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論理の意味
「私の論理は~」とか「あなたの論理で言えば~」という使い方をよく見ます。 このときの論理の意味が辞書の意味と一致しません。 辞書で論理の意味はこう書かれてます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー goo辞書から引用します 1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の 組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」 2 事物の間に ある法則的な連関。 3 「論理学」の略。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 辞書から変換すると、「私の論理(考えや議論などを進めていく筋道)は~」と、このようになります。 しかし「私の論理は~」というときの論理の意味は「考え」のような感じで使われているんです。 私の論理は「~で~であるから~~とは~だ」という文章があったとします。ここの論理の意味が「考え」になってるんです。 論理というのは手法のようなものではないのですか?辞書からはそのようにしか捉えれません。
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では、その「私の論理は~」という言い方が、そもそも相応しくない使いかたなのです。 「私の論は~」 「私なりの論理に沿って言えば~」 「私の持論は~」 「私の考えでは~」 などの表現にすべきなのでしょう。 ただし、「私の論理は~」という形の文章すべてが誤りという事ではありません。 例えば、「私の論理はこうです。」という言い方は、私の「考えや議論などを進めていく筋道」はこうです」という前置きの説明文として通用しますよね。 言い回しや意味なんてものは時代で変わるもの。 誤用であってもそれが広まれば、辞書の方が変わる事もあるのですけどね。
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- taasii
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まず、あなたの思われましたように、「私の論理では~」と言う場合、 「私の考えでは~」という意味で言われていることは間違いないと思います。 そのうえで、辞書の定義「考えや議論を進めていく筋道、思考や論証の組み立て」も 間違ってはいないと、私には思えます。 「論理とは手法のようなもの」とおっしゃっていますが、それは引用された 辞書の定義の3番「論理学」にあたるのではないでしょうか。 「論理」とは表面的な結論ではなく、その過程も重視されたことばのように 思えます。 たとえば、鯨を食べることについて、反対の人は、鯨は知能をもっているとか、 ホエールウォッチングが楽しいとかいう理由があり、それよりも奥には人道的で ありたいとか、肉を食べるのはダメだとかいう思考過程があります。 一方、賛成の人は、それはヒューマニズムすぎるとか、鯨が増えすぎると海洋資源の バランスが崩れるとかいう理由があり、それよりも奥に文化を尊重しない一方的 すぎる規制に違和感を感じていたりするものです。 したがいまして、単なる賛成・反対だけの意見より深いものがあるのではないかと 思われます。 お互いに、相手の考えを理解し、尊重し、よりよい未来を築いていくことを めざしていきましょう。