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薩摩とイギリス
なぜイギリスが薩摩と歩み寄ったのか分かりません。また薩摩側もなぜイギリスに歩み寄ったのですか? 薩英戦争や生麦事件で薩摩とイギリスは幾度と対峙しています。勿論、イギリスに勝つのは無理だと分かったからという理由は分かります。しかし、それは薩摩側からのみかたにすぎません。 イギリスは勝手に人を殺された側です。薩摩への恨みはあるはずですよね?なぜ幕府側ではなく薩摩に歩み寄ったのですか?
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幕府がフランス寄り 幕府に対抗出来る勢力はどこか? 薩英戦争、生麦事件での交渉を通じて、薩摩のやる気がわかった。 国家は恨みとかで動きません。あるのは目的のための合理性追求。 特に、イギリスは感情論で国策を変えないから、世界のヘゲモニーを握ってきていましたので。
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- sarapiko
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回答No.2
アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(上・下)が岩波文庫から出ています。 これを読めば参考になると思います。 そして、さらに興味があれば、 萩原延壽の『「遠い崖」アーネスト・サトウ日記抄』が朝日文庫から出ています。
質問者
お礼
回答有難う御座いました。 いつか読んでみます。
お礼
回答有難う御座いました。 合理性ですか、イギリスの政治は上手いですね。