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もし桂・ハリマン協定を結んでいたら

もし桂・ハリマン協定を結んでいたら、その後の世界はどうなっていたと思いますか? 日米開戦は避けられた、とする見方もありますが、因みに自分の考えはこうです。 ロシア革命後、シベリアに続き満洲も赤化され(アメリカは共産主義に対する警戒心が薄かった為)、「ソ連邦マンチュリスタン共和国」が誕生、朝鮮半島に触手を伸ばすソ連と日本が開戦。アメリカは双方に軍事物資を供給しウハウハ。日ソ双方が疲弊し、特に日本が軍事支出の重みに耐えきれずに破綻、アメリカが援助と引き換えに日本を保護国化していたのでは・・・ 皆さんの御意見お待ちしております。

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  • pri_tama
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回答No.2

>もし桂・ハリマン協定を結んでいたら、その後の世界はどうなっていたと思いますか?  ハリマンとの協定を履行する理由が何も無いのですが…。  (破棄しても良いから仮協定なのですし…。)  実際には日本は、ハリマンとの協定を破棄して、小村寿太郎外相が結んできた同じアメリカのモルガン財閥から融資を受けました。  日本がモルガンを選択したのは、モルガンが提示した条件より良かった為(日露戦争で儲けられなかった事への挽回と対抗心からだと思いますが)です。  (満鉄の自主運営が可能になる融資を保証した。あとアメリカ製の広軌車両の販売。)  たまに、桂・ハリマン協定を廃棄したことが日米悪化につながったと主張する方がいますが、前述の通りアメリカのモルガン財閥から融資を受けていますから、ハリマン個人の感情を除けば日米関係に何の影響もありません。  (どちらもアメリカ大統領の斡旋[まあ名義貸しの線が強いのですが]を受けての交渉ですし…。)  なお、モリガン財閥は関東大震災の時の復興資金の融資までしてくれてます…。  (震災の影響で日本政府が破綻されてしまっては、融資が不良債権に成ってしまいますしね)  まあ、あれ程に桂太郎首相が熱心に勧めていた案件が、たかが外相の反対で一つで覆ったのはそれなりに理由が有るのです。  (代替案も無しに反対して、且つそれが通るほど明治の元勲達は甘くないですよ…。)

tegetege77
質問者

お礼

>ハリマンとの協定を履行する理由が何も無いのですが…。  そう言われると身も蓋もありませんが…(笑)  あの時点ではモルガンを選択した方が日本としては得だったのでしょうね。  日米関係の悪化は、ハリマンとの約束を反故にしたから、というより、むしろその後の対応(軍政の長期化や満鉄の日清共同経営を事実上反故にした株式募集など、一連の反門戸開放政策)が原因ということでしょうか?イギリスからもクレームがついていますし。  ありがとうございました。

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回答No.3

アメリカもシベリア出兵しているので一概に満州まで共産化したとは考えられませんね。 あと、あくまでも共同経営という形なので日本のコミットが0になることはありえません。いまの油田開発の権益のようなものですね。ここで一部分でもアメリカに防衛負担を任せるということは、利害関係が 日米において一致し、史実通り協定を反故にして小村の推すモルガンから単なる物品購入という形よりもはるかに深くコミットするということです。ですのでアメリカとは新たに満州相互防衛協定とかそういう条約を新たに締結して共同でシナとソ連邦にあたることが現実的になっていたとおもわれます。そのときあからさまに張作霖がアメリカの支援もなしに策謀することもなかったろうし、うまくいけば満州国自体を米英から承認されて平和裏にかつ安定的に統治できていた可能性が大であったと思われます。ついでに樺太の油田も日米英共同開発とかにしておけば、ほぼ利害が一致して戦争の可能性どころかその時点で極東の安全保障体制がいち早く構築できていた可能性もでてきます。 ちなみに当時の日本の最大の貿易相手国はいわずもがなアメリカ合衆国であった(対米貿易比率は60%) ので元々からアメリカ依存であるのでそのような国家とは敵対せず利害関係を更に進化させて同盟しておくのが基本と考えます。そうすれば、おそらくアメリカの邪魔立てで、日英同盟も廃棄されることなく永続した上、あわよくばこれにアメリカを加えて日米英三国同盟というのもできていた可能性は十分あります。 ちなみに小村の推していたモルガンからは結局融資をうけていなかった事実があり結論としては、アメリカは戦費だけ融資させられたあげく、満州利権からは完全に締め出されてこれ以降日本を目の敵にしだしたことは疑いようもない事実です。戦争をしたくない相手とは利害関係を最大限一致させておくことが必要ということでしょう。

tegetege77
質問者

お礼

お返事が遅くなってすみません(汗) さて、ご回答に対してですが、戦前のアメリカに対してかなり好意的な意見のようですね。 排日移民法を筆頭に、日本人差別をしていた当時のアメリカがたかが一鉄道王の利権を守る為に同盟関係まで結んだとは、わたしには考えにくいことです。 アメリカもシベリア出兵していますが、F・ルーズベルト大統領の周辺はコミンテルンの息がかかった者ばっかりだったようですし、大統領本人もチャーチルに言われるくらい共産主義に無警戒でしたから・・・ルーズベルト大統領が特別に容共が過ぎてたのでしょうか? ところで、わたしもその後色々調べた中では、アメリカが日露戦後に対日不信を募らせた最大の原因は、戦後も長期にわたった軍政や日清共同経営としていた満鉄を、IPOにより清側を排除して日本人だけの経営にしたことなどがあったようですね。 つまり門戸開放を建前に米英から資金集めをしておきながら、それを反故にしたことが許せなかったみたいです。 勿論、米が清の門戸開放を主張するのは清の植民地化に乗り遅れたからであり、満洲方面で根本的に日本と利害の対立する可能性がある中では、貴方のいう満州相互防衛協定や日米英三国同盟は望むべくもなかったのではないか、というのがわたしの考えです。 何だか御礼になっていないようで申し訳ございません。。。

  • tanuki4u
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回答No.1

1918年の シベリア出兵をどう解釈するのでしょうか? ロシア革命干渉に 日本は兵力7万3000人 アメリカが7950人 イギリスが1500人 カナダが4192人 イタリアが1400人の兵力を投入。 満州にアメリカの利権があれば、上記以上に出兵することは容易に推測されるのだが。 それを考えれば シベリアに続き満州が・・・というのは妥当な推測ではないと考えます。 1907年の 日露協商が結ばれるかどうかも検討する必要があります。また 1906年の 英露協商がどうなるか 1904年の英仏協商までが決まっていたとすると、中国市場への新プレーヤーアメリカを排除する方向でイギリスは動くと思います。 日露戦争の起因は、中国市場における主要プレーヤーであるイギリスが、ロシアを排除するためにアジアのローカルパワーである日本を利用したという側面があります。 ロシアを排除したのに、アメリカが入ってきたのでは、イギリスとしては目的を達成できないくなるので、アメリカと日本のどちらを排除するかにかかってきます。

tegetege77
質問者

お礼

なるほど、確かにシベリア出兵ではアメリカは日本に次ぐ2番目の戦力を派遣しています。しかし、史実におけるF・ルーズベルトの容共姿勢を見ると、遅かれ早かれ満洲は赤化されていたような気がします。それがソ連の一部か、中共の一部としてかは分かりませんが。 英国がアメリカを排除する機会があったかどうか・・・当時の米英関係が今のように親密だったかどうかまでは勉強不足で分かりませんが、少なくとも敵ではなかったでしょうから、何かの機会に利権を奪うチャンスを待っているうちに第一次世界大戦開戦、となっていた気がします。 米英関係も考慮した視点で御意見をいただいたのは参考になりました。ありがとうございました。