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江戸時代の改革と倹約令

お世話になります。江戸の3大改革では庶民に質素倹約をすすめますが、庶民が倹約をしたり、歌舞伎をやめたりすることが、なぜ幕府財政をよくすることにつながるのかがわかりません。

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  • tadagenji
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回答No.1

幕府や諸藩の武士は、今で言う公務員です。 彼らの収入は、好不況に関係なく一定であるので、引締め経済下では相対的に収入が多くなる。 逆に放漫経済下(綱吉の元禄時代)では、低くなり貧乏になることから、綱吉は、悪い将軍で吉宗はすばらしい将軍だとか、田沼は悪く松平定信は良いと、日記や文字を書けるのが武士に多かったことから後世に伝わっています。 庶民にとっては、まったくの逆でしょう。 現在の政権もこれと似ていませんか。

kokutetsu
質問者

お礼

人間の幸福感は絶対的でなく相対的ということでしょうか。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • isa-98
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回答No.2

倹約令により、物の流通を妨げ、物価を下げるのが主な狙いです。 また、増税による収入増加の狙いもあります。 享保の改革の場合は 実質3割以下であった年貢を5割に引き上げ、無駄金を回収する狙いです。 寛政の改革では物価を下げるのが主な狙いでした。 天保の改革では、 既に米中心の経済から貨幣経済に移行し、都市部に人口が流れていたのを「重農主義政策」によって強引に帰農させて年貢の増収を狙います。 一方小判は 吉宗の米価引き上げは思いの他ままならず、 大岡越前の偽造通貨製造に着手します。^○^ 民衆は100両よこせば165両になると言う言葉を信じて交換。 またたく間に経済は大パニック。^^; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%96%87%E5%B0%8F%E5%88%A4 それ以降、ますます小判は小さくなり 金の含有量も減って行ったのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%88%A4 寛政の改革では、経済自体が大きな問題になっており 天保の改革では、農政自体が破綻寸前になっていました。 百姓は食えないので出稼ぎに出るのが普通でしたが、 それでも食えない状態にまで貧困し出したのです。 (米と1両の価値が落ちた。)

kokutetsu
質問者

お礼

経済を弱くして物価を下げるということだったのですね。すると米価もさがってしまう気がするのですが。ありがとうございました。