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江戸幕府について
前から気になっていることが あります。 江戸幕府は265年も続きましたが、 幕藩体制と大名の支配についてです。 みなさん気づくことはありますか?
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- kandglose
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江戸幕府はその前の時代の鎌倉幕府や室町幕府と比べても、周囲の有力御家人なり 守護大名と比較しても更に(名目上の)経済力が大きい大名と相対したにもかかわらず 幕末の開国ならびに国論二分の中イギリスと組んだ西国雄藩(薩摩・長州)により 打倒され、明治維新に至るまでの265年間、幕藩体制を維持してきたことが特筆されます。 平氏の傍流が確認できる北条氏や、源氏の分家で名家である足利氏と違い、氏素性が 清和源氏新田氏の流れか疑問視される徳川氏(←松平氏)が、かつての同僚戦国大名だった 雄藩の首根っこを押さえつけ、支配できたのも、前二者の幕府と違い法体系や幕府内組織に 確固たるポリシーを盛り込んだ、身分階層ごとのきめ細やかな法律や組織体系があったためです。 話せば長くなるので割愛しますが、身分を問わず程度の差こそあれ「刀狩り」を行ったためです。 大名では一国一条令、武器政策への幕閣からの嫌疑(クロと認定されれば制裁発動か改易) 等の直接的なもの、参勤交代や幕府関連施設にかかる公共事業(費用大名持ち!)等の 経済的負担、更に嗣子断絶による改易や嗣子幼少・病気に伴う減俸、末期養子制度を利用した 直系断絶後の将軍家からの養子攻勢(尾張藩や越前藩がこれに該当。加賀藩も一時期適用 検討した時期有)で幕府に刃向う気勢をこれでもかとばかりに削がれていきました。 農民・町民は秀吉時代を踏襲し名実ともに確立した「刀狩り」で一般生活から武器を取り上げられ 265年間そういうライフスタイルが定着し普段は武器を使わない概しておとなしい国民性になり 明治維新以降や戦後の米国占領政策でもその統治方針は貫かれ現在に至ります。 寺社は安土桃山時代までに荘園制完全崩壊(←検地制度)や市・座制度の骨抜き(←楽市楽座) 等で無力化し、檀家制度や連座制で現在の戸籍制度・刑法に繋がる幕府の統治機構に 組み込まれる形で生きながらえつつも政治的強訴する力を失いました。 (もし行えば制裁対象として潰されたでしょう) ありとあらゆる階層で幕府に刃向う直接的・間接的な手立てを奪われた結果が、その後265年に 亘る太平の世をもたらしたわけです。 歴史とは面白いものです。アメリカは冷戦以降共産圏諸国等に対する軍事・経済的制裁、又 冷戦前後から同盟国でも勢力拮抗できそうな国に対し自国・国際公共事業の勧めや金融分野での 経済開放政策(=グローバル・スタンダード。5年前のリーマンショック以降次々欺瞞が発覚)、 現在では(恐らく実質片務的協定になるであろう)TPP参加の要求など、周辺国の「刀狩り」に 血道をあげています。 一方で自国民への刀狩りこと銃規制が「国民的感情の反発」により実現せず、毎年何らかの形で 大事件が起こり多数の犠牲者を生んでいます。 20年前のブランチ・ダビディアン事件は、宗教(カルト教団)までが絡んだ軍の戦車等まで 動員した大掛かりな大籠城戦(51日間)の結果信者81人の死者を出す大惨事になりました。 それでも刀狩りの議論は反対派の経済的発言力が大きく、なかなか盛り上がらない現状を見ても 日本の先人統治者(豊臣秀吉・徳川家康)の慧眼ぶりにただただ感服する思いです。 更には江戸時代は当初から基本重農政策で通してきましたが、貨幣経済の発達で商人が実質的に 力を付けると為政者の中には重商主義を唱え幕藩体制の維持・発展のため現実的な政策を行う 政治家(田沼意次他)が台頭したりもしました。これは現在の共産主義を標榜する中国が 経済開放政策で国民を慰撫し、文革や以前の政策で疲弊した国家の分裂抑止と共産党一党支配 体制維持のために行われているものとよく似ているように私には感じられます。 こうして見てみると江戸時代は、前近代の近世と分類されつつも現在の秩序ある国民生活の 基礎が確立した、大変重要な時期であると私は気づかされ、そう思考します。 同時に「賢者は歴史から学ぶ」の様々な典型を提供している状況に、感慨深い思いです。
- michael-m
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どういったことに、あるいは何に気づいたのか判りませんけど 実はに明治以降の学校教育は全て嘘だということ。明治政府の自己弁護的教育であったということ。 明治維新は単なるクーデターで、徳川を悪者にしたのは新政府が朝廷や国民を騙していたことがばれないようにするためのものです。 第二に日本は英国などよりも遥か昔から天皇制という立憲君主制を実践していたということ。 ただ英国ほどしっかりした制度でなかったために、ときおりおかしなことを繰り返してきたのです。