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論証の妥当性とトートロジーの関係(命題論理)

A1、A2・・・という前提からCという結論を導く論証が妥当である、というのは、妥当という言葉の定義からして、 A1、A2・・・という前提がすべて真であるとき、必ず結論Cも真である。(結論がCで無くなるような場合、すなわち反例は存在しない)という事だ。 ここで、 (A1∧A2・・・)⇒C という論理式を見てみる。この論理式がトートロジーになる場合というのは、真理値分析してみて、 (A1∧A2・・・)が真の時、Cがすべて真 になっていればよい。 そして(A1∧A2・・・)が真の時、というのは、 A1、A2、・・・がすべて真であるとき、 である。つまり、 A1、A2、・・・がすべて真であるとき、Cがすべて真 という条件がそろえば、論理式(A1∧A2・・・)⇒Cはトートロジーである。 ここで、先ほどの、論証が妥当であるための条件、を見てみると、 A1、A2・・・という前提がすべて真であるとき、必ず結論Cも真である、 という風になっている。これはまさに、(A1∧A2・・・)⇒Cがトートロジーであるための条件である。 成り立つ条件が同じであるから、 A1、A2・・・という前提からCという結論を導く論証が妥当であれば、(A1∧A2・・・)⇒Cがトートロジーであり、 (A1∧A2・・・)⇒Cがトートロジーであれば、A1、A2・・・という前提からCという結論を導く論証が妥当である。 といえる。 また、成り立つ条件が同じならば、論理的には同じ意味といってよいので、 A1、A2・・・という前提からCという結論を導く論証が妥当である、という事と、 (A1∧A2・・・)⇒Cがトートロジーである、という事は、同じ事を意味している。 といえる。 かくして、論証の妥当性とトートロジーという概念がつながった。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 論証の妥当性とトートロジーの関係は、以上のようなもので、問題ないのでしょうか。 下から4行目、成り立つ条件が同じならば論理的には同じ意味になる、というところが、 なんとなく引っかかるのですが、そういうものなんでしょうか。

みんなの回答

回答No.4

ちょっと、的外しましたね、失礼しました。 トートロジーとは、原子式にどのような値を入れても常に結果が1となるような関数のことだそうです。 例えば、P∨¬Pという式を真理値分析してみると、次のようになります。  P   ¬P   P∨¬P   1   0     1  0   1     1 仮に、Pを「マオは犬である」という命題であるとします。 すると、P∨¬Pは「マオは犬であるか、犬でないかのどちらかである」という命題になります。 このような命題はトートロジーですが、トートロジーは命題論理において「論理的真理」とされています。 しかし、ここで真理であるというのはトートロジーが世界の絶対的な真理について述べているからではなく、 逆に、世界の在り方について何も言及していないからに他なりません。 (慶応大学 論理学の基礎ページを参考) 「マオは犬であるか、犬でないかのどちらかである」 論理学では上記がトートロジーになるとの事ですが、ちょっと不思議ですね。 ただ、A1・A2・A3・・・・Anと続くと 「マオは犬であるか、犬でないかのどちらかである」「マオは猿であるか、猿でないかのどちらかである」・・ 「マオは存在であるか、存在でないかのどちらかである」 Anが無限に続くと、トートロジーが矛盾式にならないのかな? 勉強になりました。もう判らないから、これで勘弁してね(笑。

koumori44
質問者

お礼

返答いただき、どうもありがとうございます。 論理学は難しいですね。

回答No.3

どうもトートロジーの定義が違うような。 トートロジーとは論理式の要素が真であろうが偽であろうが、全体としては必ず真となる論理式をいいます。たとえば、 排中律(p∪~p) 「アメリカの大統領はクリントンか、あるいはクリントンでないかのいずれかである」 交換律(p∪q≡q∪p) つまり、トートロジーの議論において、 >A1、A2・・・という前提がすべて真であるとき、 ということ自体がナンセンスです。

koumori44
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。

koumori44
質問者

補足

はて、Piedpipingさんは、原子式(論理式の要素)と前提A1、A2・・を同じものと捉えておられるのではないでしょうか。 上の質問の、(A1∧A2・・・)⇒Cという論理式のA1とかA2というのは、任意の論理式を意味しており、原子式(論理式の要素)とは限りません。 これをふまえまして上述の 「A1、A2、・・・がすべて真であるとき、Cがすべて真になる。」 という条件がそろえば、(A1∧A2・・・)⇒Cはトートロジーである。 という部分をもっと細かく書きますと、 「(A1∧A2・・・)⇒Cという論理式を構成する原子式(論理式の要素)の真偽がどのようになろうとも、(前提をあらわす任意の論理式)A1、A2、・・・がすべて真であるとき、Cがすべて真になる。」 という条件がそろえば、A1∧A2・・・)⇒Cはトートロジーである。 という事なのです。これなら別にナンセンスではないと思います。

  • koko_u_
  • ベストアンサー率18% (459/2509)
回答No.2

ひとつの論理体系(例えばペアノの公理系)のようなものを考えた時に、トートロジーというのは「n = 1 -> n^2 = 1」のように、論理体系の「中の」ことがらです。 対して、論証の妥当性とはその論理体系(同じくペアノの公理系のようなもの)においてどのような推論を許すか(例えば三段論法はオーケー)という「外の」規定です。 論理体系にはいくつかの公理系があり、それらはいくつかのトートロジーから構成されていて、許された妥当な論証で得られる命題もまたトートロジーになることが要求されます。それが「妥当」の意味。 公理系から妥当な論証を経ても「全ての」トートロジーには辿り着けないというのがゲーデルの不完全性定理。 。。。。だったと思う。(急に弱気)

koumori44
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。

koumori44
質問者

補足

残念ながら私にはよくわかりませんでした。上の質問は、命題論理においての話です。命題論理では、論証の妥当性とトートロジーは本質的に同じ概念だそうですが、その理解として、上のような理解の仕方であっているか、という質問でした。

回答No.1

不思議な質問ですね。 単純に考えると、詭弁の一種でしょうか。 水素2と酸素1が有れば、水になる。 で、これを記号にすると H×2+O×1=HHO=水 要素に分解すると、全て同じですから、トートロジーかも、 ただ、水素二つと、酸素一つが、独立に有れば、水とは違いますよね。 原因と結果の要素を同時に並べているだけで、過程を無視しているのかも。 >また、成り立つ条件が同じならば、論理的には同じ意味といってよいので、 水は摂氏100度で沸騰する。 この命題も、気圧の条件により、一気圧の下で真ですが、 条件が同じとは、ここでも、過程を無視している、 気圧は、960ミリバールから、1020ミリバールと常に変化している。 ちょっと、的外れかも、、失礼しました。 まぁ、誘い水と言う事で、お手柔らかに(笑。

koumori44
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。

koumori44
質問者

補足

ちょっとよくわからなかったのですが、トートロジーという言葉の使い方が、私の理解と違うかもしれません。 また上の質問は、命題論理で、論証の妥当性とトートロジーは本質的に同じ概念だそうですが、その理解として、上のような理解の仕方であっているか、という事を聞きたかったのです。

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