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大名同士の交遊
大名同士が私的に交友する事はよくあったのでしょうか? 例えば幕府からすると仮想敵国の毛利大膳太夫と島津薩摩守が親しく交際する事は何ら問題のない事だったのでしょうか?
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実際には当主同士が私的に交際することはほとんどありませんでしたが、当主の意をうけて家臣を通じての交際であれば公的にも私的にもありました。 ただ、大名側としても変に幕府ににらまれないようにと縁戚など特別な関係がない限り私的な交際はさけていたところもあります。 毛利や島津が幕府の仮想敵国になったのは幕末のことで、特に毛利は江戸時代前期から中頃までは御家門の越前との縁組をしたりして幕府の意を得ることに汲々としていたのみならず、財政も最初から厳しい状態でしたので幕府にとっては脅威でも何でもありませんでした。
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- 6dou_rinne
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回答No.2
補足ですが、隠居同士の交際ならあったようです。もちろん隠居ですからすべて私的です。 ただ、当主の間はなかなか気ままな付き合いは難しかったようです。
質問者
お礼
御回答ありがとうございます。 隠居同士ならあったのですね。
お礼
御回答ありがとうございます。 実際に交際する事はほとんどなかったのですね。 伺候席は同じで気があう大名とは私的な交際もしているのかと思っていました。 毛利は幕初は土井大炊頭などに取り入ってたみたいですね。制外の越前家が没落したのは毛利にとっては想定外だったのでしょうか…