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ロシア文学って流行じゃないんでしょうか。
お薦めの古典なんかでロシアの作品を薦められることがあります。 私個人の感想としては、話がつまらない上にただ暗い話を羅列しただけのように思えます。 こういう言い方は偏見となるのかもしれません。ゲルマン人の大移動の後のヨーロッパで、封建制度の下、その後のルネサンス・産業革命後も、ロシアは後進国であり、市民革命も遅い時期にあったと思います。 うがった見方かとは思いますが、日本で戦後、共産主義とともにソ連や中共ブームが起こったと聞きました。その中で、ロシア文学が礼賛され、当時若かった彼らが、現在になって、ロシア文学が若い頃読むべき古典という風に吹聴し(現に彼らは読んでいるのだから)、位置づけられている、と思うのですが、考えすぎでしょうか。
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読書好きとしての意見ですが。読書に流行はないかと思います。好きなもの、読みたいものを読むのが趣味の世界では無いでしょうか。 私自身もロシア文学は少し読みました。トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ツルゲーネフ、などです。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などは、今でも世界最高峰の小説と呼ばれていますし、アメリカでも文学スノッブは、カラマーゾフを話題にすると聴いたことがあります。ちなみに、村上春樹もインタビューの中で、「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和(トルストイ)」は何度も読み返したと言っていました。 ちなみに、ロシア小説が長いのは、長い冬の時期に、ロシアの人たちが夕食後の楽しみに、これらの小説を暖炉の前で読んだからだ、と言われるのを聴いたことがあります。「戦争と平和」なんていうのは、今でいうメロドラマのようなもので、女性に人気があったがあったようです。 それらをふまえても、現代的な読み方がまだ、日本においてもあるように思います。読書好きなら、躊躇せずに読み進めるのもよいかと思います。感動するものもあります。特に、違和感は私にはありませんでした。 流行にのるより、流行を作っていけるくらい、になるのはどうですか/
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どんな作品をお読みになったのですか。列挙してください。
- hyoutou
- ベストアンサー率57% (12/21)
#3です。 えっと、 >ロシアは歴史的経緯から、文化的・文学的にヨーロッパ文化圏の中で後進国なのではないかと思うのです。例えば欧州には各種芸術・文化・学問・文学の都、 (あの分野ならあの国の言語を学び原書で読まなくちゃというような)といわれるような都市が各国各地にありますが、ロシアはどうでしょうか。 の辺りは、もう、そう思われるのでしたらそれでいいですが(ペテルブルグガ・・・)、 >第二次世界大戦後、学生運動が盛んになりました。社会主義体制の国へあこがれもあったのではないでしょうか。五木寛之などロシアに達者な小説家も多いと思います。一種のソ連ブームが起き、プロレタリアや搾取される階級などの代表格としてロシア文学も盛んに喧伝されたのではないか。 というのは、あまりにも短絡的ですよ。 断片的に指摘します。 1.学生運動というのが何なのかもう少しお調べになるべきです。キーワードは、1968年、安保、全共闘。 2.戦前のプロレタリア文学運動と、その挫折、そして戦後の文学者の左翼思想の展開という歴史的な流れをよくお調べになってください。雑誌名がキーワードになります。「文藝戦線」「近代文学」「新日本文学」 3.日本におけるロシア文学の受容について理解したいのであれば、戦前の翻訳文献の目録を図書館などでまず閲覧してみてください。明治初期、二葉亭四迷などによって、ロシア文学がいかに大量に翻訳紹介されたかわかると思います。この時点で主要なロシア古典文学が紹介されており、特に日本の写実主義文学の形成に多大な影響を与えたという事実は、確認しなければいけません。 4.共産主義という思想は、「唯物論」に親和性が高く、本質的に芸術と相容れないものがあると言ってもよい思想です。例えばソビエトにおいて、どのような文学が現れ、また既存の芸術・文学がどう扱われたか、特に革命以前の文学と、革命以後の文学との差異に注意して調べてみてください。 5.五木寛之に関して言えば、露文科出身の彼の出発点となった文学であるからに過ぎないのではないか、と思いますが。 むしろ、高橋和巳や、小田実などの名が出るべきです。 戦前と戦後をぶったぎった上に、戦後60年を一気に >第二次世界大戦後、学生運動が盛んになりました。 >一種のソ連ブームが起き、プロレタリアや搾取される階級などの代表格としてロシア文学も盛んに喧伝されたのではないか。 というのは・・・もう、乱暴というか・・・無理がありすぎます。 いろいろ書きましたが、各時代の左翼思想家達がロシア文学をどう受容していき、それが現代のロシア文学の読まれ方にどのような影響を与えているかという視点自体は、面白いと思います。「つまんないのに、文学的価値以外で評価されている」なんて結論を急がず、いろいろと調べ、多面的に読み、その上でもう一度考えてみてください。
お礼
詳しい解説の上に参考関連項目までつけていただいてありがとうございます。 調べる課題をたくさん設定できました^^
- joshua01
- ベストアンサー率66% (222/333)
こんにちは。 私も多分質問者さんと同じ方向性の印象をもっています。次のような考え方はいかがでしょう。 正直に申し上げれば私も全体にロシア文学が好きではありません。もちろん、ロシア文学といってもいろいろな作家・作品があり、私が読んだのはずいぶん前で、かつ、名作と言われるものをいくつかだけなのですが・・・ しかし、その作品全体に共通の印象があり、いずれも現代(ここ10年~20年)では受け入れられにくく、目に触れる機会が増えたとするなら何か不自然なことがあるからだろうと思っています。 ちょっと現代に合わないというポイントを上げると次のようなところでしょう。 ○ 全体に長い。また、場面展開に乏しい。 現代は何かとせわしなく、暇であるはずの学生さんでさえ、間断なくメールを打ち、ゲームの道具が豊富で遊ぶ種にも困らず、クラブや塾・アルバイトでかなり忙しい生活をしているようです。じっくりと感情移入しながら読むタイプの本や、電車の乗り換えの間の5分・10分の1~2ページごとに次の場面展開変化がない本は飽きられてしまうでしょう。 ○ 「生活が苦しい」、「虐げられた立場」に同調できない。 ロシア文学に多い「暗さ」のもとである、食べるものにも困り、理不尽な重労働などの場面には、空腹さえ味わったことがなく、学生運動も経験なく、若い正義感にもとづく反骨心がかっこよく見える機会さえなかった多くの方には同調しにくいでしょう。 ○ 深い心理描写は面倒くさい。 せわしなさの結果として、深い心理描写は、恋愛場面などよほど身近な場面でない限りめんどうなだけでしょうか。 ○ 名前、地名が読みにくくやたらたくさん出てくる。 文句なく一票でしょう?!英語圏と比べてさえ名前や地名が読みにくく、物語の展開の幅に比べて登場人物がやたら多い。ロシアの地名や名前、帝政時代の背景などに予備知識がなければとっつきにくい原因を作ってしまっています。(かつて私たちの仲間ではロシア文学を「電話帳」と呼んでいました!) ・・・とまあ画一的なひとくくりで悪口ばかりになってすみません。もともと活字離れの昨今、特に「いまどき的でない」印象の古典的ロシア文学に少々同情はしています。 ロシア文学がかつて崇高な文学として扱われた際には労働問題の共有や共産主義への憧憬を背景としているのは事実でしょうし、難しいロシアの名前でさえも時代の中でかえって憧れを強調するように働いたのは支配的な要素でなかったにしても否定されることはないでしょうから、その点では質問者さんのご指摘もある程度正しく、「その世代だけの自己満足」とも言えるでしょう。 他方、これらの文学に親しむためにはバラエティ番組を見るようにせわしなく読むのではなくじっくり読むことや、感情移入を意識したりする必要がありますので、取りかかりにもタイミングが必要かと。しかし、質問者さんが何かしら目にする機会が増えたとすれば、「軽薄で安易に過ぎる現代の文学・文化へ、逆説的に警鐘が高まってきた、物珍しさがこうじてきた・・・」と言えるかも。 現代の若い人にはそぐわないと言われることも多かった囲碁やクラシック音楽などもちょっとしたテレビドラマや漫画ではじけることもありますので(邪道ですが)、何かの機会にロシア文学も人気が出ることを期待してみましょう。 (あ、それから、「本は薦められるとつまらなくなる」の法則も念頭においたほうがよいでしょう。本は自分の意志で選ぶ瞬間がいちばん楽しく、読む中で感動ポイントを自分で発見するのが楽しいのです。たとえ先輩でも身近に内容を知っている人がいると思うだけで少々興ざめですし、ましてや勧められて読まざるを得なくなったような場合は昔の「課題図書」みたいになってしまって・・・。) ではでは。視点違いかも知れませんが楽しく関わっていただけると幸いです。
お礼
ありがとうございます。 大いに納得できました。
- hyoutou
- ベストアンサー率57% (12/21)
質問者さんの意図が少し分かりにくいので、補足をお願いします。 まず、 >話がつまらない上にただ暗い話を羅列しただけのように思えます。 という前提が僕には共有しずらいです。確かに、ドストエフスキーなどを挙げて一般的に「暗い」という感想は持てるかもしれませんが、ゴーゴリの短篇はむしろユーモラスであるし、チェーホフの戯曲には一種のすがすがしさ(明るさ)さえ感じます。 ロシア作品とは、具体的にどの辺り(誰の、どの作品)を指しているのでしょうか。 次に >ゲルマン人の大移動の後のヨーロッパで、封建制度の下、その後のルネサンス・産業革命後も、ロシアは後進国であり、市民革命も遅い時期にあった というくだりは、ロシア文学が「暗い」あるいは「つまらない」の理由の一つとして挙げてらっしゃるのでしょうか?もしそうだとするならば、両者の論理的的な結びつきをもう少し説明してください。 個人的には、「全共闘世代=ニューアカ前後の世代」がフォルマリズム運動、バフチン、ヤコブソン、といったものを日本に伝えた際、自らが過去に行ってきた行為と比してどのように止揚したのか、という点には興味がありますが。
お礼
ありがとうございます。 ざっと読んで、肌に合わない、という感じです。 むしろ以下のようなイメージを持っているため、積極的な読みと自分なりの評価をしてこなかったせいで悪い印象なのかもしれません。 ロシアは歴史的経緯から、文化的・文学的にヨーロッパ文化圏の中で後進国なのではないかと思うのです。例えば欧州には各種芸術・文化・学問・文学の都、(あの分野ならあの国の言語を学び原書で読まなくちゃというような)といわれるような都市が各国各地にありますが、ロシアはどうでしょうか。 第二次世界大戦後、学生運動が盛んになりました。社会主義体制の国へあこがれもあったのではないでしょうか。五木寛之などロシアに達者な小説家も多いと思います。一種のソ連ブームが起き、プロレタリアや搾取される階級などの代表格としてロシア文学も盛んに喧伝されたのではないか。その当時の若者世代が大人になり、今になっても、ロシア文学が亡霊のように現代の若者に読め読めと推奨(例えば推奨古典100冊なんかだと必ず入っている、全部19cなのに)されるのではないのか。 そううがった見方、をしてしまうのですが、ひねくれすぎでしょうか、という教えてgoo!です。
- harding
- ベストアンサー率19% (8/42)
共産主義と言えば、日本が軍国主義の頃に「悪役にされた」不運な政治活動団体ですね。 また体質が古く、封建的な所も否めません。そんな中でも、良い面と言えば、「人間らしく生きるには」とか、「弱者への思いやり」「罪を憎んで人を憎まず」等の価値観を大切にしていたそうですね。 それがロシア文学に顕著に現れたので大切にされたのだと思います。 ゴーゴリの「外套」は、正に現在にも通じるパワーハラスメントへの怒りを描いたもので、幽霊になって仕返しをする結末に胸が熱くなるものがあります。 ガルシンという作家がいます。「四日間」という作品は実話を基にしたものだそうです。戦争中敵兵をやむなく銃殺してしまった男が四日間、敵兵の死体と過ごし、「あいつにも家族がいるんだろうな」とかいろいろ思いを巡らせ、救出された時に今までの経緯を報告する結末…正に戦争批判の小説です。 他にもトルストイも教養的な「イワンのばか」という作品を残しています。 現在、短絡的に家族同士で殺し合い、なんでこんな酷い事件が…と思う暗いニュースが飛び込んできます。だからこそロシア文学でもっと深く人間探求に心を研ぎ澄ませて欲しい。憎い相手であっても、思いやりの精神を忘れないで欲しいという考えから、ロシア文学が大切にされているのだと思います。 ロシア文学だけでなく、ドイツ、フランス、イギリス文学の名作に触れることでも心が鍛えられますね。
お礼
ああ、言葉足らずで申し訳ない。 流行じゃないんですか、というのは、 ここ数十年のブームの結果、ロシア文学が取り上げられやすいのでは、 という意味で、 私自身がミーハーだからロシア文学を読む読まない云々という意味じゃありません。 趣旨は、(古典)文学といえど、ロシア文学にはブームという追い風が存在しているんじゃないのか、ということです。 ありがとうございます。