- 締切済み
【古文】係助詞と終助詞について
高1古文の教科書に出てきたのですが・・・ 新古今和歌集 「年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり さ夜の中山」 この歌の、思ひきやの「や」は係助詞なのでしょうか?終助詞なのでしょうか? 辞書や教科書ガイドには「反語の係助詞」と書いてあるのですが、先生は「「けり」じゃ結べないのだから終助詞だ」と言います。 よろしくお願いします
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hanatsukikaze
- ベストアンサー率53% (26/49)
古典言語の分類にはあまり詳しくないのですが、調べてみたところ、 この歌の訳に、反語の係助詞(全訳読解古語 三省堂)とあり、各種の訳をみても ・・・この山を越えることができると思っただろうか、いや少しも思いはしなかった。まったく命があったことからのとなのだ。今こうして越える佐夜の中山よ。(新古今和歌集・山家集・金槐和歌集 有吉保他編 角川書店)とあります。(他には古典日本文学全集 小島吉雄編 筑摩書店、 日本古典文学全集 峯村文人編 小学館 日本古典文学大系 久松潜一編 岩波書店でも反語としております。) 私としても文治二年(1186年)の藤原秀衡への東大寺再建の勧進のための旅として西行69歳に約四十年ぶりの小夜の中山の峠越えは、若いときには簡単にできたこともままならなくなった思いも含まれている反語と思います。 なお、各種本には本歌として古今集の春下「春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり」としており参考まで申し添えます。 質問の趣旨からは少し離れてしまったかと思いますがご容赦願います。
- kyouzaiya-k
- ベストアンサー率66% (199/301)
どちらの説もあるようです。 高校古典の教科書も出している「右文書院」から、「先生のための古典文法Q&A100」という本が出ています。 それによると、従来、疑問や反語を表す文末の「や」は係助詞と考えられてきました。今でも文法書では多くこの説をとっているようです。しかし、近年、古語辞典などでは終助詞とするものも出てきており、右文書院でも、教科書ではそれらの助詞を終助詞とすることにしたそうです。 また、「日本文法大辞典」では、「か」の補説に、次のようにあります。 「文末に用いられる場合を終助詞と呼び、文中に用いられて、結びに待つ用語の連体を要求する場合に、特に係助詞と呼び、係り結びの法則の消滅したあとは副助詞と呼ぶ。」 ご質問の西行の歌では、「や」は文法的には文末にあり(四・五句「いのちなりけり~」と三句の間には明らかに断絶があります。つまりこの歌は二つの文でできているわけです)、よって、上記右文書院の本の筆者(教科書の編者でもあります)の考えによれば、終助詞ということになります(ただ、いまだ係助詞とする立場の多いことは、右文の筆者も認めているところです)。 私ごときは、何も言う資格はないのですが、終助詞と考えても十分理屈は通ると思います。当該の歌のように、必ずしも呼応関係を必要としない「や」は存在するわけだし、それが文末にあって反語、疑問の意味を表すのなら、終助詞と考えて問題はないと考えるからです。 今の「か」と同じではないでしょうか。文中にあれば副助詞であり、文末に来て疑問、反語を表せば終助詞です。 ただ、本格的にこの問題に答えるとなると、「係助詞」とはなんぞやという概念規定にかかわる込み入った議論になりそうです。それを手短に考察することは、私の手に余ります。
お礼
私はてっきり先生が間違っているのかと思っていましたが、そういうわけでもなかったのですね。 詳しいご回答ありがとうございました。
お礼
意味から考えるとやっぱり反語だと思いますよね。 わざわざ調べて頂いてありがとうございました。