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金と時間の扱いは節約しか価値ない?
「金」と「時間」の使い方として、いかに節約するかいう価値観にしたがって来たように思います。 それが近代工業商業であり、植民地主義であり、最近の価格破壊やら100円ショップやら通販やらオークションやら、さまざまな新種の商売、みな「時間と金の節約になります」と言っているように思えます。 時間や金に「節約」以外の価値観を使う道は、全くないのでしょうか。それは本当に妥当な未知なのでしょうか。
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節約するという価値観も、当然あります。一方、人生は限られているので、金も時間も生きているうちに使ってしまう、節約などしないという価値観もあります。要は、バランスが大切だと思います。 金と時間の使い方として、購入する価値に見合った妥当な対価を支払い、時間のかけ方として時間をかける対象に見合った時間をかけるまたは見合った時間しかかけない・・・という考え方もあります。 例えば、本来1000円の価値あるものを100円で買いたたくとしたら、それは買った人の不徳になります。 例えば、本来1時間かけて仕上げなければならない仕事を、質を落としてでも30分で仕上げたら、仕事をした人の不徳になります。 その不徳は、因果応報でいずれ自分に返ってきます。それで浮いたお金は、あぶく銭であり悪銭です。あぶく銭・悪銭はそれなりの使い方しかできませんし、身につきません。 価値あるものには、それなりの対価を支払わなければなりません。それを支払わないと、それを売る人を搾取したことになります。それを売る人の生活がなりたたないほど安く買いたたくのは買う人の不徳になります。 もちろん、売る人が喜んで安く売る場合や(そのような事情がある)のであれば、問題はありません。 経済原理、市場原理だけが全てではありません。経済原理、市場原理は、合理的のように見えて、人の価値観や心理で動くので、人が考慮していない見落としている要素(ファクタ)が多くあるはずです。 現代でも、人間はさほど賢くないので、例えば、自然を破壊してでも、人間の健全な社会を破壊してでも、自分を、地域を不幸にしてでも、経済・効率を優先する・・・という狭い視野で行動している可能性があります。 金や時間を無駄なことに使わずに節約して、使うべきときはケチることなく有効に正当な対価を支払うのがよいと思います。 節約に見えて実は大切な何かを失っていないか、考えてみる必要があります。
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訂正とお詫びの追記です。 私の回答、よく見たら、勘違い回答になっていました。 心から・・ごめんなさい。 「金・・節約」のふたつの文字ばかりが、見えてしまいまして。大変に失礼しました。 (ですから、私の回答、無視してくださいね、ごめん(__)) 以上
お礼
いえ、どうもお世話様です。
こんにちは >時間や金に「節約」以外の価値観を使う道は・・・ ここ哲学なので、哲学的な回答です。 結論をいうと、物欲をなくすこと、これで、まだ使えるものを、そのまま使うようになります。例えば、TVでは、見る週間が、なければ、いらないし、ビデオも。 この例をいうと、私の場合、ですが、いまいち??、TV写りは悪い、ビデオも調子悪いのですが、私の場合、TVは見ないし、ビデオも見ない、見ても多少のDVDレンタルで、PCを使用。 あと食事、食事は栄養成分を吸収が、目的。汚い表現ですが、食べて排出するときは、美味しいものも、まずいもの、好きなもの、嫌いなものも同じ、"あれ"になって、でてきます。 ですから、味覚に頓着しないことで、金額的には安くつきます。 私の場合、ほとんど根菜類の煮物、ほとんど同じものを食べています。ただ、飽きるので多少の工夫はしてますが、これですと、お金もたいしてかからないしね、かつ、酒も飲まず、ギャンブルはやらない、性欲の外の遊びもなし、ここまで、頓着しないと、必要なお金は少なくなります。 つまり、宗教的には、愛着、貪り(むさぼり)を弱くすることで、経済的な効果はある。あと哲学的な理由ですが、休みの日は食事は一食。調子の良い日は空腹感、体力の低下もなく、体は軽快。調子は良いです。 趣旨と違ったら、ごめんなさい、ここって哲学なので 以上
お礼
それは時間金を極端に節約する道ではないでしょうか?しかし、そういうシンプルさこそ、もうひとつの解答であるでしょう。
節約以外にも 消費(必要なもの) 浪費(欲しいもの) 投資(買うように仕向けられているもの) という価値観ならあるでしょう。 必要なものだけで満足するなら物の収納(思考や感情も) 置き場所に困らないはずなのに。 得に人間関係の節約と消費は大事かもしれないです。 「時は金なり」といいますが、お金だけが報酬でもなく、 むしろお金が掛からず、 時間も惜しまないで受け取れる報酬こそありがたみががありますね。
お礼
消費浪費投資も「なるべく効率よく得するように」という価値観で持って行われているのであり、これを「積極的に無駄にしてみよう」と言う価値観が生まれない限り同じ事ですね。 人間関係というものはまた経済理念とは別物でしょうね。 お金の報酬でなく時間制限もない報酬、そういう自由な人間的な価値観はすばらしいし目標にすべきです。
- ruehas
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こんにちは。 お金というのは使ってこそ価値のあるものです。 お金を溜め込むだけで使わないというのは節約ではありませんよね。お金というのは、それを何に使うかによって初めて価値の決まるものです。ですから、ここでお金の使い方を工夫すればその価値はより高くなります。「節約」というのは、お金を使うときにしなければ何の意味もないわけですね。 お金の節約とは、それを溜め込むということではなく、「効率良く使う」ということです。まして、時間というのは使わなくても過ぎていってしまうものです。ですから、与えられた時間を如何に効率良く使うかが時間の節約ということになりますよね。 さて、我々は資源を消費しなければ生きてゆくことができません。ですから、全てのひとが生きてゆくためには社会に資源の確保が成され、それがきちんと分配されなければなりません。この「資源の分配」を効率良く行うためにあるのが「経済」です。人々が生きてゆくためにあるのが経済であり、「財政」とは国が存続するための経済です。お金というのはこの機構として存在するものであり、使われなければ何の意味もありません。まして、時間とは有限資源です。そして、どちらの分配方法の効率が良いのかという思想に基づいて実践されたのが「自由主義経済」と「社会主義経済」です。従いまして、この両者ではお金の価値観というものが異なります。 「価値」というのは「収支」によって生み出されるものです。お金と時間の投資は支出に当たります。収入からこれを差し引いたものが利益であり、基の資本と合わせたものが「余剰価値」ですね。そして、このようにして余ったお金と時間は新たな投資に用いられます。ですから、これを節約すれば利益が上がり、価値はより高くなるということですね。 ですが、如何に収支効率を高めて余剰利益を蓄積しても、それを収入に変えられなければ新たな利益は生まれません。収入というのは市場から得られるものです。そして投資とは市場にお金を流すということです。設備投資を行い、材料を購入し、労働者に賃金を支払います。これによって市場に資金が流出し「購買力」が生まれます。資本を蓄積し、お金を溜め込むだけでは何の価値も生まれないというわけですね。 産業革命に始まる商工業の近代化は正にこの節約の歴史でした。生産効率が上がれば利益率が高くなり、資本の蓄積は進みます。そして、このようにして資本が拡大するならば、利益を生み出すためには、どうしてもそれを上回る収入が必要になります。材料を安く購入したり、労働賃金を抑えて収支率を高めようとすると購買力が圧迫されます。これに対しまして、別な方法で購買力を確保しようとしたのが「植民地政策」です。このようにして、自由主義経済の資本は雪だるま式に拡大を続け、二度と後戻りのできない状態になってしまいました。 「価格破壊」といいますのは、自由経済における購買力の獲得競争によって生み出されたものです。他社の市場を奪い取るために高い収益を犠牲にしていますので、これがそのまま労働賃金に皺寄せされます。この結果、市場の購買力が下がり、更なる価格競争に陥るというのが「デフレ・スパイラル」という悪循環ですね。 これを打開するためには、必然的な需要を内包する弱インフレに変動しなければなりません。ですが、インフレ状態を維持し続けるということは、自転車をこぎ続けるのと同じことであり、止まれば必ず転んでしまいます。そして、資本の拡大に歯止めが掛からなくなりますと、今度はバブル崩壊ということになるわけですね。 このような、自由主義経済の脆弱性を人為的にコントロールしようとしたのが「社会主義経済」であり、「計画経済」こそが最も効率の良い資源分配であると主張しています。 それはもちろん事実ですが、ご承知の通り、これを基に行われた社会主義経済の実験は、世界の至る所で尽く失敗に終わってしまいました。それは、人為的な効率を重視した結果、市場原理に基づいて導かれる向上性を生み出すことができなかったからです。切磋琢磨の技術革新が望めず、均等分配に甘んずる民衆が作り出されてしまいました。自由主義経済では市場価値を生み出すものでも、共産圏では贅沢品です。ですから、新たな生産性を拡大することもできません。このように、自由主義経済と社会主義経済ではお金に関する価値観もずいぶんと異なってしまいます。 とは言いましても、社会主義が崩壊したからと言って、それで自由主義経済が正しかったことにはなりませんよね。自由主義経済はその行く末を市場原理に依存する無軌道経済であり、インフレとデフレを思うようにコントロールすることはできません。逆に、批判する勢力がなくなってしまったのですから、今後我々は、自由主義経済に内包するこのような矛盾を自分たちの手で解決してゆかなければなりません。 資源を消費しなければ人類が存続することはできません。ですから、お金というのは使われなくては意味がないわけです。「経済」といいますのは、社会が存続し、我々が生きてゆくためにあるものです。そしてお金の価値とは、それをどのように使うかです。ならば、お金に対する我々の価値観は、その社会の運命を左右することになります。 保険業界が破綻し、バブルは崩壊しました。現在のようなアメリカ主導型のグローバル経済も、やがて行き詰まるのではないでしょうか。本当に妥当かどうかというご質問ですが、今の世の中をぐるりと見回してみれば、やはりもう少し自然と協調した心豊かなお金の使い方というのをじっくりと探してゆかなければならないのではないかと思います。
お礼
ご丁寧なご回答、ありがとうございます。 哲学経済とでもいうのでしょうか、すごく身につまされる考え方です。 結局のところ、「時間金の節約」とは資本主義経済の強制力が生み出した価値観の踏襲であると言い換えてもいいでしょう。
単純過ぎるのでは。 たとえば、一つの家庭において、 主婦は、いかにお金を節約するかを考えてさえいればすみますが、 旦那の方は、いかに多くの金を稼ぐか、それを常に考えていなくてはならないでしょう。 お金を多く稼ぐ方法? それは他人の需要(市場)にいかに迅速に応えるかにかかっています。
お礼
だんなの稼ぎ方と言うのも、なるべく高賃金をという考えですよね。なるべく低賃金でゆるりと時間をかけて稼ごうと思わないものです。 需要に迅速にこたえるというのはまさに、時間と金の最大効率化です。
- kobarero
- ベストアンサー率29% (106/361)
「金」と「時間」は「有効に使う」というのが、一般の価値観だと思います。そのために、「節約」して無駄な浪費を戒めるのでしょう。
お礼
人生になるべく多くの事多くのものを所有するのは本当に価値があるのかどうか。
- sinfonia
- ベストアンサー率42% (53/124)
日本ではまだ「節約」以外の価値観は多々あるように思います。 先の回答者にもあがりましたが、スローライフや男のエステ、 萎えないブランド志向などはやはり節約の価値観とは大きく 異なると思います。(受け取り方にも因ると思いますが) しかしながら、「時間と金の節約」が強烈なマーケットとして 印象付けている面は絶対的に否定出来ません。 これは少数の富裕層と「それ以外」で構成されている資本主義の 「掟」なんだと個人的には考えます。 極端な話、土台となる資本(金)をどれだけの「時間」で稼げるか、 というのが一つの重要な「ものさし」ですので、これを基調とした テーマが廃れることはないと思うのです。 (これはあくまでも「資本主義」の話で、「人の価値」の話とは また違いますけどね) 出だしに「日本は」と書いたのは、格差社会と言われつつもまだまだ 世界の中では貧富の差は少ない方だと思いますし、それだけ国民の 「選択の自由」にも幅があると思ったからです。 戦後のような国民の大半が貧しい生活をしていた時期には、良くも 悪くも「時間と金の節約」は命題となると思いますし・・・。 長文失礼いたしました。
お礼
やはり、圧倒的多数の庶民感覚ですね。 結局消費の中心人物たちの推移と言う社会的趨勢が連綿と続いている結果であると言うこともいえます。 ぜいたく品や便利な品と言うのは、庶民感覚で買うものではなかった。それが変わってきている。 たしかに資本主義社会の基本的哲学が身にしみてしまっているのかもしれないですね。
- m3o3m
- ベストアンサー率32% (170/529)
この前テレビでシークレットサンタの話をやってました。海外でクリスマスに貧しい人に現金を渡してあるく人の話です。人に施された経験から自分もそのようにしているうちに事業に成功し、人望と幸せと財を手にした人の話です。 お金は節約するのは自分の為でしょうが、人のために使うという道がありますよね。またその商品に見合った価値のお金を払うことで品質を買ったり、生活の質の向上=心の豊かさにもつながると思うので節約だけが重要では決してないと思います。今の時代豊かで物を大切にしない人が増えている割りに消費者金融地獄などに陥っている人が多くそのようなことがブームになっている気がします。 時間については皆平等に24時間と決まっているので配分は自分の好きなところに使えばいいと思いますしペースも自由だと思います。 できれば無駄にするより効率がいいほうがいろいろやるには便利ですという価値観が流行っているのかも。時と場合によりますよね。 どちらも自分の価値観でよいと思います。
お礼
自身の価値観と言うものが社会の価値観とどうしても平行します。そうするとその社会的価値観は「本能的」に正当なのだろうか?それとも錯覚なのだろうか? たしかに節約しない→消費者金融と言う流れも多いです。しかし、世の中に流れている底流の考えがそれと反対だからこそ起こる、一種の精神障害のような気もします。
- ANASTASIAK
- ベストアンサー率19% (658/3306)
>時間や金に「節約」以外の価値観を使う道は、全くないのでしょうか。 プラス思考でいきましょう。スピードを加味します。
お礼
たしかにそれが「プラス」なのであるという無条件な思い込みがあります。
- ap10
- ベストアンサー率33% (453/1356)
「スローライフ」という価値観があり、これは言えば「いかに節約するか」という価値観の逆です 色々なところで説明されているので、検索をかけて幾つか目を通してみると面白いと思います
お礼
スローライフ、今の通常の価値が支配的だからこそ生まれる概念なのでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 実に明快で霧が晴れたようにすっきりしてきました。 「節約すべき」または「節約すべきでない」時や物事ということを考えなくてはならないでしょうね。なんでも一本調子ではいけないでしょう。