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ほにゃらか形而左右学 テレビ
先日、北朝鮮の砲撃から逃げ惑う韓国の人々のニュース映像を見ながら、こうした映像がテレビを通して、私自身が見ることが出来ることに、違和感を感じました。 まずは、現場にいたら、映像のような客観的な視点はもてずに、映像の中の人々のように、安全な場所を求めて逃げ惑っていて、全く何も観察するような余裕もないし、恐怖や不安の中で、恐らく何がなにやらわからない、音と煙以外何も覚えていないような、経験ではないでしょうか。つまり、テレビを通してみる視点の不可能性のようなものが気になりました。 少し話は変わりますが、最近、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いかけが話題になって、それに対して明確に回答するのが、なかなか容易ではないし、色々な考え方が有ることから、同様の質問が、繰り返されているようですね。質問者はこの回答には関心ないのですが、なぜこのような質問がでて来るのかについて考えてみました。それがテレビに関係するのではと。それは、現在の日本においては、人の死が、ベールに囲まれた、葬儀として、或いはテレビを通してみる、死者の数、今年一年の自殺者は・・・人、交通事故で・・人の人が死亡、或いは自爆テロで・・人の人が死亡、といった具合です。それに対して、アメリカですら、学校での銃の乱射があり、中東・アフリカは説明する必要もないほど、人の死というものか現実の生活の中に不安を伴って存在しているのではないでしょうか。こうした事から、上記の質問を、死というものの不安を、表層化してしまう、テレビ等の影響が一部にあるのではないかと、推察することが可能ではないでしょうか。 さて、話をもとに戻して、現在、テレビが新しい時代に変わりつつあるとき、テレビの半世紀を振り返って、テレビの功罪について、皆様のご意見をお伺いしたいと思います。果して、テレビは人間を変えたでしょうか。 質問の中心は、テレビの内容(プロパガンダ的なもの)ではなく、ある種の超越的視線を得るという形式的な部分ですが、特に拘りません。年末年始の暇な時間に、ご回答をお寄せ下さい。忙しくてそれどころではない方におかれましては、長々質問しまして申し訳ありません、お仕事頑張ってください。
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お礼
有難うございます。 忘れていた質問を思い出させて頂きました、嘘ですが。 金魚鉢の絵は何処にあるの、見逃してしまいました。 こちらでお約束した絵のほうは、やっと四月の終わりから書き始めています。 元々、年に二・三枚しか描けない者が、去年からのものを取り敢えず完成させ、次の絵を書き始めていたころですから、お約束の絵を春までに何とかできると、このとき思っていたことが不思議ですね。 尤も、今年の初めには、PC環境に異常があって、データの修復やプリンターの修理と、一月以上無為に過ごす羽目になったのですが、このことを差し引いてもやはり不思議です。 今は、コンマ3ミリとコンマ5ミリのシャープペンで手抜き工事を行っています。ふと、誰が観るのか分からない絵をなぜ描いているんだろうと疑問に思いつつも、ペン先に集中する時間の流れの速さに驚いています。そうそう、先の絵を焦った為、腰を痛めたこともありました。 こうして、過ぎた日のことを考えていると、私の記憶が、このページのなかにあるのではと、ふとおかしな考えがよぎってきます、記憶が私の外側にあるということは、一見、とんでもない話ですが、自分が過去に書いたことを読みなおしてみると、興味深いことがありますね。 では、静かなうちに少しずつ描き込んで行きましょうか。