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ほにゃらか形而左右学 お祭り

どんな人種でも、世界中お祭りらしきものはあるようですね。 日本でも太古から祭りと思われる行事が続いており、伝統的に、神社を中心とした組織で引き継がれています。基本的には、祖先や自然の恵みへの感謝の表現や、悪霊、厄災の慰撫や防止、祭りの前と、祭りの後のため、祭りの最中は、厳格な儀式や形式に拘った神聖な贈与・共同精神の確認と言った特徴があるのでしょうか。 ところで、最近、祭りの様相が変化しているような気がします。 真剣ではあるが、祭りの最中を楽しむ、祭りの前や祭りの後には関心が薄れたようです。 この変化は、一時的流行なのか、一つの方向性でしょうか? 宜しくお願いします。

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noname#31063
noname#31063
回答No.1

躁うつ病患者は ポスト・フェストゥム(後の祭り) 祭りが終わって、 とりかえしのつかない時間意識の形成が大きな特徴。 逆に統合失調症(分裂病)患者は アンテ・フェストゥム(前夜祭) 時間先取性的時間意識の形成に 自己の存在と時間の意義を見出す。 というものらしいです。 「躁鬱病と文化/ポスト・フェストゥム論」/木村敏 http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn6813.html 日本の自然や四季の美しさ豊かさは 世界に誇りながらも、厳しいものがあって、 季節感も自然の恩恵、貴重性というのも 文明人にはあまり感じられなく来たせいでしょうか。 日本は自然と戦って来た民族なので 自然が脅威であり仲良く、 それよりもどうか無難にしたいと願い続けて来た。 人災と戦ってばかりだった西洋の歴史と比べると 良いものは脅威でないので 勤めて媚びない。 怖い相手だから奉ったり気を使って苦労するのですね。 日本も天災の脅威が軽減して 神仏に捧げる祈りや踊りや供養も 人災による脅威(経済的、身体的、精神的拘束、権力)に変わったので 組織や利権の>厳格な儀式や形式に拘った神聖な贈与・共同精神の確認と言った特徴があるのでしょうか。 人災に捧げるのはノルマ達成とか接待とか クレーム対応にあるようです(笑)。 儀式や形式、掟を守るものを守るというのが祭りの最中の共同認識で、 自由は、どの組織に属するか選択することだけにあって 祭りはもはや自由なものというものがなくなった。 つまり思考の分業化、価値観、倫理観においても分業が合理的、生産性が上がるということで 差別を支援する資本主義という方向性 『共同原理の崩壊』 があるせいではないでしょうか。 と、内輪もめする鬱傾向の日本人も増えたことで まだ、自然が仮想敵国であったら 互いに切磋琢磨する訓練という共同原理があって それを失いつつあるせいでしょうか。 阪神淡路大震災当時、 任侠道の方?はボランティアをしていた。 官僚はノーパンしゃぶしゃぶに公金を使っていた。 どちらも新しい「祭り」の様相かもしれませんね。

fishbowl66
質問者

お礼

何時もご回答有難うございます。 御礼が遅れましたが、最近絶好調ですね、少し圧倒されたような(汗。 柄にもなく数学などに手を出して、精神を病んではいけません 既に手遅れとの説もあるかも、自覚症状はないが。 ご紹介頂いた本が、役に立つ日も近いでしょう。 天災と人災の対比は、成る程と唸ってしまいました、益々絶好調(ヨイショ。 確かに、東南海沖地震のように、地震予知の情報等科学が発達すると、 お祭りの祝祭で、天災の予防や不豊作の予想を立てる流鏑馬も本来の意味が薄れます。 古い祭りは、確かにローカルで小さな共同体を意識するより、国を越えた共感を意識する、新しいお祭りは確かに可能性はありそうですが、祭りの最中の熱狂は年寄りにはもう一つ分からないですね。 単なる発散でない事を祈るばかりです。 ふむふむ色々勉強になります、有難うございました。 それに時間が有れば、最近の回答履歴を追いかけたいのですが、(面白そう 溜め込んだ、お仕事・道楽、お蔭様で結構忙しくしています。

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