- 締切済み
江戸時代の商人の知恵や商法について
江戸時代について調べています。 そこでご質問があります。 江戸時代の商人の知恵や商法はどういったものがあるのでしょうか? 商法については越後屋(三越)が 「正札販売」を始めたということしか知りません。 他に知っている方が居ましたら教えて下さい。 お願い致します!
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hanahide
- ベストアンサー率0% (0/1)
江戸時代は商人の色々はパターンが出てきます 政治にからんで大きくなった商人 政治にからまないでがんばった商人 越後屋は後者のほうでしょうか 江戸時代の商人の知恵や商法は 現在の経営者の大いに見習って欲しいものがありますね
- usokoku
- ベストアンサー率29% (744/2559)
兜町界隈で売っていたのですが。 江戸時代の米相場の取引のし方です。昭和の頃は株式売買の基本として使われていました。
- Mumin-mama
- ベストアンサー率45% (1140/2503)
ANo.2です。 「掛売り」はいわゆる「ツケ」といわれるものです。 また、江戸時代には「ミス江戸」の番付などもありました。〈両国にある江戸東京博物館)に番付が展示されていました。)http://www.gutenberg21.co.jp/sasichi17.htm
- Mumin-mama
- ベストアンサー率45% (1140/2503)
昭和40年代頃まで東京では習慣が残っていたのですが、米屋や酒屋などは「掛売り」と言って伝票に付けてもらって、1ヶ月に1度月末払いという習慣がありました。今のクレジット払いのようなものです。 落語で「借金で首が回らない」とは年末になって支払う金が無いと、借金取りと目を合わせないようにひたすら、店の前を前を向いて歩かなくてはならないから「首が回せない」→「首が回らない」と言うというのだそうです。 また、「土用の丑の日」と言うのは平賀源内が作ったキャッチコピーと聞いたこともあります。
- papabeatles
- ベストアンサー率15% (316/2083)
江戸時代の商人の知恵は丁稚の時代から人材教育をした事だと思います。しかも、店主の子供も同じように丁稚として鍛えたそうです。 丁稚の教育は年上の丁稚が指導して人材を育てていきました。 年功序列はとても悪い事のように言われますが、大店では奉公人の子供はほとんどその店に入ったそうです。そこには人と人との信頼関係が会ったと思います。 大阪の商店では奉公人の中でも一番の人物を婿養子に迎えてトップの人材を確保していきました。
お礼
そうなんですか。同じ人と人とのつながりでも、 今の社会のコネ入社とは全然違いますね。 そのような信頼関係の下で成り立つ組織の絆は深いのだろうななんて 考えてしまいました。どうもありがとうございます。
お礼
土用の丑の日が平賀源内が作ったキャッチコピーなんて知りませんでした。 掛売りはよくいう「ツケ」みたいなものなのでしょうか? 興味深いお話ありがとうございます。