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江戸時代の一般市民は税金を払わなかった?

江戸時代の各藩の財政は、農民が納める年貢が主な収入源だったと聞いた事があります。 それで大名の勢力の大きさを 「石高」 で表わすようになったそうです。 という事は、農民以外の一般市民は、今で言う税金を1銭も払わなくても良いという事だったのでしょうか? 同じ一次産業になる漁民はどうだったのでしょうか? どれだけ豊漁で大儲けしても税金はゼロ? 例えば長屋の熊さんや八っつあんなどの職人、あるいは夫婦だけで小さな店を経営している商人、それとか鍛冶屋とか籠かきなど ・・・ 例を挙げればキリが無いのですが、これら一般市民への課税はどうだったのでしょうか? それと紀伊国屋文左衛門のような大富豪ですが、これも今でいう事業税や所得税のような税金を幕府や藩から課せられる事は無かったのでしょうか? 無論、貧乏武士から借金を強要されてそのまま踏み倒される事も多かったと思いますが、いわゆる 「制度」 としての税は無かったのでしょうか? 例えば今のように1年で千両儲けたらいくらとか、1万両儲けたらいくらとか ・・・ 当時は税の制度が確立していなかったので藩の財政は苦しく、今のような住民サービスというような概念も無かったと思いますが、それでも例えば街道の整備とか河川の補修など、大きなコストがかかる事業も多くあったはず。 もしかして、それらも全て農民からの年貢取立てだけで賄っていたのでしょうか?

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  • m-jiro
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回答No.3

こんばんは。郷土史の好きな者ですが、専門家ではないので間違いがあるかもしれません。 年貢は土地、すなわち田・畑・宅地に対して掛かります。現代的に言えば固定資産税です。土地を全く持っていない小作農は年貢は払いませんが地主は受け取った小作料の中から年貢を支払いました。 商人には所得税はありません。。木綿は必ず○○屋を経由せよ、とか、酒を10石作る権利といった特権を一般に持っていました。これらの特権と引き換える形で、色々な名目で金銭を上納しています。中小の商人も組合を作り、組合単位で同様なことをしていました。領主は臨時に金が必要な場合は寄付を要請しますが寄付せねば権利を抹消するぞといった強硬なものも多くあったでしょう。領主の方も寄付がないと困るし、商人は権利を維持したい、というわけで袖の下や法外な特権授与もあったようです。深く調べていないのですが寄付と特権の関係は江戸時代を知るうえで非常に重要なものと考えています。 漁師の場合は良く分かりませんが、やはり漁をするための権利金のようなものを納めていたようです。 ところで村を維持するには経費が必要です。庄屋さんの事務経費とか、道路の修繕とか・・・。こういった費用は原則として村の負担です。つまり住民は年貢以外に村の維持費を負担せねばなりません。私の生まれた所では持ち高に応じて負担します。つまり富裕層が多くを負担します。一方工事に出る人は比較的貧困な人が多かったので貧富の差を縮める効果もあり、村全体としては大きな負担とはならなかったようです。 一方、池や道路を作るといった大規模な工事では領主が多くを負担します。その金は村人の収入となるわけで、庄屋さんはそのような事業を計画することも仕事のひとつだったみたいです。

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質問者

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詳しい解説、有難うございました。 年貢というと全ての農民に課せられていたようなイメージがあったのですが、小作農には免除されていたのですね。考えれば貧農の階層からは何も取れないという事だったのでしょうね。 それと商人ですが、権利というと、今でいう許可証や免許証のような物だったのでしょうね。で、それを維持するために何某かの寄付を強要される ・・・ 多分、これが税の代わりになっていたのでしょうね。 とても勉強になりました。

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  • jkpawapuro
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回答No.2

漁村 年貢でググッタ一つ目です。 どうやら個数に応じて銭をとったり、船に応じて銭をとったり、特に全国的に定まったものはなく、各地で点で適当に徴収していたようですね。漁獲の捕捉などできないでしょうから、とりあえず適当に徴収していたと思われます。 こんな状態なら、天領の漁村なら無税とか、お城(奉行)の求めに応じて適当に魚を届ける程度かもしれません。

参考URL:
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/068301.html
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質問者

お礼

有難うございました。 漁民といえども、やはり何某かの税金があったのですね。 でも各藩でバラバラという事は、今でいう地方分権の極みだったのですね。

  • qualheart
  • ベストアンサー率41% (1451/3486)
回答No.1

商人や職人からは、運上、冥加という名目で租税を徴収していたはずだと思いますよ。 http://www.nta.go.jp/ntc/sozei/tokubetsu/h17shiryoukan/01.htm

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質問者

お礼

有難うございました。 なるほど、当時の商工業従事者には課税があったのですね。 でも漁師はどうなんでしょう? 年貢と言うとお百姓さんというイメージが強いのですが、漁師にも漁獲高に応じて何らかの課税はあったように想像しているのですが ・・・ あと、同じ商工業従事者でも、親方はともかく、現場で働く熊さん・八っつあんのような末端の職人にも税が課せられていたのでしょうか? ちょっと気になっています。

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