家族というからには、まず自分がいてパートナーがいる。そして当然その上の世代の親もいるし、もしかしたら子供もいるかもしれない。それらをひっくるめて「家族」と呼んでいる気がします。
でも、世の中には血の繋がらない家族もいるわけで。でも血が繋がってなくても「家族」には違いないんですよね。そもそもパートナーって普通血が繋がってないし。
家族ってのは安心できる居場所なのかもしれませんね。子供は親に愛されるし、大人も大人同士で愛される事が出来る(夫婦間はもちろんだし、もしそうじゃなくても家族という認識で一緒に暮らす以上、そこには思い遣りとかがあるんだと思います。)。そこに帰ってさえくれば必ず愛がある場所。それが家族なんだと思います。
でも、”書類上のみ”での意味の家族なら必要ないと思います。まあ、子供をきちんと育んでいくという目的では有効だとは思いますけど。
悲しい事に子供に対する虐待とか夫婦間での暴力だとか、そういうのが蔓延してますよね。ハッキリ言ってそんなのは家族とは言わないと思う。
そんな家族は「家族」でいる意味なんて無いと思う。ただ、子供の将来を確保する意味で養育義務を課すのは必要なんですけどね。でもそんなの悲しすぎると思う。
やっぱり「愛」が重要なんじゃないかな。こんな事言うのは照れるし、奇麗事だと言われそうだけど。でも、「愛」は紛れもない現実だと思う。それがなかったら家族が家族として在る意味なんて何もないんだから。そんな事なら一緒に住まない方がどれだけ気が楽か知れない。
ストレスを溜める為に家に帰るなんてナンセンスもいいとこですから。
家族だからこそ出来る役割ってのは「愛」を教えるって事なんだと思いますよ。
まず始めに夫婦の愛があり、それが子へと与えられていく。そしてその子は成長し、パートナーへと愛を注ぐ。そして再び子を得て・・・。別に子供と血が繋がってなくたって良い。(子供もいないならいないでそれで良い)同姓同士の付き合いでも良い。そこに愛さえあれば。
それが為にヒトはヒトであるのかも知れないとこの頃思います。動物で夫婦揃って子育てするってあんまりないですよね。でも、ヒトは夫婦揃って子育てをする。男性でありながら母の愛を母である親によって理解するし、女性もまた同様。父である親を通して父の愛を理解する。それだからこそヒトは理性的にいれるのかも知れない。成長の過程で男性、女性双方を両親を通して知る事が出来るのだから。
(動物はそうはいかないですよね。動物は本能で異性と付き合うしかないんです。特にメスは。オスはかろうじて母親を通して異性を知るが、比較対照である父親がいないので理解できないと思う。鏡もないんだし。)
長文&駄文すみません。でも言いたい事は書けたと思います。あと、同姓同士の夫婦でも役割としては母と父に分かれると思っています。最後のはそれに配慮して書いたつもりです。男性という心、女性という心という意味でなんですけど・・・う~ん。言えば言うほどドツボですね(汗)。