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宮沢賢治「雨にも負けず」の「寒さの夏」とは?
宮沢賢治の有名な詩「雨にも負けず」に「・・日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き・・」のフレーズがあります。寒さの夏とはやませによる東北地方の冷夏のことですが、実際どの程度の気温になり現在でも発生するのでしょうか? 【質問理由】 西日本在住で毎夏殺人的な暑さに苦しんでいます。日本に夏を寒いと感じる場所が本当にあるのかな?という素朴な疑問です。
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NO3です。 蛇足です。 最近の冷害では1993年があるようです。 そのときの盛岡市の8月の気温は 平均気温20.5 最高気温25.3 最低気温16.7 です。 もう20年も前の記録にはなりますが、 現代でもたまーには寒い夏があるようです。 ついでに今年の盛岡の8月気温です。 平均26.1 最高32.0 最低21.9
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- alienabili
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調べてみました。 ネット上でサムサノナツと入れたら記録的冷害が1931年と1934年にあったようです。 (賢治は1933年に他界されております。) 記録上花巻市では1934年まではさかのぼって調べられなかったので 気象庁のデータベースから岩手盛岡市の1934年8月の気温を調べました。 平均気温 20.8 最高気温 25.3 最低気温 16.9 です。 今日の私の住んでいるところが最高気温24.8℃ 最低気温20.4ですが、 今日涼しかったなあと思います。 サムサノナツは寒いまでいかなくても、たぶん相当涼しかったと思います。
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回答有難うございます。
- -9L9-
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夏なんだから寒いと感じるわけないでしょう。問題なのは農作物への影響です。夏は暑くなければ農作物はまともに育たない。植物がきちんと育つだけの暑さにならないということから飢饉になることを恐れて、その怖さを「寒い」と表現しているんです。農村の人間なら迷いなくこの詩をそう読むでしょう。 実際、2003年の冷夏は東北地方で7月にたった2.9℃低下しただけで、国産野菜が大打撃を受け、中国野菜が店頭に並ぶきっかけになりました。この年の平均気温の低下は1.2℃にすぎなかったようですが、農業技術が上がった現在でさえ、わずかそれだけ下がっただけで農作物は大打撃を受けます。農業技術の未熟だった宮澤賢治の時代にはほんのわずかの気温低下がどれほどの影響があるかわかりそうなものです。 宮澤賢治は農業指導の仕事をしていた人ですから、農家が何に苦しむのかがよくわかっており、その農家に寄り添う心情を書き留めたのがこの詩だと解釈されます。 私には、あなたのこの質問は、農家の苦労を顧ない不謹慎なものと感じます。
お礼
回答有難うございます。
- mekuriya
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宮沢賢治の生まれ育った岩手県は、江戸時代は盛岡藩で、天候不順が頻発し、不作・凶作が多く、全国300藩の中でダントツに百姓一揆が多かった地方だったということを知ってください。毎年、夏が寒かったわけでもない。もしそうなら江戸時代の北海道のように初めから稲作などしません。平年並みの気象条件ならそこそこ収穫があるからこそ、人が住めたし、稲作を営んでいたんです。しかし岩手県は全国でもっとも気象が不安定な地方で、日照りが続いて雨が降らなかった年や夏でも全然暑くならないといった異常気象の頻度が多かったということなのです。お願いですから、他人事のように考えず、自分が岩手県の農民になったつもりで考えてください。農業は気象が全てです。しかし明治時代に気象庁も天気予報も存在しない。今年の気象はどんな具合だろうか。最悪の場合は1年かけて全く収穫がないのです。1年の労働の成果が0の年もあったのです。それがどんなことを意味するのか考えてみてください。 現代は地球温暖化の時代です。宮沢賢治の時代とは気温が違う。日本は世界一の食糧輸入国だ。人々は飢えを知らず、貪欲に飽食を貪っている。そんな現代人にどう説明すれば良いのか。
お礼
回答有難うございます。
お礼
回答有難うございます。 >そのときの盛岡市の8月の気温は平均気温20.5・・・ 西日本だと5月末OR10月始めくらいの気温ですね。実感として寒いと感じるのもうなずけます。