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古文の「む」(ん)という現代なら反対の意味になる助動詞について
「行かむ」「乗りせむ」「何かせむ」と古文にある場合、まず「行かない」「乗らない」「何もしない」否定に訳さず、推量・意思等に訳して「行こう」(行かむの変化)「近寄り乗る」「どうにもならない」と訳すそうですネ。 そこで思うに、関西弁は「行かへん」「乗らせん」「何もせーへん」と良く言いますが、「ず・ぬ」の否定が「む」と同じ音韻変化をして「ん」になっただけかもしれませんが(行かぬ→行かん)、室町時代や江戸時代なら公家らも関西弁に近い言葉を使い尚且つ古典を残していたと思います。特に万葉集や古今和歌集(よく知りません)等の文献が多い京都を含む関西弁は不思議です。 現代なら否定の意味の感覚になる言語を、いつから関西弁は否定に使ったのでしょうか?。歌か文か明らかに一緒になった事例が分かる年代がわかるとなお更、すっきりするのですが・・・。
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現代の「ん」から出発して考えると、そのような疑問が起きますが、古語を出発点と考えるべきでしょう。 古語では、推量や意思は「M」の系列で、否定や完了は「N」の系列でしたから、その点では問題ないと思います。両者が、現代に至るうちに、どちらも耳で聞いて「ん」になるように同化したのではないでしょうか。 また、そのような変化が「書きもの」の中に反映されていてもいいのではないか、というご質問ですが、発音の変化が書物に反映されるには、数百年以上の歳月が必要です。日本でも、旧仮名遣いを改めるには、公権力を使う必要がありました。ヨーロッパの言語で、綴りの中に発音しない文字がたくさんあることを見ても、「書く」ことがいかに保守的だったかが分かります。
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- kwan1234
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失礼な言い方だと思いますが、何を質問しておられるのか、まったくわかりません。たとえば >現代なら否定の意味の感覚になる言語を、いつから関西弁は否定に使ったのでしょうか?。 これなどはどういうことを言いたいのでしょう?
補足
文章がヘタで申し訳ありません。 例「行かない」という現代なら否定の意味がありますが、古文なら「行かぬ」という言葉になるでしょう。 ところで関西弁なら「行かん」とテレビなどでよく聞きます。 「行かん」という本来の意味なら「行く」という意思表示。 関西弁なら否定の表現に使われている。 「行かむ」と「行かん」は耳で聞くだけなら同じ響きになりうるでしょう?。奈良・京都は関西弁の範疇とするならば、まったく逆の否定の意味の言葉を併用していた事になります。 むろん「行かむ」の「む」が通鼻語の「ん」になったとは申せ、強い「行く」という意思が「行かん」という否定になる言葉が、関西の方はいつから使い出したか混合時期があるのではないか?!、という素朴な疑問です。 気を悪くなされるかもしれませんが、「行かぬ」と「行かん」は似ているけど区別は出来そう気がしたのです。 「行かぬ」の意味で「行かん」と発した形跡があればいつ頃からかな、と素朴な疑問を感じたのです。
お礼
書き込み有難うございます。 Mの系列というのは「まみむめも」という意味ですか。 発音の変化が書物に現れるのは数百年の歳月がかかる、というのも読んで納得しました。 今でも「私は」は「は」と書いて「ワ」と読む慣わしに何も疑問がなく使ってます。 会話は途中で「行かん(む)」と「行かぬ(ん)」の聞き違いは日常あったろうけど文章としては、眼で識別できたろうから混乱なかったのでしょうネ。 本居宣長と上田秋成という学者が、音韻論争で「む」の事で絶交するまで論争したとネットで見ました。 江戸時代の学者が論争して平行線という事は、既に江戸時代では日本語の変化を分析できないくらい同化したと解釈したら良いのですよネ。 とても好奇心を満たせて貰い感謝します。