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上杉家
上杉家も薩摩や毛利のように幕府に恨みを持ち続け江戸時代暮らしてたのですか?
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江戸時代、幕府に対し恨みを持っていたのは毛利藩と九鬼水軍の九鬼家位ではなかったかとおもいます。 その他の諸藩では藩主が養子縁組みなどで他家から入るケースも多く恨みを持続する事はなかったでしょう。 毛利は関ヶ原戦の時に領地には手を着けないという約束を反故にされ取りつぶしにあうという危機を経験し、吉川広家が代わりに大録を与えられたのを返上して毛利家の存続を懇願したので防長2国に減封して存続をゆるされました。 このとき家臣は大減封でしたがリストラはありませんでした。 この時の幕府の裏切りを恨んで、毎年年賀の行事に藩主と老臣が集合した時「謀反の時はどうか」、「いやまだまだ」と問答する習慣があったという位です。 九鬼家は水軍でしたが海のない内陸に領地変えされ水軍の地位を失い、家臣はこれを屈辱に重い、冬でも足袋をはかず、水軍時代の習慣を保ったといいます。 薩摩藩にはこのような事情はなく、幕末の島津家は将軍家に夫人を送るほどで親幕府派でした。
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- ewyr-05
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回答No.2
どうも、反幕府の精神は、米沢藩には残らなかったようです。 改易よりも、戦国大名、上杉謙信の子孫である家柄を守る事が大事であった訳です。 維新の頃、東北各国は幕府に味方し、 伊達藩、米沢藩も次々と降伏したのが実情のようです。
質問者
お礼
どうもありがとうございました。
- tanuki4u
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回答No.1
保科正之によって、取りつぶしを回避してもらったという感謝の念が強いそうです。超法規的措置というやつです。 このときに、上杉家に入ったのが、忠臣蔵でおなじみの吉良上野介の息子さん。
質問者
お礼
そうですか、上杉家は途中もめ事が多かったですからね。どうもありがとうございました。
お礼
毛利と九鬼家ぐらいですか、参考にします。どうもありがとうございました。