弁証法とは?
~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・あらゆる偉大な事物は、自己自身によって、自己止揚のはたらきによって没落する。生の法則が、生の本質にひそむ必然的な<自己超克>の法則が、これを欲するのだ。
――「汝自身の制定したる法に服せよ」という叫びは、ついにはいつも立法者自身に向けられるのだ。かくして教義としてのキリスト教は、おのれ自身の道徳によって没落した。かくして今や道徳としてのキリスト教もまた没落せざるをえない、――この出来事の閾にわれわれは立っているのだ。キリスト教的誠実性は、一つ一つ結論を引きだしていったのち、最後にはその最強の結論を、すなわち自己自身に反対する結論を引き出すのだ。が、このことが起こるのは、その誠実性が「あらゆる真理への意志は何を意味するか?」という問いを発するそのときである。
ニーチェ全集11 信太正三 =訳
善悪の彼岸 道徳の系譜
ちくま学芸文庫
581~582ページ
道徳の系譜
第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか?
~~~~~~~~~~~~~~~
… Alle grossen Dinge gehen durch sich selbst zu Grunde, durch einen Akt der Selbstaufhebung: so will es das Gesetz des Lebens, das Gesetz der nothwendigen „Selbstüberwindung“ im Wesen des Lebens, — immer ergeht zuletzt an den Gesetzgeber selbst der Ruf: „patere legem, quam ipse tulisti.“ Dergestalt gieng das Christenthum als Dogma zu Grunde, an seiner eignen Moral; dergestalt muss nun auch das Christenthum als Moral noch zu Grunde gehn,— wir stehen an der Schwelle dieses Ereignisses. Nachdem die christliche Wahrhaftigkeit einen Schluss nach dem andern gezogen hat, zieht sie am Ende ihren stärksten Schluss, ihren Schluss gegen sich selbst; dies aber geschieht, wenn sie die Frage stellt „was bedeutet aller Wille zur Wahrheit?“
Zur Genealogie der Moral.
Eine Streitschrift.
Von
Friedrich Nietzsche.
27.
http://www.nietzschesource.org/#eKGWB/GM
~~~~~~~~~~~~~~~
Selbstüberwindung のほうは別に質問しましたが、
今回は、Selbstaufhebungについてです。
aufhebungも止揚で、要するに弁証法でいいと思うのですが、
違っていたら教えてください。
ニーチェが弁証法を生の法則だと考えていたのかどうか知りませんが、
これを読んでいて結局、弁証法なのか?と思ったので質問です。
弁証法とはどういうことでしょうか?
しかも Selbstaufhebung だそうです。
お礼
回答ありがとうございました。 なるほど、すこし整理された気持ちです。 ところで、serpent-owlさんの回答で、また疑問が湧いてきました。 もう少し勉強してから、また補足説明と質問をしたいと思います。