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ほにゃらか形而左右学 応援
ほにゃらか形而左右学 応援 日本人は、なぜ、日本チームを応援するのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
#5です。 >こうした事は、古来、本性と言われて、それで説明が終わっているのですが、それで終わらせて良いものかどうか、と言う辺りですね。 :挙げさせていただいた「代償行為」は、つまるところ、(精神的)生存に対する怖れにつながっているように思われます。 民族や国家というのは、一番わかりやすい、しかも崩壊しづらい、いわゆるアイデンティティたり得ているでしょうから、「日本」チーム=「日本」に属している私、ということで、安易に、しかし、確実にアイデンティティを実感できる(と思う人がいる)。 ある意味では事実ですし、こういった構造ではないでしょうか。 余談ですが、代償行為は自我防衛機能のひとつですので、フーリガンとか、負けて過度に悔しがるというのは、一種の神経症と分類できるように思われます。
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- AXIS_
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期待に応えてくれなかった場合は反感や不満を示したり憎らしく思ったり責めたりしますね。他国への援助は、そういったものはほとんどないでしょうね。ガッカリすることはあるかもしれませんが。区別したほうが良いと想います。 例えば、サッカーのファンが、自分が応援したチームが負けたときにどのような反応を示すのかが判断の基準になるのではないでしょうか。単なる利益にまつわる期待なのか、それとも純粋な支援なのかを判断できると想います。自分に利益をもたらさなかった時に責めたり「ミスしたあいつが悪い」などと思わないなら純粋な支援あるいは援助と言えるのではないでしょうか。落胆したりする場合は微妙ですね。 イエスや釈迦が、弟子が結果を残さないのを見て落胆するのは突き詰めれば自分にガッカリしているのだと想います。もしそうならイエスも釈迦もまだまだと言えるでしょうか。そんなイメージはないですけどね。
お礼
お礼が予定より遅れてしまいました。 昨日は、休日としては久々の快晴。出発に少し戸惑った事と、足がなまったせいか、100キロを僅かに越すぐらいの自転車漕ぎ漕ぎで、へばってしまいました。 ブルーの飛行機が、急上昇しつつ海の上で旋回するのを見ながら、あれはオランダの飛行機かしら、そう言えば、世界杯の三位決定戦、放送している所が見つかりません。 一番以外は、みな同じと言う向上心に基づいた発言もわからないでもないですが、雨の中で健闘したドイツチームのサッカーの華麗なシーンも見てみたいものでした。 閑話休題 へばって、頭の中が、空っぽになったせいか・・・応援と期待の分類、集合論とか図式とかを駆使して、この両者の違いと、重なり合いを、自己利益をキーワードにして、あれこれこねくり回していたのですが・・・ありゃ、こんな言葉をあれこれ分析しても、結局、言語ゲームやってるだけじゃん、と。 あれこれ、なんだかんだ、考えたあげく、納得と諦め、飽きの親近性に、心身ともに、どっと疲れが、とはいえ、結果ばかりを重要視するのではなく、過程も大切にしなければならないのは、サッカーの試合でも同じですね。 ご回答者様をはじめいろいろなご回答を頂きました、他のご回答者様方にも、改めて、お礼申し上げます。 有難う御座いました。
- AXIS_
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>子供の養育に関する義務を持ち出したのですが、なぜ自分の子供を養育するのか、と言う問いに対して、義務とか感情とか家族とかいろんな理由を挙げられるのですが、それをはじめに戻して、日本人が日本チームを応援するのは、いろいろな理由がある、と、やっていては、実も蓋も無いですね。 期待ですね。結果としての勝利を得る、あるいはより良い結果をあげる事を望んでいるわけです。自分が勝利したいからでしょう。精神的な、自分にとっての利益。恐れとか自我防衛云々ではないでしょう。 ファイナルアンサー。
お礼
ファイナルアンサーとして、自己利益と言う事は、ちょっと寂しい話ですね。夢がないような。判官贔屓のようなものは説明できても、自己犠牲のような応援の仕方、例えば、会った事もないアフリカの、ジェノサイドや餓えに苦しむ人々を応援したり、不甲斐ない、フランスチームに対する、フランス国民の態度、とか。 それにしても、お国柄なのか、メルケル首相のはしゃぎぶりは、ユーロの悩みは一夜忘れて、と言う事でしょうか。 ファイナルアンサーとしては、積み残しが有るような気もしますが、 取り敢えず、有難う御座いました。 もう暫く、待期(タイキ)しています。
- Y Y(@yy8yy8az)
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「自国のチームを応援するという一般的な事柄に、どのような理由、原因があるのか」 という疑問は、感情の面からではなく“理”の面において明らかにしたい、ということなのでしょう。 と、なれば“利益を求める”という無意識的心理に因る、と言えるかと思います。 尖閣諸島問題なども、政治的には自国の利益のために、それぞれ理由をつけて主張するのであり、それを受ける国民も、自国の“利益”を思って、支持するという“感情”が働くのではないでしょうか。
お礼
度々、ご回答を頂き、感謝いたします。 と言う事は、理由は原因ではなくて、後付の正当化でしょうか、なかなか含蓄に富んだ説明ですね。思惟と感情の順序を逆転させるのも面白いですね。但し、そこに「無意識的心理」を持ち込む必要が有るのかが、疑問点になりますが。 尖閣諸島問題とは、こういうことだったんですね。 私など、こうした基本的な領土問題を解決できないような国は、争いのネタを見過ごしている罪によって、当該地域を一括して国連統治下にしてしまった方が、良さそうですね。 天領の復活、そこに住む人は、天国人、なんちゃって。
- Y Y(@yy8yy8az)
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日本人が日本チームを応援するのは既成の事実であって“仮説”とはいえないのでは。
お礼
>日本人が日本チームを応援するのは既成の事実であって“仮説”とはいえないのでは。 これに関しては、実際の現実社会においては、既成の事実と言っても、さして問題はないでしょう。しかし、論理的に考えてみると、質問の文章は、あくまでも帰納法的な論理でありまして、これは結局は『仮説』の域を出ないと言うことでしょう。#2様も、この様な事を前提として、仮説と指摘されていると思います。 #2様のご回答では、仮説はあくまでも仮説で、仮説の域を脱出できないのなら、仮説のままで受け入れて、不必要な議論は必要ないと、お考えのことでしょう。 質問者は、瓢箪から駒、のようにあれこれ考えている内に、何か得るものがあるかもと、期待しているのですが。・・・期待しているんですよ。 取り敢えず、前回の質問と併せて、お礼させていただきました。 有難う御座います。
- Y Y(@yy8yy8az)
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この質問文に“仮説”は、含まれているんですか。 私には“疑問”しか含まれていないように思うのですが。
- AXIS_
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>この点で、不思議に思うのは、応援の常識的通常の解釈とはずれますが、拡大解釈すると、自分の子供を応援(養育)義務があるんですよね。 たとえば、自分の子供が野球のリトルリーグに入っていて、応援するのは個人的な感情によるものでしょう。 自分の子供を養育しているのも、義務感・責任感からではなく、自分の感情によるものではないでしょうか。少なくとも子供が生まれた時や、小さいうちはそうであるような気がします。 つまり、自分の分身として他者(子供)を扱っている。自分自身を他者に投影している。 後はcyototu先生のファイナルアンサーをお待ち下さい。私は先生には期待しています。
お礼
ご回答有難う御座います。 若干、Q&Aが錯綜してしまいましたか、質問者が応援を拡大解釈して、実践行為の問題にまで広げてしまったせいでしょうか。 日本人が日本チームを応援するのは、義務だと仮定すると、 今度は、その義務に関して考えればよいのですが、 義務ではなく、同族あるいは感情のような理由をあげられると、こうした恣意的な理由が、日本人が日本チームを応援すると言う、確率の高い状況をどの様に引き出してくるのか、と言った点が、疑問だったのです。 そこで、子供の養育に関する義務を持ち出したのですが、なぜ自分の子供を養育するのか、と言う問いに対して、義務とか感情とか家族とかいろんな理由を挙げられるのですが、それをはじめに戻して、日本人が日本チームを応援するのは、いろいろな理由がある、と、やっていては、実も蓋も無いですね。 >後はcyototu先生のファイナルアンサーをお待ち下さい。 W杯の決勝戦の日で、この質問を締め切る予定です、と申し上げておきます。
- Y Y(@yy8yy8az)
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日本人はなぜ日本チームを、韓国人はなぜ韓国チームを、応援するのか。 それは同じ民族だから。 それではなぜ同じ民族だと応援したくなるのか。 ここで同族意識、という言葉が思い浮かびます。 この質問は同族意識とは何かと、問うているようです。 同族意識は生物学の要素が強いのでは。 自国を応援するのは生物的反応。理性の分野ではなさそうです。 主義主張は、理性が作り出した‘理屈’というジャングルジム。 でも、自国を応援する、というのは“感情”。 なんて思い巡らせていたら、いきなり尖閣諸島問題の事を思い出しました。
お礼
ウルグァイ対ガーナ、ガーナ、延長後半、最後の最後にPKを外して、PK戦に。 思わず、悲鳴をあげてしまった人、多くないでしょうか。 どちらお応援しているのか、考えても、よく判らない試合でしたが、最後には、ガーナを応援したい気持ちになりますね。だって、反則で決勝点を奪われるなんて、不正じゃん。 と言いつつ、 >同族意識は生物学の要素が強いのでは。 >自国を応援するのは生物的反応。理性の分野ではなさそうです。 この辺りは、脇が甘いような気がしますが、 やった、ウルグァイも外した、タイだ。 あれ~、ガーナ、また止められた。あ~、憎たらしいゴール! 会場全体を包む大応援は、とうとう届かなかったようです。 価値ある、反則、一発退場でしたが、なぜか、アフリカにはフリーガンのような人は少ないようですね。 >尖閣諸島問題 う~む、謎を残しつつ、ご回答有難う御座います。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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ふぃっしゅぼうるさん。こんばんわ。8番です。 ご返信ありがとうございます。 言い逃げの予定だったのですが、 ついまた現れてしまいました。 >洗脳 :はい、そうとも言うような気がするのですが、 わたしが強調したかったのは、 「もともと牧場でのどかに暮らしていた多くの羊たち。」 これが一時的に作られた柵により、↓こうなる、 「 「西から来たやつら」「東から来たやつら」と呼ばれる。」 これは、「錯視」ではなかろうか、ということでした。 で、その「錯視」というのは、 どのようなメカニズムで起こるのか、 それによって、どのような問題が生まれるのか、 その問題を解決したり、問題を減らしたりするには、 何をしたらよいのだろうか、 これを、説明してもらえると面白そうだ、 ということで投稿したのでした。 ご質問とはズレているのかもしれませんが、 勝手に興味を持ち、しゃべらせてもらったのでした。 >【身内】【代償】と言った自我の一種の拡大 :このあたりは、わたしは何も話せません。 >正義感とか正当性 :はい、これを(報われなくても)、やりたがるようですが、 それはどうしてなのかなあ、と新たな疑問が湧きました。 >最大の極悪人でさえ持っているという、無償のシンパシー(同感) :そうですね、 「わたし(という個人)」が、「わたし」の視界に入っていれば、 「>絶滅」は、しないのではないかなあ、と思いました。 ただ、思ったことを書きました。 たぶん書きっぱなしで、消えます。 お邪魔しました。
お礼
>これを、説明してもらえると面白そうだ、 そうなんですか、 でも、錯覚といっても、唯幻論とまでは行かなくても、錯覚の程度の違いですから、錯覚自体は善悪を超えていて、良い錯覚も悪い錯覚もあるわけだし、善悪自体が錯覚かもしれないし、まぁ、一時的な理由による錯覚なら、二・三世代経過すれば、跡形もなく消えることでしょう。(但し、余計な似非学問が継続的に影響するとその限りではないようですが) 柵にも色々有りそうですね。 最初に思いつくのは、外部に強制的に作られる柵と、内部に意識的・無意識的に作られる柵。とはいえ、この外部と内部もメビウスの輪の様に、いつの間にかひっくり返っているのかもしれませんし。 次は、柵の材質でしょうか。木で出来ていたり、レンガだったり、或いは、有刺鉄線。具体的には、海とか山脈から、小さな小川までの自然的なものから、暴力・権力と言った恐怖の材質で作られたり、言語や文化・政治経済・宗教のような生活習慣といった材質から形成されたりするようです。 他にも、分析方法はありそうですが、御伽噺を分析しても、往々にしてグロテスクな結論しかえられないのかもしれません。 あれこれ考えていると、今回の質問も、結局、違うものを嫌って、同じものに好意・賛同を表わす理由はどんなことが考えるのだろうか、と言う事に成りそうなのですが、そのあとすぐ、違うものに憧れたり、仲間(フランス代表)を批判するのは、どうなるんだ、と、声がするんですね。 お気に召さなかったかも知れませんが、またのご来店を期待しております。
No.10さんへ cyototuさんに期待され、それが喜こばしいことと感じるならば 期待に応えようと努力専念するのが本筋だと思いますよ。
お礼
いろいろ大変のようですね。 ご苦労様です。 出来ましたら、私とは無関係のようですから、 別の所で始めていただけますように、お願い申し上げます。
- AXIS_
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追記 自分自身にとって、ほとんど関係のない政治のことを何にもならないのにあれこれ考える人がいますが、それも同じことです。政治や歴史について考え、思想理念とし、その上でいかに自分自身の普段の人間関係に生かしていくか。結局は自分自身のことに行き着きます。これが出来なければ哲学や宗教の意義はないでしょうね。少し話がそれたかもしれませんが。 この質問者さんhttp://okwave.jp/qa/q5995715.htmlが見て、改心してくれれば良いのでですが、、、。 自分が直面している状況、手に届く範囲内のことから逃げていると、未来や子孫や他者に希望を託します。
お礼
有難う御座いました。 え~と この質問者って、私の事ですか、さっぱり判らないので、 これにて失礼します。
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お礼
>「代償行為」は、つまるところ、(精神的)生存に対する怖れにつながっているように思われます。 いつも、質問者の脳ミソの片隅を活性化させて頂き、大変感謝しております。 今回、上記の文章ですが、これは「虎の威を借りる・・」とか「ファン心理・・」のように解釈できる事柄でしょうか、そうすると、こうしたものの存在論は、結局、外部の社会的力を別の視点で見たもの、と理解してよいものでしょうか。 質問者もウッカリ忘れていたのですが、日本を応援する、日本人の心とか日本人の精神と言ったものが、社会的力で形成されているとすると、こうした、心・精神を抜きにして、応援する理由を説明できないものかと、最初、考えていたんですね。 それにもかかわらず、下の方で、三段階に分断していたりして、質問者も迷っているところです。 余談ですが、フランスの敗北に対する反応も、興味深い実例ですね。 それにしても、ブラジルは強いですね。 なんとか追いかけて行きますので、何か有りましたら又よろしくお願いします。