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雨にも負けず・・・の解釈について
宮沢賢治の「雨にもまけず・・・」の詩についてです 「さむさのなつはオロオロあるき」とはどういう意味でしょうか? 日照りのときは涙を流し、冷夏で不作の時はおろオロオロうろたえる、ということでしょうか? ご存知の方教えてください
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それで良いと思います。 他の解釈をする人もいるようですが、主流はおっしゃるとおりでしょう。 夏の冷害が起こると、飢饉が発生しました。 当時、気候やその他の影響もあったのでしょうが、もともと稲作は寒い地方より暖かい地方に適しています。 なので北国では冷害を受けやすかったのでしょう。
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- curi
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一応国語講師をしている者です。 うちの塾の教室の壁にはこの詩が貼ってあります。笑 この詩の解釈には、様々な論争がありますよね。 この詩の特徴である対句法を踏まえると、 ヒデリノトキハナミダヲナガシ (日照の時は無力に涙を流すだけで) サムサノナツハオロオロアルキ (冷夏の時も無力におろおろ歩くだけで) が教科書的な模範解答です。 私の妄想ワールドに入った解釈としては、 ヒデリノトキハナミダヲナガシ (日照の時は涙を流す事でその水分で日照を解消しようとしてみたり) サムサノナツハオロオロアルキ (冷夏の時は歩く事でその体熱で気温をあげようとしてみたり) と考えています。笑 次の行の、「デクノボー」に自然に繋がるのは、やはり一般的な前者かの解釈でしょうが、 後者も、`涙や体熱ごときで何も変わらない’のに無駄な努力をするのが「デクノボー」と繋げる事も出来る様な。 その後の行では、 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば… と、微力ながら社会の役に立とうとしてる姿勢も窺えるし、 涙や体熱で問題を解決しよう…という姿勢とも繋がるので、後者の解釈が私の答えです。 因みに、又全然違う解釈として、 「×ヒデリ」、「○ヒドリ(日取り)」という論もあります。 元々宮沢賢治のノートには「ヒドリ」と書かれていたそうです。 これは、ただの方言や誤字である、という反論が一般的であり支配説です。
お礼
この詩で主眼が置かれているのは、「美学」ではないのか、と考えております なぜ、日照りのときに涙を流し、冷害時にはオロオロすることが宮沢賢治の理想だったのかを考えました 丈夫な体を持ち、よく見聞きして忘れず、けして怒らないような人 つまり知力・体力・人格を兼ね備えた人であっても、私腹を肥やしたりせずに、みんなと同じように苦しむ事を厭わない そういう生き方が美しいと考えていたのではないかと思っています いろいろな解釈ができる詩と知ることができました ご解答ありがとうございました
- c_youji
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2説あり、「無力を嘆いてオロオロうろたえる」という意味の他にも、 冷夏の影響で不作だった「食物の補填をどうするべきか、他の農家や役人に話を聞きに歩き回る」という解釈があるそうです。 あと、「日照りのときは涙を流し」と質問文に書いてありますが、 宮沢賢治は「ヒドリ」と書いている為に、「日照り」であるかは分かりません。 当時の方言や訛りで「ヒドリ」と記したのかもしれないし、 「日取り(日雇いの仕事)」で働き歩いたのかもしれないし、 猛暑・炎熱によって目の炎症になることを「ヒドリマゲ」とも言います。 冷夏と日照りを「対応」させるのが妥当の解釈だとする見方もあります。 詳しくは、「雨ニモマケズ論争」で検索してみて下さい。
お礼
日照りと日取りでは同じように困難な状況ですが、受ける印象が若干違うように感じます 確かに冷夏と日照りで意味的に韻を踏んでいるのが妥当かもしれません ありがとうございます、大変参考になりました
お礼
ご解答ありがとうございます いろいろな解釈があることを知りました