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We don't hope to find him soon, は誤文ですか。
「英語の文法と語法」と言う本の47ページに、 We don't hope to find him soon. は誤文であると書いてあります。 理由は、hope は wish と違い、「主語の主体的な願望の意味がない」からだとしてあります。 主語の主体的な願望と言う意味は分かるのですが、願望がなくても、否定形が作れないことにはならないと思うし、現実に、結構 don't hope to の形は使われていると思います。 皆様、誤文だと思われますか。
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Gです。 文法を最小公約数と表現をすることは本当に正しいと思います。 ただ、その最小公約数によって実際の使用を誤文と断言するのは、文法と言う「理論」を基にしたものが「誤文」と言えるだけの理論でもって証明できなければ、つまり、それは理論となっていなく、断言しようとする「誤文と言うこと自体」が立証できない物となってしまっているから、「誤文だ」と使っているアメリカ人に面と向かっていえない、と言う事なのです。 (私は他の回答者方と討論するつもり議論もするつもりもありません。 ただ、私の回答への「理論」を立証したいだけですので、個人的攻撃とはどうかとらないでください。) don't/do not hope to と言う表現自体が実際に使われていると同時にhope not toと言う表現を同じ文章に使われている事実やUKでも.gov、.gov.ukでも使われていると言うことも事実ですね。 しかし、使用する団体がない、だから誤文だ、と言う理論はいかにも弱いと私は感じます。 一般的に認められている日本語の表現がある団体では使われていないから誤文だというのは理論にならないのと同じことなんじゃないだろうか。 そうであれば、I bet youなんていう毎日でも使う一般表現はまず「引用」以外には新聞には使われないでしょう。 誤文だということが間違いだとなぜ認めないのでしょうか。 実力のある読者(質問者・回答者方たちを含む)が納得がいけない「主語の主体的な願望の意味がない」から誤文だということをいつまでも昔のように「著名だから」「「先生だから」と言う理由で鵜呑みしていいと言う時代は終わっているのです。 この本の作者に連絡取れればいいと思いますがどうですか? これほどよく使われてアメリカ人にそれほど違和感を感じさせないまま使われていることへの作者の「理論的説明」を聞きたいですね。 私は、文法学者の自説はその人の「個人主張」「個人的解釈」であることには違いないのです。 学会で説明されている理論でさえ個人主張なのです。 10%の日本人しか使わない表現は誤用とはいえませんね。 文法学者と言う1%にも満たない日本人と言う外国人がその何千倍ものアメリカ人が使っている表現を誤文とどうやって断言できるというのでしょうか。 私にはどうしても無理だと思うしかないのです。 I is a Japanese born American.と言う表現とはまったく違うのです。
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No.5です。 あなたはまず、英語より日本語を勉強する必要がありそうですね。 -誤文、とは少し違うと思います。 -逆に言うと、"hope"を限りなく"wish" あるいは "expect"に近い意味のつもりで使っている人は、"I don't hope ~"という表現が自然に出てくるでしょうし、聞く側もそれが分かっていれば特に問題とはしないでしょう。 -また、意図的に「意味をぼかす」使い方も出来るかもしれません。 という私の回答を、どうねじ曲げて解釈すれば「曖昧さを残す言い回しは、日常生活である意味必要でもあり、このため、I don't hope to do ...が使えないとは思えないのですが。」というコメントになるのか到底理解できません。 どうやら誰かに「don't hope to ~は誤文だ」と言われたのが気にいらなくて、憂さ晴らしに書き込みをしたようですね。それで「曖昧さが残るので適切ではない」という指摘を見て頭に血が上ったらしいが、そんな不純な動機でここに書き込みなどしない方がいい。 誤解をしているようなので断っておきますが、「nativeが使う表現だから正しい」わけではないんですよ。問題なのはあくまで「伝えたい内容が正しく伝わるかどうか」なのであって、nativeが使う表現でも、TPOを間違えれば誤文となるケースなどいくらでもあるんです。 別の意味に取り違えられる恐れがある分だけ、nativeの猿真似は危険だとも言えます。文法書が、あなたのような初学者に対して「曖昧な表現は使うな」と言うのは、むしろ当然の事なんです。
- Piedpiping
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ずいぶん間があいてしまったので、読んで頂けるかどうか分かりませんが。 先日本を読んでいて、 I could not hope to .. I could never hope to ... というのに立て続けに出くわし、すっかり驚いてしまいました。 あわてて Guardian その他で検索すると、出るわ出るわ、またしてもびっくりしました。どうやら法助動詞と一緒に使うと、容認度が急上昇するようです。 taked4700 さんもぜひ "not hope to" や "never hope to" でご確認ください。 もしかすると新発見かもしれません。 よろしければ、もっとよく調べて、英語語法学会などでご発表されてみては?
お礼
ありがとうございます。 御礼が遅れてすいません。ご投稿いただいた直後に読ませていただいたのですが、最近、疲れがひどく、お礼を書くことが出来ませんでした。 法助動詞は、一種の感情の表明でもあるので、それに対する否定形も感覚として浮かびやすいのかもしれませんね。 >英語語法学会などでご発表されてみては? とてもとても、自分にはそんな力はありません。
No.5です。蛇足になるかもしれませんが、 >hope that ...の言い方と、hope to ...の言い方とでは、ニュアンスが違うと言うのが、いまいち、つかみきれていないのですね。 この二つは構文が違うだけで、御質問の否定形が可能かどうかとは関係がありません。 >hope not to... のdon't hope to...との違いも、どうもぴんと来ないのですよ "I hope not to find him soon."が誤文だと書かれている文法書はないと思います。この場合not は to以下の不定詞にかかりますから、「私は彼がすぐには見つからないことを期待する=彼には、すぐに見つかって欲しくない」という意味なのは明らかです。"I hope not to ~"は頻繁に使われる表現です。 "I don't hope to ~"だと、not が hope を否定するため、「彼がすぐに見つかるとは期待していない(すぐ見つかるに越したことはないが)」という意味にもとれて曖昧なので、ほとんど使われることが無いのです。
お礼
ありがとうございます。 >"I don't hope to ~"だと、not が hope を否定するため、「彼がすぐに見つかるとは期待していない(すぐ見つかるに越したことはないが)」という意味にもとれて曖昧なので、ほとんど使われることが無いのです。 ご回答を頂いてから、いろいろ考えてみましたが、やはり納得がいきません。曖昧さとは、 1.彼がすぐに見つかるとは期待していない 2.すぐ見つかるに越したことはない の二つを意味すると言うことでしょうか。 ただ、このような曖昧さを持つ言い回しは、いろいろあると感じます。曖昧さを残す言い回しは、日常生活である意味必要でもあり、このため、I don't hope to do ...が使えないとは思えないのですが。
誤文、とは少し違うと思います。 その文法書は読んだことがありませんが、「主語の主体的な願望の意味がないから否定形が作れない」というのは、私にも意味が理解できません。 ただ、"hope" という動詞に否定形が「そぐわない」のは確かです。"hope" という単語には、将来の出来事に対する願望をこめた予測の意味があります。つまり、"wish" ほど積極的ではないが、"expect"ほど傍観的ではない言葉なのです。 従って何の脈絡も無く"do not hope" と言われると、聞く方は「予測される結果が望ましいものでは無い」のか、「望ましい結果が予測できない」のか判断できません。質問文のケースでは、どちらに受け取られるかで一悶着ありそうですね。 意味を的確に示せない文章は、好ましい表現ではないと言われても仕方ありません。しかし逆に言うと、"hope"を限りなく"wish" あるいは "expect"に近い意味のつもりで使っている人は、"I don't hope ~"という表現が自然に出てくるでしょうし、聞く側もそれが分かっていれば特に問題とはしないでしょう。また、意図的に「意味をぼかす」使い方も出来るかもしれません。 文法書はあくまでも最大公約数的な記述しかできませんので、指針として利用はしても、それに縛られることは無いと思います。受験勉強なら正か誤かの二択になるのは止むを得ませんが、そうでなければ自分は何を表現したいのか、そのために適切な言葉なのか、という観点から捉えられてみてはいかがでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 >、"hope" という動詞に否定形が「そぐわない」のは確かです。"hope" という単語には、将来の出来事に対する願望をこめた予測の意味があります。つまり、"wish" ほど積極的ではないが、"expect"ほど傍観的ではない言葉なのです。 そうですか。expectは傍観的という感覚がありますか ?何か、確かにそうだという気もするのですが、そうかな?と疑問に感じる感覚も残ります。 hope that ...の言い方と、hope to ...の言い方とでは、ニュアンスが違うと言うのが、いまいち、つかみきれていないのですね。どうもぴんと来ない。 hope not to... のdon't hope to...との違いも、どうもぴんと来ないのですよ。慣れだと言われれば、確かにそうなのかも知れないのですが、、、。 >文法書はあくまでも最大公約数的な記述しかできませんので、指針として利用はしても、それに縛られることは無いと思います。受験勉強なら正か誤かの二択になるのは止むを得ませんが、そうでなければ自分は何を表現したいのか、そのために適切な言葉なのか、という観点から捉えられてみてはいかがでしょうか? 確かにおっしゃるとおりですね。 重ねてありがとうございました。
- Piedpiping
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誤文か、と聞かれれば、好ましくない言い方だとしか答えられないでしょう。 先ほどこのカテで(削除されたようですが) 「この英文が訳せれません」 という文を見ました。 明らかに誤文ですが、よく見かける構文であることも確かです。 >Guardian Unlimited と言うイギリスの新聞のサイトで検索すると >"don't hope to"で3件でてきます。 2件は外国人の発話をそのまま再録したもののようですね。 Times では出てきませんでした。 アメリカの新聞もいくつか見てましたが、1件しか見あたりませんでした。 しかもこれも外国人の発話をそのままうつしたものです。 数字だけ見れば、don't want to do との差は歴然としています。 個人的には「結構 don't hope to の形は使われている」とは言えないように思います。 もちろん、Swan などに記述がある、ということは裏を返せば使われているという証拠でもあります。 ただ少なくともノンネイティブとしては、避けるべき用法であることは確かでしょう。
お礼
ありがとうございます。 確かに、自分も外国人の発話をそのまま引用してあるのだとは思いました。ただ、そのまま引用してあるにしても、言語的に間違えなら、それを直して引用するだろうと感じたので、そのことは述べませんでした。 なお、米国政府ページの検索 "don't hope to" の検索結果 約 41 件 となります。 http://websearch.about.com/gi/dynamic/offsite.htm?zi=1/XJ&sdn=websearch&zu=http%3A%2F%2Fwww.google.com%2Funclesam です。
イギリスの文法書(例えば一つ挙げると,Michael Swan, Oxford) では世界中の英語を話す人々に対して,通常はこうだと文法の解説をしているわけです. 「日本人に対して」誤用だと言っているのではありません. また,現実の日常生活でどう使われているかは別の議論です.英語の文法は歴史的な産物で,現実の英語の共通部分を長い時間をかけて抽出し出来上がってきたもので,混乱を防ぐための基準として機能します. 歴史的,時間的な流れの中で,生きた英語は基準から fluctuate するのは当然です.文法ではこうだけど,現実にはこうだ,ということは頻繁にあります.だからといって,現実を優先するあまり,文法が間違いだとするのは避けたいですね. 文法を否定するのも自由ですが,それは根拠の無い自己主張でしかないし,個人的主観(思う/思わない)をここで闘わせても無意味と思われます. この件はご質問ではなく見解をお訊ねのようですね.
お礼
ありがとうございます。 >この件はご質問ではなく見解をお訊ねのようですね. いいえ、違います。 誤文であれば、なぜそうなのか、どういう理由で、誤文と判断するのかということなのです。 文法規範と現実の用法のずれと言うことは、念頭においているつもりです。自分が知りたいのは、文法を支えるその言語話者の一般的な心理なのです。文法として定着するからには、それだけ広範な使用に耐えるだけの心理的な裏づけがあると感じるのです。
補足
to不定詞やthat節を取る動詞にも、動きへの圧力と言うか駆動力のようなものを感じるものと感じないものがあります。think などはないと感じ、want,ask などはあると感じます。そして、駆動力のあるものについては、その駆動力を否定すると言う意味で、don't want to...のような形があると言うのは分かるのです。 しかし、駆動力がないと感じられる think でも、米国政府ページの検索 "don't think to" の検索結果 約 382 件 となり、駆動力がないからと言って、その否定形が作れないとする論理に納得がいかないのです。もちろん、think to が、「しようと思う」と言う駆動力のある意味に変化していると言われれば、そうかとしかこの場合は答えられませんが。
- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! >We don't hope to find him soon. は誤文であると書いてあります。 次のような反論はどうでしょうか。 この本の作者はこの表現を使っているイギリス人、アメリカ人、オーストラリア人など毎日英語を使って暮らしている人たちに面と向かって「この表現を使っているあなたたちは間違った英語を使っている」といえると思っているのでしょうか。 それも、彼らが使っているレベルの英語でそのフィーリングを言えるでしょうか。 日本人に言っているからそう言えるのです。 アメリカ人が日本に来て日本人に向かって「あなたの日本語は正しくない」と言えると思いますか? もし私に向かって私の日本語の表現の仕方を間違っていると言えるアメリカ人はまずいないでしょう。 日本語も英語も分かるアメリカ人でもです。 非常に失礼なことですね。 しかし、間違っているかどうかを聞きたい人には「個人的感覚」から「私はそういいませんが」と言う表現はまったく問題ない表現だと思います。 なぜならその人はその人の個人的考えを求められたからです。 そして、「私は多くの人はそういう表現の仕方をしていますが、私としては間違いだと感じます」ともいえるでしょう。 これだけ一般人が使われている表現に対し、自分が学術的に習ってきて作り上げられてきた固定観念を「誰もぎゃあぎゃあ言わない」表現に対してそれを言った人に「あなたは間違っている」と言われたら、日本人でもアメリカ人でもその場で「あんた何様だと思っているの?」といわれるでしょう。 もちろん、I hope I don't find him soonと言う、I know that,,,,的な表現も使われます。 そしてこの表現の仕方のほうが多いでしょう。 そして、私ならこの表現の方を使います、と言う人も多いでしょう。 私もその一人です。 だからと言って、これだけ使われている表現に対し「間違っている」とは私には言えません。 つまり、その本の作者が自分の意見として言うのであればそれはかまわないでしょう。 しかし、誤文だから使うな、と言って押し付けるのは「この表現を使っているアメリカ人に向かって言える」と言う人以外はそれこそ間違っているとまで私はいいます。 I hope to see him soon.は問題ないとしたら、何が理由でI don't hope to see him soonと喧嘩別れした元彼のことを言うのがなぜ間違いだと言うのでしょうか。 誰かが書いた、誰かが決めた、文法を変えれば文法的に正しいと言うとでも言うのでしょうか。 「全然」と言う表現を肯定文に使われ始めたときにどれだけの人がぎゃあぎゃあわめいたでしょうか。 私はその人たちに面と向かって聞きたいです。 なぜもうわめかないのですか?と。 言葉使いとは生きた人間が決めることです。 そして、その表現が嫌いであれば使わないのです。 私は友達間では「俺」で通しています。 ビジネスとしての会話であれば「私」で通しています。 つまり私にはほかの人と同じように表現の自由と言うものがあります。 (よって、このようなサイトで「女ぶったり」「男ぶったり」した自分とは違う性格を出した表現をしてもその人の自由として認めるべき事ですね。 しかし、それに対してほかの人も同じく反応の自由はあるのです。 また馬鹿が来た、と感じることも自由なわけです。) つまり、もしある情況で、この情況では{俺」と言わない方がいいなと選択する事があるように、I don't hope to find him soonと言う表現を使うべきではない、と言う判断すれば表現力の一環として違う表現をすることもあるわけです。 F-wordsや俗語も同じですね。 俗語自体が悪いのではなく、使う情況を「わきまえろ」、「わきまえられないなら使うな」と言う事なのです。 しかし、F-wordsや俗語を普通に使う情況で、丁寧な表現は逆に「禁句」の仲間入りなのですね。 上に書いた「男性なのに女性ぶった表現」は匿名の社会だからするのであって、まさか一日中そういう表現をしているわけじゃないでしょう。(特殊世界ではありでしょうが<g>) という事で、アメリカ人に面と向かって自信を持って言える(言動の自由なんですから)勇気を持って言う人であれば、言ってもいいでしょう。そして、それがその人の性格の一部なんですからアメリカ人も仕方ないだろうね、聞き流しておけばいいさ、で終わることでしょう。 しかし、普通の人であれば、多分「常識を持って」言わないでしょう。 そして私は、「常識を持って英語ネイティブに言わない」のであれば日本人にも言わないのも常識なのではないだろうか、と思うわけです。 という事で、ご質問への私の答えは「後文である」とは私にはとても言えません、となります。 まったくの個人主張として書かせてもらいました。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
ありがとうございます。 >もちろん、I hope I don't find him soonと言う、I know that,,,,的な表現も使われます。 そしてこの表現の仕方のほうが多いでしょう。 そして、私ならこの表現の方を使います、と言う人も多いでしょう。 私もその一人です。 そうですよね。確かに、that節の文のほうが自然と言うか、そちらのほうがずっと多く使われていますよね。 文脈なしに、こういう一つの文で、誤文かどうかを議論するのは、よほど明らかな文法規則違反でない限りとても難しいとよく思います。 かなり以前から、I think that S+V...の文型とI think to ....の文型など、that節を取れるが、to不定詞も取れるという動詞の使い分けが気になっていて、未だに綺麗に処理できないでいます。 「英語の文法と語法」では、他の例として、 1.I don't wish to find him.(こちらはsoonが付いていない)の文はOKとしてあります。 また、 2.We have no hope of finding him. 3.There is no hope of finding him. もOKとしてあるのです。 自分としては、2や3は明らかに意味が異なり、We don't hope to find him soon. と比べるには無理があると感じています。 重ねてありがとうございました。
イギリスの文法ではそうなっています.日本の文法書も大抵はそれを元に書いています. 否定は hope に続く動詞に付けるとなっています. don't hope to は誤用ですし,そんなに使われているとは信じられません.I hope to ~. や I hope not. はありますが. 意味は単純な予測に過ぎないわけです. 主語の意図(願望)が入る場合の動詞では,I don't believe/expect/imagine/suppose/think we will find him soon. となります.
お礼
ありがとうございます。 We don't think that he will come soon. の文が普通で、 We think that he won't come soon. がよくないと言うのは分かるのです。 自分の疑問は、We don't hope to find him soon. が言わないと言うことです。 Guardian Unlimited と言うイギリスの新聞のサイトで検索すると"don't hope to"で3件でてきます。 http://browse.guardian.co.uk/search?search=%22don%27t+hope+to%22 もっとも、"hope not to"だと37件ヒットしますが。 http://browse.guardian.co.uk/search?search=%22hope+not+to%22
お礼
ありがとうございます。 >この本の作者に連絡取れればいいと思いますがどうですか? これほどよく使われてアメリカ人にそれほど違和感を感じさせないまま使われていることへの作者の「理論的説明」を聞きたいですね。 本当にそうですね。学術書だけでも、その本専用にサイトを作っていただき、そこで、著者も含めて討論が出来るような形があればと感じます。 誤文かどうかというのは、いろいろなレベルがあり、難しい問題だと改めて感じています。