でも特落ちの人は不平不満を持ったでしょうね。 でも大多数の人は与えられた環境の中で、それなりに楽しみを見つけて暮らしていたはずです。 戦前の社会は言論弾圧があって、暗黒の社会だったという人がいますが、これは弾圧された左翼系の言論人が戦後復活して、いろいろ喧伝したから、そういう風に思わされてしまうわけです。 明治生まれの人と話してみると「そんなことはない、みんなそれなりに・・・。」ということになります。 江戸時代の封建制度を声高に悪し様にいう人がいます。そりゃ今の人権なんていう考えはなかったですから、そういう観点から論ずればそうなるでしょう。しかし大多数の人は「それなりに楽しみを見つけて・・・。」であったんですね。 それでも、どなたかが仰っていますように、武士の勤務時間はいかにも短く生産性が低かったですね。これじゃ今の公務員よりも働いていず、搾取といわれても仕様がありません。 武士はもともと軍人なんです。したがって行政の仕事(文官の仕事)は、そこそこにして残りの時間は武芸に励めということだったのかもしれません。 しかし長期間の太平で、旗本は殿様としてエラクなりすぎ、地方の下級武士、郷士、富農の子弟上がりの志士達(武芸も教養も旗本より上)に天下をひっくり返されてしまい、八万騎は役に立ちませんでした。 まあ、当時の余裕のある人の趣味は相当なもんですね。粋という面でもそうですし、教養の面でも現代人よりはるかに上です。 それに比べてインターネットにウツツをヌカしている我々は・・・ということになりそうですね(笑)。
お礼
ありがとうございます。 エアコンのない時代なんですよね。 夏はいけるとして、冬はやっぱり暖房器具なしでは生活できないですよね。 女性の仕事は大変そうですね。今の時期は冷たい水に触ることも嫌なのに(笑) 私も昔の人の方が教養面では上のように感じます。現代は便利になりすぎているんですよね。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
江戸時代の人も、うまくいったら、それなりに生活できたんだろうな。 というのが感想。 高い幼児死亡をくぐり抜け、次男坊・三男坊で、部屋済みでもない限り、だいたい、現在の人と余り変わらない天寿を全うしていたようです。 これは、お寺の過去帳を研究した人の本に書いてあった。
お礼
ありがとうございます。 今と変わらない感じなんですか。 確かに幼児死亡率は高かったでしょうね。 今の日本では考えられないことですよね。
- o_tooru
- ベストアンサー率37% (915/2412)
こんばんは、疑問はつきませんね。 さてご質問の件ですが、私も日本史は受験で少し勉強した程度のものです。 江戸時代と一口に言っても、元禄時代その後と 大きく分かれると聞きました。元禄時代はバブルの時代。宵越しの金は持たないなどという言葉ができたのもこのころ。時代の理念は「粋」でした。要するに、金をバンバン使うのが「粋」。一方そのあとの幕政改革が失敗した後は「通」の時代になります。要するに、少ないお金で楽しむのが「通」です。 しかし、江戸時代以前と比べると、政治が安定したために、経済的にも安定し、庶民の時代となりました。鎌倉時代前の時代は、貴族の時代でしたが。 折々の式の生活・・といいますと、やはり俳諧ですかね・・・。少しぎらぎらしたものを味わいたければ、近松門左衛門あたりはギラギラしたお金の話が読めますけどね。 結構今の時代に似ていたりします。
お礼
ありがとうございます。 江戸時代は庶民文化が豊かな時代と習いましたが、 やはりそこはその通りなんですね。 ちょっと私のイメージに合いました。
- sunnykego
- ベストアンサー率20% (6/30)
続いて、「士農工商」の工(職人)、商(商人)と言った、「町人」について。町人に対する幕府の取り締まりは農民ほど厳しくはなく、自由でした。時代劇などでよく小判が出てきますが、実際には、町人は小判など生涯手にする事ができないと言うのが普通だったようです。時代劇のように甘くはなく、日々の暮らしにも困る有り様だったようで…商人で、現在の銀行にあたるのが「金貸し」。いつの時代も金の力に勝るものはないようで(悲しい事に…)、最上級の武士が最下級の商人に頭を下げて金を借りる始末…不作だといつまでも武士に給料が支給されない為、金を貸しても返ってこないからと金貸しを辞める商人も少なくなかったとか…はたから見てれば楽しそうかもしれませんが、今のように物のある時代ではありませんから、暮らしが苦しかった事は否めないでしょう…
お礼
丁寧な説明ありがとうございます。 やっぱり苦しかったのですか・・・。 苦しくとも小さな楽しみや幸せを感じているイメージがあったのですが。 私のイメージは浮世絵やアニメ・漫画からですが、現実は甘くなかったのですね。
- sunnykego
- ベストアンサー率20% (6/30)
まず、「士農工商」の頂点に立つ武士。武士の暮らしは農民の納める年貢によって成り立って行きます。年貢は米ですので、不作の年は「いつになったら切り米(武士の給料)が支給されるんだ…」と、嘆いていたとか…徳川家康が貯えた巨万の富も平和が続くうちに食いつぶし、8代将軍吉宗が将軍となった時は信じられない程の赤字だったとか…7代将軍家継がわずか7歳で死去した為、世継ぎがなく、徳川御三家から将軍を選ぶ事になり、紀伊藩5代藩主として見事に紀伊藩の財政を立て直した名君・吉宗が将軍に選ばれ、「享保の改革」を行い、一応の成功を収めました。次に、大名の暮らしです。大名には3種類あります。徳川家康の子孫「親藩」。尾張、紀伊、水戸の御三家も親藩で、御三家は大名の中でも特別な扱いを受けていました。次に、関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた「譜代大名」。5万石以下の小さな藩が多く、最高でも35万石でした。幕府の要職に就く事ができ、将軍に次ぐ地位の職・老中も譜代大名から選ばれていました(2万5000石以上)。そして、かつては豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦い以降から徳川家に仕えた「外様大名」。大きな藩が多かったですが、元は豊臣側の武士なので、裏切る事のできないよう、親藩や譜代大名の間の領地に置かれ、監視されていました。また、大名は謀反を起こせないよう、常に幕府によって金を遣わされ、貧乏だったのです。その有名な方法が「参勤交代」です。江戸に行く費用は多額です。次に農民。農民は農村に住み、引っ越したり転職する事が許されませんでした。収穫した米も大半が年貢として持って行かれ、農民の主食は麦、粟、稗、黍…農民も謀反を起こせないよう、かなり搾り取られ、「生かさず死なさず」が、農民を支配する幕府の方針だったのです。ここまで、武士と農民の暮らしについて…
お礼
ありがとうございます。 私が考えていた「義理・人情」に溢れた江戸が聞けて嬉しいです。 やはり上のお偉い人でもちゃんと心は持っていたのですね。 というか、現代社会は江戸より過酷なんですか?びっくりです。 そうですよね、犯罪は多様化してますし。 >大騒ぎになって何年もの間話題になるくらいでした。 ↑こういうのが何か可愛いなーって思っちゃうんです。