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江戸幕府の財政改革の疑問点
江戸幕府の財政改革を見ると質素倹約の奨励がよくでてきます。このさい町人にも質素倹約を奨励する意味がわかりません。単純に考えると財政再建をするなら、人件費を減らすべく幕府関係者の給与を減らす。すると、倹約せよと言わなくても、いやでも彼らは倹約せざるをえなくなります。町人に倹約のおつきあいをさせる必要があるでしょうか。また、幕府の財政改革では農民からの年貢の増収に尽力するわりには商人からの税を増やそうという考えはあまりしてないように思います。もうかっているところから徴税するのが普通だと思うのですがなぜでしょうか?商業組合が老中らに政治献金して税を重くしないようにしていたのでしょうか。
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江戸時代だけでなく、それ以前も含めて、日本の基礎は農本主義でした。 お百姓さんが農業をして、土から得たものだけが収入として扱われると言うのが、原則的な経済思想でした。 ですので、商売というのは必要悪と捉えられ、「無いほうが良い」という思想が、幕府にあったのです。(現状は初期段階の資本主義社会でしたが) また、幕府や藩も農民を統制することによりその地位を得ていましたので、資本主義=資本があるものは経済活動をしてよい、となると、自分たちの地位を守ることが出来なくなるのです。 ですので、田沼意次などによる現状(商品経済)に即した政策を行うと、非常に反感を買い、すぐにゆり戻しがきました。 しかし、実際には貨幣を伴う資本主義が日本を覆い始めていましたので、幕府としては倹約をする→消費を冷ます。町人にも倹約を呼びかける→消費をますます冷ます。という方法しか政策をとれなかったのです。 ちょうど今の日本での、個人消費の回復という政策の反対のことをしたのです。 こうすることにより、農作物が一定の価値を保つことができると考え、それをコントロールしている幕府(藩)は為政者として安泰であるということです。 町人から税金を取ることも出来ましたし、もちろんある程度はやっていたのですが、大々的に税金を取ると、町人からの税金は「貨幣」で支払われますので、そのお金を為政者が使うことで、お金を生み出すことが出来ない農民(農民は米で税金を払っていましたから)、を貨幣経済に巻き込み、結局、苦しめてしまうため、出来なかったのです。 明治維新がおきたのは、外国の圧力だけでなく国内的にも貨幣経済を押さえられなくなっていたからだといわれます。 また、日本が他の国と違い、近代国家を立ち上げることが出来たのも、国内で貨幣経済がすでに始まっていたからだといわれています。
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専門家様に否定されるとは思います。 町人にも質素倹約を奨励すれば、物価は下がります。 こうなると、ワイロも減ります。 買占め、独占、ワイロ、談合、値段の吊り上げなどは日常茶飯事であり、苦労するのは絶えず町民です。 財政改革と同時に、腐りきった政治、浮世をも改革する必要があったのだと思います。 商人の場合、大福帳が帳簿になるのですが、お上に出す帳簿と付ける帳簿が違う、二重帳簿や、書き忘れ、隠し金はあったと思います。 この反面、百姓の場合、納屋の全部の米が昨年と1俵違えばすぐに怪しまれますし、隣と全然違いませのですぐに問い正せられます。 家捜しされれば大変です。 しかし、素晴らしいお考えをお持ちの方と存じます。 日本の税金は、文部省にいくら、防衛庁にいくら。 こう振り分けられて予算に組み込まれ、 税金は、無駄なく使われているのだそうです。 江戸時代では、提出する紙を減らし、墨までけちって改革していました。 今の政府は、毎年赤字国債を出し続けています。 国債の量は増え続け、利息が兆になっています。 破綻の危険もあります。 これで、変わらぬ税金の使い方をずっと続けています。 いずれ負担を強いられるのは、 ※庶民です。 一流企業は優遇され、企業の拡大に努めます。 税は消費税や発泡酒、焼酎なども増やして行き、安い焼酎の意味が薄れて行き小さな酒蔵は死活問題にまで発展して行きます。 何故か、車関係は遅手で上がります。
お礼
現代社会の税も、圧力団体の影響で、優遇されているところ、そうでないところとあるようですね。今の政治制度の欠点かもしれません。ありがとうございました。
- tanuki4u
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○給与ではなかった 武士の俸給は、給与ではなく、先祖から受け継いだ権利であります。あるいは、本人の主君への忠誠に対する格付けであります。 人件費を減らす=俸給を減らす=権利の侵害であり、武士の忠誠を評価しないことになります。 徳川吉宗は上米の制を実施するに際して、事ここにいたって申し訳ない、一時的なモノだからと、謝っています。 ○徴税コスト No1のおっしゃるとおり、税金は取るコストの少ないところから取ります。 ○経済思想 経済というのが、経世済民、「世の中を治め、人民を救う」事から来ているように、当時の思想としては、治世者の考えるあるべき社会にする事が重要。そのあるべき社会の姿というのが、神君家康公の御代なのですから贅沢は禁止です。 小話:家康は木綿が好きだったので、吉宗の時代でも、木綿を着るようにと推奨しましたが、家康の時代の木綿は高級品だったそうです。高級品で肌触りがいいから家康は木綿好きだったのであって、質素が好きだからだったわけではないとのこと。
お礼
武士の俸給が簡単に減らせないとなると、財政改革はきわめて難しそうですね。ありがとうございました。
- merlionXX
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> 町人に倹約のおつきあいをさせる必要があるでしょうか。 ありません。 まあ、当時の日本には、というより当時の世界にはまだケインズが生まれていなかったからしかたないですね。(笑) > もうかっているところから徴税するのが普通だと思うのですがなぜでしょうか? 商人からも税金を取りましたよ。それを冥加金といいます。ただ、商人の利益にダイレクトに課税するには帳簿が読める税務官吏が必要です。当時、そんな教育を受けた人がいなかったわけですから利益に比例あるいは累進課税的な徴税のしようがなかったのでしょう。その点、農民には誰でも目に見える米という獲物がありましたからねえ。
お礼
商人から税をとるのは、システムとして難しかっ たということでしょうか。ありがとうございました。
お礼
市場に出回る商品の種類、量が減れば、相対的に米の価値が上がるということでしょうか。勉強になりました。ありがとうございます。