- ベストアンサー
室町時代の商人の人民の定義
室町時代の律令法では、例えば船を利用した卸業者等は津料を一度でも払えば商業を行う人民としてみなされていたのでしょうか?自分は以前、商人とは複数の場所で商売をし、そのために各地を渡り行くものだから、それに合わせて関所を設け複数回、関銭を払う義務があるといった内容が律令制に書かれているといった内容をネット上で見たことがあるような気がするのですが、もし当時の商人の定義が律令制で定められてるなら教えてもらえないでしょうか?もしくはウェブのリンクを貼ってもらえれば嬉しいです。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 船を利用した卸業者等は津料を一度でも払えば商業を行う人民として > みなされていたのでしょうか? 津のようなアチコチにある大小様々な湊で、一々住所氏名を書いた津料の受取証(もしくは商人認定カード)を発行していたとは思えません。 正当な商人であるかどうかの判断基準は、寺社や貴族にお金を払って「座」に加入していたかどうか、だったのではないかと思います。 座に入っていない人間はモグリの商人として、見つかると商品は壊され、当人は大けがをさせられたようです。 商人とはいえないモグリの零細商人を排除していては町が発展しないというので、織田信長(斎藤道三がハシリ?)が「楽市楽座」制度を推進したのは有名ですね。 以前のNHK大河では、平幹二朗演じる斎藤道三が、若い頃に油座の大金持ち後家さんをたらし込んで店主に納まり、油商人として美濃国主に近づいていったという話になっていました。 楽市楽座のハシリが斎藤道三だったとすると、太閤の刀狩り的をしたのと同じで「また自分のようなものが出現しては困る」ということだったのかもしれません。