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御用達商人
江戸時代の藩などで御用達商人がいますがその御用達商人は業界で一軒という場合が多いのですか?それとも複数で御用達商人を名乗ってる場合が多いのですか。
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「元禄御畳奉行日記」によると、尾張藩の畳御用達商人は三人以上いました。 共同で奉行を接待しているので、談合して思うように値をつけていたようです。 阿波藩では藍玉御用商人は複数いたようです。 小藩では特産品の御用取り扱いが、時代劇のように一人の悪徳商人に、任されていたこともあるかも知れません。 普通は一人では事故があると困るので、複数の商人を使うと思います。
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noname#25898
回答No.1
藩が違えば別の国のように、違うことがあります。(アメリカの州と似ているでしょうか) ですから、ごく大雑把にいうと、ということになりますが 藩の支払いは、渋く、支払いが先です。 ことに、将軍さまの食材を調達する人は、横柄で商人から嫌われていました。 複数存在しました。 名誉だけがとりえで、なりたがるものではありませんでした。 大奥の権威あるお局さまに、ひいきにされた呉服商人は名誉であり、支払いもきれいだと先を争って御用商人になりたがりました。 仕出しにして、納める商人は、割と高待遇だったようで、なり手は、多くあり、入札で、数をしぼるようなことはあったようです。 八百屋お七の実家は、そういうような商家でした。
質問者
お礼
複数ですね。どうもありがとうございました。
お礼
複数設けていたのが普通と考えられると言う事ですね。どうもありがとうございました。